176.湧いてきた疑問
店へと到着した俺は扉を開けて建物の中へと入る。
店内はある程度の広さがあるが、時間も時間のため客は誰一人としていなかった。
そのままカウンターへと進むと、カウンターを挟んだ向こう側に居る従業員の女性が「如何なさいましたか?」と声を掛けてくる。
「アイーダさんという薬師はいますか? お遣いを頼まれていまして、アイーダさんにお会いしたいのですが」
「すみません、祖母は今非常に多忙でして……」
どうやら彼女はアイーダさんのお孫さんだったらしい。
それにしてもこのタイミングで多忙となると色々と勘ぐってしまうが、単純に俺が知らなかっただけで、アイーダさんは名の知れた薬師なのかもしれないな。
そもそもじいちゃんが重要と思われる魔石を預けている人物である以上、ただの薬師というのも考えづらいか。
「……そうですか。では、この書簡をアイーダさんに渡していただけませんか? それでも今すぐお会いできないのであれば、日を改めさせてもらいます」
そう言いながらじいちゃんから預かっていた書簡を彼女に渡す。
彼女の言い方的に明日も明後日も変わらず忙しいのだろう。
俺としては運良くボーウェル伯爵との商談が早く済んだため、明日の午前中には王都を発ちたいと思っている。
無理を言っている自覚はあるが、可能な限り今日中に用事を終わらせたい。
「わ、わかりました……。これを祖母に渡してきます。そうしましたら今日のところは諦めてくださいね?」
「はい。お約束します」
彼女は不満げな表情でじいちゃんからの書簡を受け取ると、建物の奥へと消えていった。
その後、奥で何やらやり取りをしている二人の声が微かに聞こえたが、その内容までは聞こえなかった。
しばらく待っていると、困惑した表情を浮かべながらアイーダさんのお孫さんが戻ってくる。
彼女は「祖母が会うと行ってます。こちらにどうぞ」と言うと、カウンターの仕切を外して、俺を中へと入れてくれた。
とある部屋の前まで案内されると彼女は店へと戻っていき、俺一人で部屋の中へと入る。
部屋に立ち入ると様々な薬の混じった独特な香りが鼻を刺した。
部屋の中には様々な色の液体が入ったガラスの容器や雑多な薬草が所狭しと並んでおり、まさしく薬師の仕事部屋といったところだった。
その部屋の奥にある作業用の椅子に腰掛けた白髪交じりの老婆が眼鏡越しに鋭い視線を向けてきている。
「…………アンタが〝カヴィ〟の代理人かい?」
部屋に入って来た俺にアイーダさんが問いかけてくる。
カヴィとはじいちゃんの愛称のことだろう。
じいちゃんの本名はカヴァデール・エヴァンス。
歴史上類を見ない天才魔導具師であり、魔導具の技術を飛躍的に向上させた人物として世間からは認知されている。
しかし、カヴァデール・エヴァンスは約十年前に死亡したとされている。
そして、現在のじいちゃんは偽名を名乗っている。
その偽名ではどう考えても〝カヴィ〟という愛称にならないことからも、この人はカヴァデール・エヴァンスが生きていて、尚且つじいちゃんがその人であることを知っていると考えて良さそうだ。
「はい。アイーダさんに預けていた魔石を受け取ってきてほしいと本人に頼まれて来ました」
「……そうかい。本当にやるつもりなのか、あの馬鹿は」
アイーダさんが怒っているようなそれでいて悲しいような、そんな複雑な表情で呟く。
「じいちゃ――彼は何をするつもりなのですか?」
その表情に引っ掛かりを覚えた俺は彼女に問いかける。
「すまないが、私の口からは言えない。些細なことであろうともブレ幅が大きくなりかねないからね」
「そう、ですか」
俺は魔術に関する大半のことをじいちゃんから教わった。
魔術について学べば学ぶほどにじいちゃんの――カヴァデール・エヴァンスの凄さをまざまざと見せつけられてきた。
今でこそ多少なりともじいちゃんの域に近づけたという自負はあるが、それでもまだまだじいちゃんの背中は遠い。
今のアイーダさんの発言から、じいちゃんが何やら計画していたことを実行しようとしていて、それは些細なことでも先が読めなくなるほどに綿密な、もしくは大規模なものであると推察できる。
俺は本当の祖父のように良くしてくれているじいちゃんに全幅の信頼を寄せている。
それでも今回の件は、俺の中で何かが引っ掛かる。
そもそも俺にお遣いを頼んだことも変といえば変な話だ。
前述の通りじいちゃんはとんでもない技量を持った魔導具師だ。
加えて魔術士としても超一流。
そんなじいちゃんであれば、馬車が無くともツトライルから王都へ移動する手段を持っていてもおかしくない。
これではまるで、俺を王都に寄こすために――。
「ほら。これが預かってた魔石だよ。持っていきな」
ひょんなことから湧いてきた疑問に対する答えを探すために思考の海を漂っていたが、アイーダさんの声で我に返る。
(今回湧いてきた疑問は一旦保留だな)
心の中で呟いて思考を切り替えると、アイーダさんが手渡してきた小さな木箱を受け取る。
そのまま蓋を開けると、その中には緩衝材の役割を果たす綿が敷き詰められていて、その中心には拳大サイズ魔石があった。
その見た目は透明なガラス玉の中に漆黒のモヤを閉じ込めているかのような、これまで見たことの無い独特な見た目の魔石だった。
「確かにお預かりしました。これは俺が責任を持って届けます」
「よろしく頼むよ」
「お任せください。では、失礼します。お忙しいところ押しかけてしまい申し訳ありませんでした」
魔石を受け取った俺は、頭を下げて非礼を詫びてからここを立ち去るべくアイーダさんに背を向ける。
「オルンよ」
「……はい」
すると、背後からアイーダさんに声を掛けられる。
立ち止まってから振り返り、再びアイーダさんを視界に入れる。
「私は……、世の中に無駄なことなんて一つも無いと考えている。たとえそれが、どれだけ苦しいことだろうと、全てが台無しになったように見えることだったとしても、それも貴重な経験さ。――だから、苦難に直面しても、決してそれを無駄にはしないで欲しい」
アイーダさんが真剣な面持ちで言葉を投げかけてくる。
どうしてこんなことを言ってきたのかわからないが、その言葉は一理あると思った。
家族や村の仲間が野盗に殺されてしまったあの出来事は、俺にとってとても苦しい出来事だった。
それでも今思い返してみれば、あの出来事があったからこそ今の俺が在るとも言える。
野盗どもを赦すことも、あの出来事を肯定することもあり得ないが、起きてしまった以上はそれを糧に前に進まないといけない、と俺は思っているから。
「ご助言ありがとうございます。今の言葉はしかと心に刻んでおきます」
俺の返答に弱弱しくも満足気な表情で頷くアイーダさんを見て、俺は改めて部屋を出る。
そういえば、俺は名前を名乗っていないのに、何でアイーダさんは俺の名前を知っていたんだ?
じいちゃんの書簡に書いてあったとか? まぁ、いいか。
◇
そのまま店から出ると、少し離れたところから二人組が何やら話をしながら店に近づいてきた。
「本当に見たのです! 第一こんな嘘付く理由が無いでしょう!?」
背の低い方が必死に同行者に何かを訴えている。
「はいはい、もうわかったよ。でも、それで後を付けようとしたなんて、ストーカーと勘違いされても知らないよ?」
もう片方の短髪の女性が呆れながらも、先ほど必死に主張している同行者を嗜めていた。
二人組が近づいてくるにつれてその姿がはっきりと見えはじめ、その短髪の女性をきちんと視界に捉えると、その人は俺の知る人物だった。
「……ローレッタさん?」
その人物はツトライルで探索者として活動している《翡翠の疾風》のエース、ローレッタ・ウェイバーだった。
「ん? オルン君か? まさか本当に王都に居たとは……」
俺のことを認識したローレッタさんが苦笑いを浮かべている。
続いて先ほどまで必死に何かを主張していた小柄な人物を確認する。
その人はフード付きの黒い外套を頭から被っていて外見から性別は判断できなかったが、声音的に女性だと思う。
「そんなこと言われなくてもわかっています。途中で姿を消されたのは、いきなり後ろを付いて行った私の存在に気付いたからでしょうし。――って、…………え?」
(……この人、もしかしなくとも先ほど俺の後を付いてきた人か?)
外套の女性が俺の顔を視界に入れるために顔を上げる。
顔を見上げたことで俺も外套の女性の顔を見ることが出来た。
俺を認識した彼女は表情をぽかんとしたものに変える。
光の少ない夜でも光り輝くほどの金髪に紅色の瞳、童顔ながら整った容姿、黒く地味な外套でも隠しきれていない高貴な雰囲気、全てが一般人からはかけ離れていると感じる。
直接会ったことは無いから確実とは言い切れないが、外見的特徴から察すると恐らく彼女は――。
「あー……、先に謝っておく。すまない、オルン君」
見るからにお忍びである外套の女性を目の前に、見なかったことにするべきか、相応の対応をするべきか考えていると、どこか諦めたかのような表情で投げやりな謝罪をローレッタさんから受ける。
(……それは、何に対しての謝罪だ?)
更に考えることが増えて、若干頭の中がこんがらがっていると、外套の女性が目を輝かせながら口を開く。
「――ずっとお会いしたいと思っていましたっ! オルン様!」
(……はい? ……オルン、様……?)
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