174.様々な思惑
◇ ◇ ◇
シオンとドゥエが戦闘を繰り広げている頃、農場の第三階層でシオンと対峙していた長いアッシュ色の髪を肩口で纏めている男――スティーグ・ストレムは、農場から遠く離れたノヒタント王国とサウベル帝国の国境にそびえ立つクライオ山脈の山頂付近を歩いていた。
その進行方向の先には、可視化できるほど高密度な新緑色の魔力を操作しているフィリー・カーペンターが佇んでいる。
「魔力の可視化ですか。流石は《導者》殿ですね」
フィリーの近くまで歩を進めたスティーグが彼女に声を掛ける。
「……何故、貴方がここに? 《博士》から農場の管理を押し付けられていたはずでは?」
「それがですね、どこから情報が漏れたのか、先ほど《白魔》殿が乗り込んできまして」
「《白魔》が? つまり農場の情報が《アムンツァース》に知られていたということ?」
「そう考えるのが自然かと。そうでなければ、彼女がわざわざ帝国の属国に来る理由はないでしょうから。その結果、二番目を調整不足の状態で放出することになりましたので、《博士》的には少々痛手になったかと」
「それで、あの女は仕留められたの?」
「結果までは確認していません。生死については五分五分と言ったところでしょうか。しかし、彼女一人で二番目を無力化することが出来ない以上、いずれにしても《アムンツァース》に多少の打撃は与えられているはずです」
「そう」
「これをネタに教団の主導権を奪取しますか? 正直に申しますと、矮小なあの男が主導権を握っている現在は面白くありませんので」
「いえ、今はこのまま《博士》に任せるわ。今のままの教団には何の魅力も無いもの」
「嘆かわしいことですね」
「まぁ、いずれはわたくし好みの――あ、ふふふっ。面白いことを思いついた」
「そのお顔をされているところを久しぶりに見ました。やはり何かを企んでいる時の《導者》殿が一番魅力的です」
「世辞は結構よ」
「残念です。本心からでしたのに。それで、何を思いついたのでしょうか?」
「貴方は知らないでしょうけど、《博士》が教団の中に於ける自分の地盤を固めるために《金色の残響》の探索者だったあの間抜けを幹部に引っ張り上げようとしているのよ」
「《金色の残響》の探索者だった間抜け? …………あぁ、あの男ですか。《博士》にくっ付いて農場に何度か来ていましたので、面識があります。…………あんな自己評価が高いだけの愚物を幹部に? 《導者》殿、《博士》を弄ったのですか?」
「あの男の警戒心は異常よ。現時点では《博士》に対して異能を行使しても面倒なことになるだけだから弄ってないわ。それに弄ってまで幹部に押し上げるほどの人間でもないことは貴方もわかっているでしょう?」
「それは確かに。では《博士》は何故?」
「さぁ? 劣等種の考えることはわたくしには理解できないわ。ひとまず彼の指示通りに人は動かしたけど、その目的も聞いていないしね。――それで話を戻すけど、その男が座る予定の幹部の椅子を貴方にあげるわ」
「私を幹部に推薦していただけるのですか? しかし、それはまだ先のことだと記憶しているのですが」
「えぇ、貴方に本格的に動いてもらうのは《博士》を排除した後のつもりだったけど、《白魔》が農場を滅茶苦茶にしてくれたなら、予定を前倒しにできるわ。それに、更に場を引っ掻き回せば面白いものが見られそうじゃない?」
「実に《導者》殿らしい理由ですね。わかりました。それでは、ご命令を。――我らを王の元まで導く者よ」
◇ ◇ ◇
ノヒタント王国国王の訃報から一週間が経った。
王国民の多くが国王の死を悼み、帝国に対する怒りを日に日に募らせている。
新聞でも国民を煽るような記事が連日書かれていて、既に帝国との戦争は避けられないほどに気運が高まっていた。
王国は今回の戦争で軍人だけでなく戦闘に長けている探索者も当てにしているようで、先日探索者たちに対して従軍の要請が来たが、《夜天の銀兎》はその要請を断った。
俺たち探索者の役割は、魔石や迷宮素材を安定的に供給することだと考えているためだ。
不慣れな戦場に団員を行かせたくないという気持ちが強いのも事実だが。
とはいえ、王国の要請に応じて戦争に参加するクランやパーティも一定数存在するらしい。
最近の出来事について思い返しているうちに俺は目的地に到着した。
そのまま扉を開いて建物の中に入っていく。
「来たよ、じいちゃん」
「おぉ、オルン。忙しいところ悪いのぉ」
そこはじいちゃんの雑貨屋だった。
昨日、珍しくじいちゃんから頼み事があるから店に来てほしいと連絡があったため、急ぎの仕事を終わらせてからここにやって来た。
「仕事は一通り終わらせてきたから大丈夫。それにしてもじいちゃんが俺に頼み事なんて珍しいけど、何かあったの?」
「うむ。早速で悪いが、オルンは近日中に王都へ行く予定はあるか?」
「王都に? いや、そういう予定無いな。だけど、ウチの団員がスポンサーと話をするために近々王都に行くって話を聞いてるから、すぐに終わる用事ならその団員に話を通しておくこともできるけど?」
「ありがたい申し出じゃが、信頼できる人間に頼みたい内容なんじゃよ」
「そっか。ちなみにその頼み事ってどんな内容?」
「内容自体は難しくないし時間も取らんよ。王都で店を構えているとある薬師のところまで行って、儂の預けている魔石を受け取ってきてほしいのじゃ」
平時であれば、ツトライルから王都へ向かう乗合馬車が定期的に往復しているため王都へは気軽に向かうことが出来る。
しかし、今は先日の帝国との一件でその定期便に護衛の軍人を回す余裕が無いらしく、しばらく運休になると聞いている。
行商人や商会、それ以外にも大きな組織であれば、自前の馬車で王都に向かうこともできるが、それ以外の個人が王都へ向かうことは確かに難しい状況だ。
それにこのご時世にじいちゃんがわざわざ回収しようとするほどの魔石だ。
曰く付きであることは想像に難くない。
信頼できる人間に頼みたいと考えるのも納得だな。
「わかった。じいちゃんにはいつも世話になっているし、クランの用事も一緒に引き受けて、俺が王都に向かえるように調整するよ」
じいちゃんには返しきれないほどの恩がある。
少しでも恩を返せる機会があるなら見逃したくない。
……それに個人的にも可能であれば王都へ行きたい思っていたしちょうど良かったかもしれない。
「良いのか? 儂のために申し訳ないのぉ」
「気にしないで。個人的にも王都に行きたいと思っていたところだから」
「ありがとう、オルン。これが薬師宛ての書簡と薬師が店を構えている場所を記した紙じゃ」
そう言いながらじいちゃんは封筒と二つ折りにされた紙を俺に渡してくる。
「確かに受け取った。なるべく早く帰ってくるよ」
「うむ、よろしく頼む」
それからじいちゃんと軽く世間話をした俺はクラン本部へと帰った。
その足で探索管理部や資材調達部へと向かい、王都へ行く予定の仕事を俺に割り振ってもらうよう調整を行い、王都へ向かう旨を第一部隊のメンバーに伝える。
今の《夜天の銀兎》は迷宮探索に注力する方針を取っている。
ツトライルを離れられるのは長くても三日だ。
スポンサーとの商談、じいちゃんのお遣い、個人的な用事とやるべきことは少なくないから効率よく用事を済まさないとだな。
◇ ◇ ◇
オルンが、彼が『じいちゃん』と呼び慕う老人――カヴァデール・エヴァンスの雑貨屋を出てからしばらくして、再び店の扉が開かれる。
そして現れたのは、『鎧の探索者』と呼ばれている全身を鎧で覆っている男だった。
「おぬしか。注文の品は入手しておいたぞ」
鎧の探索者が来たことを確認したカヴァデールは、彼に声をかけながらとあるものをカウンターに置いた。
それは黄玉を連想させるほどの美しい光を放つ透明感のある結晶だった。
鎧の探索者はカウンターまで進むと、顔を覆う兜の奥にある目を凝らしてその結晶を確認する。
目的の物であることを確認した男は、「……感謝する」と口にしてから結晶へと手を伸ばす。
しかし、結晶を覆うようにして魔力障壁が展開されたことによって、彼の手が結晶に届くことはなかった。
鎧の探索者が顔を上げて、カヴァデールを視界に入れる。
対してカヴァデールは柔らかい表情を崩すことなく口を開いた。
「最後に確認じゃ。これと引き換えにおぬしは儂の言う通りに動くのじゃな?」
カヴァデールが柔らかい表情でも隠し切れないほどに鋭い視線を鎧の探索者に向けながら問いかける。
その問いを受けた鎧の探索者は首を縦に振る。
「……そういう契約だからな。安心しろ、もう一人の雇い主も了承している」
「そうか。では早速一つやって欲しいことがある。それを使うのはその後にしてくれ。今ここで見せたのは、儂が実物を持っていることを証明するためじゃ」
「わかった。何をすればいい?」
「王都へ向かい、オルンをサポートして欲しい」
「………………何を代償にした?」
これまで淡々とした口調であった鎧の探索者が、不愉快さを滲ませる。
「ほっほっほ。今の儂が差し出せるものは一つしかないじゃろ?」
「それは止めろと言ったはずだ」
「おぬしにとっては好都合なのではないか? おぬしは儂を恨んでいるはずじゃろ? この人でなしを」
「別に恨んではいない。それも含めて今の俺だからな」
鎧の探索者の返答にカヴァデールはまぶしいものを見るかのように目を細めた。
「あの小さかった子どもがのぉ。儂に言われても不快でしかないだろうが、おぬしは強くなったよ。心も体も。これからもおぬしには困難が待っているじゃろうが、今のおぬしなら乗り越えられると信じておるよ」
「あぁ。わかっている。俺が選んだ道が困難なものになることは覚悟の上だ。だからあんただけが代償を支払う必要なんて――」
「それでも、おぬしの忠告を聞き入れることはできん。既に儂の思い描いたシナリオは佳境に入っておる。しかし、物事には想定外が付き物じゃ。じゃからおぬしという駒も手に入れた。絶対にこの目的は完遂させなくてはならないのじゃ。それが未だに儂が無様に生き続けている理由なのだから」
「本当にこれしか道は無かったのか?」
「さてのぉ。もっと良い方法もあるのかもしれん。じゃが、儂にはこの方法しか見つけられなかった」
「そうか。わかった。これ以上とやかくは言わない。――それで、王都へ向かえばいいんだな?」
「うむ。杞憂に終わればよいのじゃが、念には念を入れておきたい。ここで彼女を喪うのは痛手じゃからのぉ。頼めるか?」
「あぁ、任せろ。あんたの悪い予感が当たるとしたら、それは俺にとっては嬉しいことかもしれないからな」
「ほっほっほ! 確かにおぬしにとっては待ち望んでいた機会かもしれんのぉ」
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