170.【Sideシオン】魔人
「平原、だね」
農場へと足を踏み入れると、目の前に広がるのは見渡す限り永遠に続く野原だった。
目立った障害物も無く地平線まで見える。
『ここは数百年間で培われた教団の技術の粋を集められて作られた迷宮よ。この階層にはあらゆる環境が存在している。視覚情報にだけ捉われないように』
私の呟きに反応したティターニアが注意喚起をしてくる。
「ん、わかってる」
本当に永遠に平原が広がっていると錯覚させられるほどの光景に驚いたけど、事前にティターニアからここがどういう場所なのか聞かされているからわかっている。
彼女が先ほど言った通り、ここは目の前にある平原であったり、湿地帯であったり、砂漠であったり、はたまた海中であったりと、あらゆる環境が見えない壁のようなもので区切られて同時に存在しているらしい。
だけどその壁は概念的なもので、人間や魔獣は簡単に跨ぐことができるんだとか。
だから視覚情報ではまだ平原が続いているように見えても、次の瞬間には溶岩地帯に足を踏み入れている、なんてこともあり得る。
……うん、ティターニアの先導が無ければ、迷うのは確実だし、体調にも多大な影響が出る迷宮だね。
「それにしても、話には聞いていたけど実際にこうして目の当たりにするとやっぱり驚くね。魔獣が殺し合っている光景は」
そう。今、目の前に広がっている平原では魔獣同士が殺し合いを繰り広げている。
通常、魔獣には魔石を狙う習性があるけど、他の魔獣を襲う機構は備え付けられていない。
これは元々魔獣が生物兵器として生み出されたためだ。
兵器としての運用を考えているのに、同族で殺し合っていたら運用する前に数が減ってしまうから当然の機構だね。
『ウチもその辺りは詳しくないが、どうやら東方で古くから伝わる呪術を参考にしているらしい』
「昔フウカから聞いたことがあるけど、私もそこまで覚えていないな。確か蟲毒って言うんだったかな」
この話を聞いたのは、フウカ達がツトライルへと旅立つ前だからもう五年以上前か。
ふふっ、懐かしいな。
――っと、集中力を切らせちゃダメだね。
「それじゃあ、次の階層への案内よろしく。可能な限り短い移動距離で尚且つ環境の変化が少ないルートで、ね。――【飛翔】」!」
『わかった』
それから私は、争い合っている魔獣を脇目に空を飛びながらティターニアの先導に従って移動を開始する。
当然魔獣の近くを通れば、ターゲットを私に切り替える魔獣も居るけど、そいつらは容赦なく魔術で殲滅する。
結構な数の魔獣が蔓延っている迷宮だけど、全員が私に向かってくることが無いというのは救いだね。
ここの魔獣程度なら全員が相手でも問題はないけど、単純に面倒くさいし、そんなことに時間を取られたくない。
本番は次の階層である第二階層なのだから。
ちなみに【飛翔】」はオルンの父親が開発した魔術だ。
空中を馬が走る程度の速さで移動することができる。
ただしこの魔術は発動している間は常に術式構築と魔力流入を行う必要があるため、かなりの集中力を要するし相応に疲労が蓄積していく。
魔術にはかなりの自信を持っている私でも、発動中は自身のキャパシティの約三割を割かなくてはいけないから一長一短だね。
『ここの魔獣は大迷宮の下層に生息する魔獣と同等のはずなのに、いとも簡単に倒していくわね。確か人間は大迷宮の下層には一人で足を踏み入れないと聞いていたけど、これならウチの助力は必要ないか』
ターゲットを私に切り替えた魔獣を上空から魔術で仕留めながら進んでいると、ティターニアが声を零す。
「魔獣の動きは単純だから私の脅威にはならないね。それに私の役割は広域殲滅。有象無象の敵を薙ぎ倒し、王の進む道を作ることだから。これくらいはできないと」
魔獣の動きは本能的なものだから動きが読みやすく対処が楽だ。
それは魔獣に知性がないから。
大迷宮のフロアボスになると多少の知性は兼ね備えているようだけど、それでも人間の知性にはほど遠い。
◇
『着いたよ。この先が第二階層だ』
いくつもの環境を経由して次の階層へと向かうための出入口へとやってきた。
その前で何度か深呼吸をして心を落ち着かせる。
「――行こう」
第二階層へと続く螺旋状の階段を下りながら、私はティターニアから聞いていた農場について思い出していた。
ここは《シクラメン教団》の研究施設の一つとなっている。
その研究内容は〝魔人〟を作り出すというものだ。
魔人とは、魔獣の特性を持った人間のこと。
基本的に身体能力などの戦闘能力は魔獣の方が圧倒的に優れている。
その差を人間は知略で埋めて、そして上回っていた。
それじゃあもしも、人間と同等の知性を兼ね備えた魔獣が存在していたら?
戦闘に長けている探索者や軍人でも苦戦を強いられること必至だろう。
それに加えて魔人を作り出すためには非人道的な扱いを受ける被験者が必要となる。
そんなことは赦されることではない。
魔人は人道的・兵力の両方の観点から考えても存在を許してはいけない。
そんなことを考えていると、第二階層へと辿り着いた。
第二階層は第一階層とは真逆で、建物の中のような人工的な造りになっていた。
そして遠くから発せられたと思われる子どもの悲痛な叫び声が、この迷宮内に反響して私の耳にまで届いた。
「外道共が……!」
その声を聞いた私は、自分でも驚くほどここに居る連中に殺意が芽生える。
「ティターニア、すぐに制圧を始める。破壊対象と敵の位置を教えて!」
『あまり熱くなりすぎないように。この迷宮にはウチが見通せないだけで、第三階層があることは確実だから』
「わかってる。怒りで我を忘れるなんてヘマはしない。でも、もしもの際のフォローは任せるよ」
『……ウチがそちらに干渉するには、この場ではシオンを介す必要がある。そう何度も手を貸すことはできないよ』
「大丈夫、最後の保険程度に思っているから。基本的には私一人で対処する。――【飛翔】」
ティターニアとの会話を終わらせると、彼女は移動を開始した。
それに付いて行くために私も【飛翔】を発動して付いて行く。
建物の中のようになっている第二階層は天井との距離が近いから、【飛翔】は更に細かい制御を求められて面倒だけど、足音で見つかるリスクをゼロにするために使用している。
侵入が完全にバレたらその時は【飛翔】を切るけど、気づかれる前に可能な限り数を減らしていきたい。
『あの扉の先が最初の対象だ。中には敵が五人、被験者にされている子どもが一人だ』
「了解」
進んだ先にある扉が見えてきたところで、ティターニアから中の状況が伝えられる。
(中が敵だけなら簡単だったけど、被験者も居るなら手荒な真似はできないか)
【飛翔】を解除して足音を立てないようにして扉の目の前に着地すると、収納魔導具から特殊なガスが詰まっている鉄の筒を出現させる。
それから、静かに扉を少しだけ開ける。
「こいつもダメだな」
「あぁ。おい、コイツを上に持っていって魔獣のエサにでもしておけ」
部屋の中から聞こえてきた会話に不快感を覚えつつ、わずかに開いた扉から先ほど出現させた鉄の筒を部屋の中に入れる。
筒の中に入っていたガスが外へ出てきたことを確認してから、魔術で微風を起こしてすぐさま部屋の中にガスを巡らせた。
このガスには致死性の成分は含まれていないけど、このガスを吸うと一時的に喉が麻痺して、声を出すことができなくなる。加えて倦怠感にも襲われるため不意打ちで制圧するには持ってこいの道具だ。
実は【治癒】で即座に打ち消すことができるけど、それを知っていたとしても一瞬は稼げる。
――その一瞬があれば私には充分。
くぐもった悲鳴が聞こえたタイミングで扉を完全に開いて敵を視界に捉える。
五人全員いることを確認してから、即座に構築していた術式に位置情報を書き加えて【刻凍】を発動した。
敵を氷塊に閉じ込めてから、部屋内のガスを霧散させ、検診台のようなものの上に仰臥している少年に近づく。
(良かった。まだ間に合う)
手足を拘束されて声も出せない少年は、近づいてくる私を見て、恐慌状態に陥っていた。
「ごめんね。もう少しだけ我慢してね」
そう告げてから【時間遡行】を行使して少年の体を弄られる前の状態に戻す。
それから【刻凍】を発動した。
「……破壊対象は、これ?」
この場の人間全員を氷の中に閉じ込めてから、部屋の中で一際異彩を放っている巨大な魔導具を視界に捉え、ティターニアに問いかける。
その魔導具には普通の魔石とは一線を画す大きさと魔力量を内包した魔石が埋め込まれている。
十中八九ダンジョンコアだろう。
迷宮を作り出せる教団ならその根幹である迷宮核を作り出すことも可能だろうから。
『あぁ。魔人を作り出すために開発された魔導具だと奴らは言っていた』
「そう……」
魔術で目の前の魔導具を破壊し、埋め込まれていた魔石を回収する。
「……次、行こうか」
◇
第一階層は大迷宮の深層に匹敵するか、それ以上の広さを有している、らしい。
だけど、そこに大半のキャパシティを割いているためか、第二階層はそこまで広くない。
と言っても大迷宮の中層程度はあるから、他の迷宮に比べたら断然広いけどね。
この第二階層で破壊対象となっている例の魔導具は六つ。
その全てを破壊した。
量産できていないのは、すぐにダンジョンコアを用意することができないからだと私たちは考えている。
ダンジョンコアの生成には時間を要するはずだから、これで連中の研究を止めることができた、はず。
そして、敵や被験者全員を【刻凍】で拘束し、第三階層へと繋がっている出入口を見つけた。
「ティターニア、どう?」
『……変化無しだな。近づけば或いはと思っていたけど、相変わらずこの先を視ることはできない。……本当にどういう原理なんだ? 理由が全くわからない』
「だとすると、ここから先はティターニアの助力はあまり期待できないか」
ここまで順調に進めることができたのは、間違いなくティターニアが居たから。
彼女のおかげでこの迷宮の構造や敵の配置を把握することができていた。
その情報無しというのは少々不安だけど、仕方ないか
『すまない』
「ここまでで充分助かったよ。それにこの先はボスエリアのようなものがあるだけなんでしょ?」
『あぁ。ウチが視えていたときはその先は大きなドームのようなものしかなかった』
「だったらこの先に居るのはフロアボス、恐らくは成功体の魔人だろうね。……維持可能期間内だったら楽なんだけど」
私の異能である【時間遡行】は対象の時間を巻き戻すことができる。
だけど、その巻き戻した状態を維持させるには条件がある。
それが維持可能期間の期間内かどうか。
この期間は対象によってまちまちだから一概には言えないけど、その維持可能期間よりも以前の状態まで巻き戻した場合、しばらくすると【時間遡行】を行使する直前の状態に戻ってしまう。
これはこれで使い道はあるけど、魔人を人間に戻すにはこの期間内であることが必須条件となる。
その期間を越えている場合は、私でも元に戻すことはできない。
『その場合は覚悟を決めるしかないだろうな。元々シオンが居なければその選択肢すら無かったのだから』
「わかってる」
状況を再確認した私は第三階層へと至る階段へと足を踏み出す。
そして、第三階層へとやってきた。
そこは事前情報の通り大迷宮のボスエリアのようなドーム状の空間だった。
その中心で一人の男が椅子に腰掛けていた。
男は二十代前半の見た目で、長いアッシュ色の髪を肩口で纏め、貴族のような装いに身を包んでいた。
「お待ちしていましたよ。《白魔》殿」
男が親しげな笑みを浮かべながらそう告げてきた。
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