152・冬の到来
「もう冬、か」
夏に比べて太陽が顔を出している時間がだいぶ短くなった十二月、俺はとある料理店の個室で人を待ちながら窓越しについ今しがた降り始めた初雪を見て、冬が訪れたことを改めて実感していた。
「オルンの方が早かったか。待たせて悪かったな」
最近開発を進めている魔術の術式改良案や自分の異能の拡大解釈について考えながら時間を潰していると、セルマさんが個室の中に入ってきた。
「いや、俺もついさっき来たところだから全然待ってないよ。……あれ、ソフィーは一緒じゃないの?」
てっきりソフィーと一緒にやって来るものと思っていたが、セルマさんの周辺を見渡しても彼女の姿は無かった。
「あぁ。流石にスポンサーとの会談の場に連れていくことはできないからな。それに、あの子も行ってみたい場所があると言っていたから、王都に着いたところで別行動することにしたんだ」
セルマさんが今言った通り、俺たちは今ノヒタント王国の王都に居る。
《夜天の銀兎》では、年末付近にその一年で特にクランを支援してくれたスポンサーの元に、幹部が赴いてお礼を兼ねた会談をするようにしている。
王都にやってきたのは、ここに居る《夜天の銀兎》の大口スポンサーへの挨拶が俺とセルマさんの担当だったためだ。
「なるほどね」
「……今こちらに向かっているようだ。もう少しだけ待ってほしい。すまないな」
セルマさんがソフィーの状況を教えてくれた。
恐らくは【精神感応】でソフィーと話をしたのだろう。
本当にその異能は使い勝手が良いな。
「謝る必要は無いよ。今日の主役はソフィーだしね」
何故スポンサーへの挨拶に無関係なソフィーまで王都にやってきたのかというと、彼女の成人祝いをするためだ。
彼女も今月で十五歳を迎えた。
この国では十五歳で成人となる。
誕生月を祝う文化はこの国に無いが、成人となる十五歳の誕生月を祝うところは多い。
本来そのお祝いは家族で行うのが一般的だ。
俺がそこに居るのは場違いだが、ありがたいことにソフィーが招待してくれたため俺とセルマさんで祝うことになった。
「そう言ってくれると助かる。そうだ、ソフィアが来るまでに少し話を聞いておきたいんだが、中央軍について何かわかったか?」
セルマさんが真剣な表情で問いかけてくる。
俺が今日会談を行ったボーウェル伯爵は中央軍と関わりが深い人物だった。
セルマさんは、俺が会談の中で知り得た情報をいち早く知っておきたいのだろう。
ちなみに中央軍とは王家が直轄する軍隊のことだ。
領主の私兵である領邦軍とは別となる。
「知りたかった情報はある程度確認できたかな。詳しいことは帰ってから話すけど、予想通り中央軍はかなりピリピリしてるみたい」
約二カ月前に起こったサウベル帝国によるノヒタント王国侵攻という情報は、瞬く間に大陸中に広がった。
ただし、一部の周辺諸国や遠方の国は、『小競り合いをノヒタント王国が喧伝しているだけで大きな争いではなかった』と認知しているようで、今回の事件を重たく見ていないようにも窺える。
確かに戦闘自体は一日程度で終わったし、戦域も一つの街周辺に収まった。
他国がそう考えても仕方ないが、先日の侵攻にはあの《英雄》がいた。
単騎で一個師団を容易に殲滅できるほどの存在である《英雄》が、だ。
俺が《英雄》に勝てたのは運が良かっただけのこと。
たまたま俺の異能が、アイツの異能と相性の良いものであっただけだ。
そうでなければ、フェリクスにとって俺は何の障害にもならなかっただろう。
実際に【重力操作】を自覚するまで、俺はフェリクスに手も足も出ていなかったわけだしな。
こんなことを言うと調子に乗っていると思われるかもしれないが、俺があの場に居なかったりフェリクスとの戦いに負けていたりしていれば、今現在も帝国からの侵攻が継続されていた可能性だって充分に考えられる。
そのため、あの一件は決して軽視して良いものではないと俺個人としては思っている。
「……そうか」
「それと、〝例の話〟はどうやら本当みたい」
例の話とは、これから予定されている王国と帝国の会談に、それぞれのトップが出席するという話のことだ。
その会談場所は帝国の首都である帝都となる。
つまり仮想敵国の中心に国王自らが赴くというのだ。
誰が見ても危険であることは明らか。
しかし臣下が説得を試みるも国王はその意見を曲げていないらしい。
ここは貴族も良く利用する高級料理店の個室であるため防音はしっかりとされている。
周囲に人の気配はしないため具体的に言っても問題は無いだろうが、内容が内容なだけに敢えて伏せることにした。
それでもセルマさんには俺の意図がきちんと伝わったようで、目を見開いて驚きの表情を浮かべている。
「……頭の痛い話だな。しかし、それだけ国王陛下は今回の一件を重く捉えているということか」
「うん。エディントン伯爵の入手した情報が正しいのであれば、魔石不足に陥りそうな帝国が南の大迷宮を有しているこの王国に侵攻してきたことにも一応の筋は通る。そこを突けば話は有利に進められそうだけど、そもそも最初から強硬手段に訴えてきた相手とまともな話が出来るかどうかもわからないしね。危険という意見には俺も同意」
「国王陛下にも何かお考えがあってのことだろうが、私たちには想像することしかできないな。ともかく政治については王侯貴族に任せよう。そういえば、総長が懸念していた件はどうだ?」
「俺が軍に取り込まれるかもしれないって話?」
セルマさんの問いに対して認識が合っているか確認すると、セルマさんが首を縦に振った。
「それに近いニュアンスのことは言われたけど、それははっきりと断ったよ。俺は軍人よりも探索者の方が性に合っているし」
「そうか。私たちはオルンの気持ちをわかっているつもりだ。オルンの意に反して出しゃばって来るのであれば、相手が国王陛下お抱えの軍だろうがクランとしても黙っているつもりはない」
「……セルマさん、ありがとう」
「大切な仲間を護るためだ。礼を言われるようなことでは無いさ」
セルマさんと会話をしていると、近づいてくるソフィーの足音を聴覚が捉えた。
話を切り上げると同時に個室の戸が開き、ソフィーが部屋の中に入ってきた。
「遅くなってすみません。お待たせしました……!」
「こんばんは、ソフィー。まだ約束時間前だし、全然待ってないよ」
「オルンの言う通りだ。それよりも、今日は一緒に居られなくてすまなかったな」
「お姉ちゃんはお仕事だもん。仕方ないよ」
ソフィーはセルマさんに気にしていないと伝えながら彼女の隣の席に座る。
「……王都は楽しめたか?」
「うん! さっきまでダウニング商会で買い物してたんだ! 可愛い魔導具とかもあってね、すごく楽しかった! 後で買ったやつ見せてあげるね」
ダウニング商会とは、大陸中央に位置し魔術大国と呼ばれているヒティア公国に本店を持つ商会だ。
そして大陸全土に支店を構える大陸有数の商会で、主に生活用の魔導具を販売している。
元々はフロックハート商会をはじめとした国内の商会が幅を利かせていたが、半年前の件でフロックハート商会がダウニング商会に取り込まれたことで、この国でも商圏を広げている。
ダウニング商会に黒い噂は無いし、この商会の商品は優良なものが多いと聞く。
フロックハート商会が無くなってしまったことには思うところがあるが、一顧客としてはダウニング商会が国内でも浸透してきてくれたことは嬉しい面もある。
ソフィーがニコニコとした表情で本当に楽しそうに今日のことをセルマさんに話している。
話を聞いているセルマさんも嬉しそうな表情をしていて、非常に心が和む光景だった。
全員が揃ったところで料理が運ばれ、ソフィーの成人祝いを兼ねた食事が始まった。
俺たちは高級料理店のコース料理に舌鼓を打ちながら、会話を楽しんだ。
運ばれてくる料理は当然美味しいが、勇者パーティ時代に貴族向けの料理を食べる機会が多かった俺には特別珍しいものでは無かった。
セルマさんも似たようなものだと思うが、あまり良いとは言えない幼少期を過ごしたソフィーにとっては全てが物珍しく映ったようで、新しい料理が出されるたびに様々なリアクションをしていた。
ソフィーが楽しんでくれているようで良かった。
俺と同じことを思っているのか、ソフィーに見せるセルマさんの表情はいつも以上に優しいものだった。
「最近、大迷宮攻略の方も順調なようだな」
「はい! 先日五十層のフロアボスを倒したと報告したと思いますが、今は五十三層まで到達しています! 来月中に下層に到達することが直近の目標です!」
《黄昏の月虹》の情報は逐一仕入れているから五十三層まで到達していることは知っている。
今年の春頃に行われた教導探索では五十層までしか進んでいない。
だけど今は自分たちの力だけで当時よりも深い階層に到達してるのだから、そう考えると感慨深いものがあるな。
それにしてもかなりのハイペースだ。
《黄昏の月虹》は三十一層に到達してすぐにルガウに出現した迷宮調査に赴いた。
それから俺たちがツトライルに帰ってきたのは先月の上旬。
つまり一カ月ほどで三十一層から五十三層まで下っていることになる。
弟子たちの実力は既にAランク探索者に引けを取らないと思っているし、ルーナも一緒にいる。
このハイペースでもルーナが止めていないということは、《黄昏の月虹》にとって中層は既に難なく突破できる場所だということだろう。
一番懸念されていたキャロルの精神面についても、今のところは安定しているように見える。
たまにボーっとしているところも見かけるが、迷宮探索中はこれまで通りの集中力を保てていることはルーナから聞いている。
「それはなによりだ。だけど順調な時こそ足を掬われやすい。迷宮は危険な場所であることは常に念頭に置いておくようにな」
「はい、わかってます! ……オルンさんは、その、最近忙しそうですね」
俺の注意喚起に理解を示したソフィーが、探り探りといった感じで声を掛けてくる。
「…………ごめんな。最近は教導があまりできていなくて」
そう。俺はツトライルに帰ってきてから弟子たちとあまり一緒に居られていない。
一番の大きな理由は帝国の侵攻に伴う情勢の変化によるものだ。
現在、《夜天の銀兎》は方針として大迷宮の九十四層到達を優先事項にしている。
俺とセルマさんの会談相手として、ツトライルから比較的近い王都のスポンサーを割り振られたことも、この辺りに起因している。
これまで第一部隊は隔日で迷宮探索を行っていたが、最近は二日迷宮探索して一日フリーといったローテーションに変更となった。
フリーの日も優先的に着手したい事項が多くあって、教導にあまり時間を割けられていない。
時間が無いなんていうのは言い訳であることはわかっているが、一日の時間がもっと長ければと栓無き事を考えることも増えた気がするな……。
「いえ! そういうつもりで言ったわけではありません。オルンさんがお忙しいことはわかっていますし、私たちももう《夜天の銀兎》の正式な探索者です。それに成人にもなったので、オルンさんに甘えてばかりもいられません」
「ソフィアは本当に強くなったな」
自立心の芽生えたソフィーの発言を聞いたセルマさんが嬉しそうな表情を浮かべている。
「えへへ、私も今月から大人だもん。当然だよ!」
「ふっ、これは私たちも負けてられないな、オルン」
「……そうだね。一日も早く九十三層を攻略しないと」
◇
「ソフィー、料理は美味しかった?」
運ばれてきた料理を全て食べ終えたところで、俺がソフィーに問いかける。
「はい! すごく美味しかったです! オルンさん、お姉ちゃん、こんな素敵な場所に連れてきてくれてありがとうございました!」
「どういたしまして。ソフィアが満足してくれたなら連れてきた甲斐があった。改めて、成人おめでとう」
「おめでとう、ソフィー」
セルマさんと俺がお祝いの言葉を口にすると、ソフィーが恥ずかしがりながらも満面の笑みを見せてくれた。
「そうだ、俺からソフィーに成人祝いを用意したんだ。良かったら受け取ってほしい」
そう言いながら収納魔導具から術式を書いている紙が封入されている封筒を取り出してソフィーに手渡す。
「あ、ありがとうございます。……手紙? あの、中を見てもいいですか?」
「勿論。喜んでもらえるといいんだけど」
俺が中を見ても良いと言うとソフィーはワクワクしているような表情で、封筒を開封して中に入っている紙を取り出す。
「……これは、術式ですか?」
中の紙に書かれていたものにざっと目を通したソフィーが問いかけてくる。
「正解。物とかだとセルマさんと被るかもと思って、俺からはオリジナル魔術をプレゼントしようと思ってね。その術式の魔術名は【増幅連鎖】。恐らく俺よりもソフィーの方が上手く扱える魔術だろうから。術式もソフィー用に改変している」
「あの、【増幅連鎖】ってオルンさんのオリジナル魔術、ですよね?」
「あぁそうだ。その魔術を設置した場所を通過した攻撃魔術の術式を読み取って、自動で威力を増幅させた同じ魔術を発動してくれる魔術だ」
「そ、そんな凄いもの、本当にいただいて良いのですか……?」
「うん。受け取ってほしい。ソフィーならこの魔術を使いこなせると思うから」
この魔術は通常の魔術と異なる。
それは異能の併用を前提として組み上げた術式だからだ。
ただ、ソフィーの異能である【念動力】でも再現可能であることは既に確認しているし、問題無く発動できるだろう。
この魔術をきっかけに更に異能を開花させてほしいと思ってる。
「……ありがとうございます。オルンさんのご期待に沿えるようこの魔術を使いこなしてみせます!」
「うん、楽しみにしている」
こうしてスポンサーとの会談とソフィーの成人祝いは終わった。
ツトライルに帰ってからはやることが盛りだくさんだ。
それに、九十三層の攻略も本格的に始まる。
第一部隊の実力であれば攻略は可能だろうが、気を抜かずに臨むとしよう。
最後までお読みいただきありがとうございます。
第五章開始です!
本章では物語を動かしつつも、キャラや世界観を掘り下げる方に注力できればと思っています。
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