146.シオン・ナスタチウムという魔術士
「本当に大丈夫なのか?」
ローブ女と離れてから《英雄》と合流し、これからやることを伝えると《英雄》が心配げな表情で問いかけてきた。
「問題無い。これまで、とんでもない天才や自己主張の激しいやつと何年もパーティを組んできたからな。そして、そいつらが十全に動けるようサポートしてきた。お前一人サポートすることくらい造作もない」
《英雄》の問いかけに対して俺は、あいつらのことを思い出しながら返答する。
「……そうか。なら良い。にしても、《黄金の曙光》を南の大迷宮九十四層まで導いた付与術士の支援を受ける日が来るなんてな」
「俺のこと知っていたのか……?」
「まぁな。確かにお前は世間で有名な探索者ではなかったが、オズウェルやその部下がお前のことを気にしていてな、俺もそれで覚えていた。お前とはもう一度、今度は何のしがらみも無しに戦ってみたい」
「勘弁してくれ。お前ともう一度戦うなんて御免だ。それにそんな余裕はこれからのお前には無いだろうが」
「ははは……、確かにな……。俺が自由に振舞えるのもこれで最後だろう。だから、最高の戦いをさせてくれよ、オルン」
「わかった。好きに暴れろ、《英雄》!」
俺たちの会話が終わると、《英雄》――フェリクスが地面を蹴って空中に踊り出る。
ローブ女から頼まれたことは二つ。
一つは竜群のヘイトを稼ぐこと。
俺自身まだ戦える体力は残っているが、ローブ女の作戦が完璧に嵌まる保証は無い。
それであれば、ローブ女の異能で体力も回復しているフェリクスに暴れてもらう方が断然良い。
そして体力を無駄に使わず最大限の結果を生み出す方法は、――俺が付与術士としてフェリクスをサポートすることだ。
彼は戦闘中に自分で必要なバフを賄っていた。
それは、この場に仲間が居ないから仕方なくではなく、普段からそのスタイルで戦闘をしていると考えた方がしっくりくるほどに手慣れた動作だった。
支援魔術による自己バフは、使いこなせれば高いパフォーマンスを発揮することができる。
但し、バフにリソースの一部を割いているため、実力を一〇〇パーセント出しきることは事実上不可能だ。
やはり実力を一〇〇パーセント出しきるには、阿吽の呼吸が可能な付与術士が必要となる。
まぁ、氣を扱えればこの制約から解き放たれるがな。
(本格的な付与術士をやるのは半年振り、か……)
そんな感慨を覚えながら術式を構築する。
「【全能力上昇】【四重掛け】!」
ログのために開発した、俺以外にも効果のある【重ね掛け】を【四重掛け】で発動する。
フェリクスのバフの継続時間は約百秒。
オリヴァーにはほど遠いが、フェリクスも相当魔力抵抗力が高い。
俺は付与術士として勇者パーティに所属していた。
そしてバフの効果が低いという致命的な欠点を抱えていたことが原因で、最終的にパーティを追い出されることになった。
しかし今はその欠点を克服している。
といっても、このバフには依然として回数制限のようなものがあるから、完全な克服とは言い切れないものがあるが。
「ははは! これはすごい!」
フェリクスがドラゴンを黒い霧に変えながら、興奮した声を上げている。
「喜んでもらえているようなら何よりだよ」
フェリクスの言葉に呟くように返答しながら、いくつもの術式を構築しては魔術の発動を繰り返す。
先ほどまでのフェリクスとの戦闘から取得したあいつの性格や戦闘時の癖から、次の動きを推測しそれに最適なサポートを行う。
剣を振るう場所の鱗が硬い際や飛ぶ斬撃による広域攻撃をする際は【瞬間的能力超上昇】を、魔術をばら撒く際は【増幅連鎖】を、死角からやってきた攻撃に対しては【反射障壁】を、それ以外にも様々な魔術を駆使してフェリクスが戦いやすい環境を作り出す。
フェリクスの鬼神の如き暴れぶりに、ほとんどのドラゴンがフェリクスにヘイトを向けて襲いかかってくるが、ごく少数のドラゴンがこの場からの逃走を図る。
そいつらは俺かローブ女の攻撃魔術によって黒い霧に変えられる。
ドラゴンたちが徐々にフェリクスとの距離を詰めていき、竜群の密度が高まっていく。
それに比例するように俺の頭痛は主張が激しくなってくる。
「はぁ……はぁ……、シオン! そろそろいいか?」
「っ! うん、もう大丈夫。二人ともありがとう。二人は空中に退避して」
ローブ女に頼まれた二つ目、それはドラゴンどもを可能な限り一カ所に集めること。
一カ所に集めさえすれば、
「私の魔術で一掃する……!」
俺はその声を聞いてから【空間跳躍】を発動して、自分とフェリクスを上空へ転移させる。
空中で魔力の足場に立ってからローブ女の方を見ると、彼女の周囲に魔力が集まっていくのを感じる。
ドラゴンたちはフェリクスを見失い、その魔力に引き寄せられるかのようにローブ女の方へと注意が向く。
(この魔力の流れ、まるでルーナが精霊魔術を発動するときのような……)
既視感のようなものを感じていると、ローブ女の右目から高密度によって可視化された白銀の魔力が漏れ始め、その右目には魔法陣とも違う幾何学的な模様が浮かび上がっていた。
ローブ女が杖の石突で地面をトンと叩く。
すると彼女を中心とした半径約一メートルの地面が、まるで霜が降りたかのように一瞬で凍てつく。
それから凍てついた地面があっという間に彼女の前方に扇状に広がり、彼女の前方に銀世界が生まれた。
「…………」
「オルン、仕上げだ」
地上の光景に目を奪われていたが、フェリクスの声で我に返る。
「わかった。いつでも大丈夫だ。タイミングは俺が合わせる」
「それじゃあ、いくぞ!」
フェリクスが声を上げながら異能を使用した。
俺たちが居る上空とその下に居る竜群の間に斥力が生まれる。
上方向の力はフェリクスの異能で相殺したため、俺たちに影響は無い。
対して相殺されていない下方向の力に押されるようにして竜群が地面に追いやられる。
それに俺の【重力操作】による重力増加を加えることで、ドラゴンたちが凍てついた地面に引き寄せられるように落ちていく。
「……ここまでお膳立てしてやったんだ。失敗なんかするなよ、シオン」
俺はそう呟きながらローブ女の方に視線を向ける。
ローブ女の周囲に集まっている濃密な魔力が術式を介して魔術へと変わる。
「精霊魔術――【霜嵐】!!」
ローブ女が魔術を発動すると、銀世界に極寒の風が吹き上げる。
その風に煽られたドラゴンたちの体表が次第に凍り始め、氷がドラゴンを包み込んでいく。
特級魔術にも似た効果の【極寒氷雪】という魔術がある。
しかし、この魔術は【極寒氷雪】を優に超えるほど広域に干渉できるようだ。
更に【極寒氷雪】は凍らせることができる対象は魔力抵抗力の低い下級の魔獣が精々の雑魚殲滅用の魔術といえるが、これはこのドラゴンたちを短時間で氷結させるほどに強力なものだ。
ローブ女のこの魔術は【極寒氷雪】の完全上位互換といえる。
……それに、この魔術は対象を氷結させるだけの単純な魔術ではないような気がする。
竜群が苦悶に満ちた鳴き声に包まれるも次第にその声は小さくなり、銀世界に氷結されたドラゴンの山が残された。
ドラゴンたちは体表だけでなく体内も凍りついたようで、体が黒い霧に変わる。
本来であればこの霧は霧散していくが、氷に閉じ込められているため黒い霧を閉じ込めている氷像のようになっていた。
彼女は宣言通りに魔術一つで竜群を一掃した。
「噂には聞いていたが、実際に見たのは初めてだな。これが《白魔》――白銀の魔女の実力か……」
フェリクスがこれだけの数のドラゴンをあっという間に殲滅したローブ女の魔術を見て、恐怖をにじませながら呟く。
かくいう俺もこの魔術には戦慄を覚える。
この魔術には発動条件や術式構築に時間が掛かるといったデメリットも存在するようだが、ローブ女が作り出した銀世界全てが魔術の影響を受けるというのであれば、使い方次第で街すら滅ぼしかねないものだ。
そんなことを考えていると、氷が砕けるような音と一緒にドラゴンの咆哮が上がる。
その正体は俺の異能で地面に縛られ、ローブ女の魔術に巻き込まれていた黒竜だった。
その黒竜が出現させた十個の紫色のモヤを一つの巨大な魔力の塊にすると、その塊を俺たちに向けて撃ち出してきた。
「フェリクス、防御は任せた。黒竜は俺が仕留める!」
「任せろ」
不敵な笑みを浮かべるフェリクスが上段に構えた剣を振り下ろし、魔力弾を両断する。
それを脇目に俺は黒竜を見据える。
「――【陸ノ型】」
右手で握っている魔剣を弓の形に変化させる。
左手で弦を引き、左手首の収納魔導具から【魔剣合一】を発動する際に使用している収束魔力を出現させ、それを矢に変える。
弓矢を構えながら矢の魔力を限界まで収束させると、その周囲の空間が歪み始めた。
黒竜に狙いを定め、今の俺が放てる最強の攻撃を繰り出す。
「――【黎天】」
俺が放った漆黒の矢が黒竜を貫き、天閃の時と同様に魔力の拡散が起こる。
更には矢のあった位置から重力場が発生したことで、拡散した後に霧散するはずの漆黒の魔力は球体の形でその場に留まる。
球体の周囲が重力場の影響で歪み、氷像の山を吸い込んでいく。
球体に飲み込まれたものは魔力と重力による破壊の奔流によって消滅することになる。
全ての氷像を吸い込み終わると球体は徐々に小さくなっていき、最終的に消え去った。
漆黒の球体が存在した場所には文字通り何も残っていない。
黒竜や氷像は当然、球体に飲み込まれた大地もごっそりと消滅していた。
「……なんか、私の魔術の衝撃が薄れた気がするんだけど」
竜群の殲滅が完了し俺とフェリクスがローブ女の元に向かうと、彼女が不貞腐れたような表情で文句を口にした。
「そんなことないだろ。お前の魔術が無かったら俺もあんな大技を使うことができなかったわけだし」
「どちらの攻撃も凶悪って点では優劣付けられない。あの攻撃が俺に向いていたらと思うとゾクゾクする」
フェリクスがフォローを入れてきたかと思えば、目を輝かせながら先ほどの俺たちの攻撃を思い出しているようだった。
(コイツのこの性格は素なのか? いいのかよ、こんな戦闘狂が次期皇帝で……)
そんなことを考えながら冷たい視線をフェリクスに向けていると、ローブ女も同じことを考えていたのか同様の視線を向けていた。
それから少しの間気分を落ち着かせてから、気持ちを切り替える。
「気を抜くのもここまでだ。フェリクス、早速次の行動に移るぞ」
「わかっている。俺の方はいつでも行ける」
『次』とはルガウに向かうことだ。
ルガウでは現在進行形でレグリフ領の領邦軍と《英雄》の近衛部隊が戦闘を繰り広げている。
その戦いを鎮静化させるために動かないといけない。
(そのはずなんだが、なんだ、この違和感は。何か見落としているような、そんな感覚だ。――いや、何か見落としていたとしても、ルガウの件を何とかするのが最優先であることに変わりはないか)
「ローブ女、お前はどうするんだ?」
「私の呼び方はローブ女のままなんだね……。って、あれ? 見逃してくれるの? てっきり私のことを捕らえるのかと思ってたけど」
コイツは犯罪者だ。
今回は手を組んだが、それでコイツの罪が消えるわけではない。
本来なら捕まえるべきだろう。
その上で情報を吐き出させる。この女は恐らく俺の知らない重要な情報をいくつも持っているだろうから。
しかし、俺が捕まえようとすればこの女は抵抗するはずだ。
今の俺にこの女と競り合えるだけの体力は残っていない。
それに今は、ルガウの件の方が重要だ。
時間を掛けるとそれだけ状況は悪い方向に進み続けることになるため、可能な限り早く終結させないといけない。
「この場でお前を捕まえられるとは思えないからな。……今回の件は感謝している。これ以上関わってこないならこちらも今回は干渉しない。だが、お前が俺の弟子を殺そうとした事実は消せない。そのことは忘れるなよ」
「……うん。赦されることだなんて思ってないよ。それじゃあ、見逃してくれるみたいだし私はここで離脱させてもらうよ。私は私でやらないといけないことがあるから。――あ、そだ、オルン」
「……なんだ?」
「オルンは自分が決めた道を真っ直ぐ歩んでね。オルンがどんな選択をしようとも、私たちはそれを尊重するからさ」
「…………」
その言葉を聞いた俺は驚きが隠せなかった。
それは以前オリヴァーから言われた言葉とほとんど変わらないものだったから。
何で彼女がオリヴァーと同じことを……。
「それじゃあね、オルン。《英雄》も今後の行動には期待してるよ」
悲しげな表情でそう告げてくる彼女を見ると再び胸が痛くなった。
その痛みを無視しながら遠ざかっていくシオンを視界から外して、フェリクスに話しかける。
「ルガウに向かうぞ、フェリクス。――戦いを止めるために」
「あぁ、ルガウの戦いを止めて、父上を――皇帝を問いただす!」
俺は違和感を覚えながらもフェリクスと共にルガウへと向かった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。