143.キャロラインの異能
そう口にしたローブ女は怪訝な面持ちで氷に閉じ込められている赤衣の男に視線を向けている。
するとすぐに氷塊にいくつもの亀裂が走り、氷塊が崩れていく。
「……ほぉ。これが氷の中の時間を疑似的に停止させる魔術かぁ。これは貴重な経験をした」
「……やっぱり私の魔術は対策済みってわけ」
「それは当然でしょ。そうじゃなきゃ君の前に出るなんて怖くてできないからね」
ローブ女の言葉に赤衣の男があざ笑うように答える。
「そう。それなら仕方ないね」
ローブ女がそう呟いた直後、赤衣の男の全身から血が噴き出す。
これは【風刃】によるものだろう。
相変わらずの発動速度ではあるが、先ほどの氷塊ほどの速さではない。
上級探索者などの戦闘に長けた者であれば反応できたはずだ。
これに全く反応できていないこの男は戦闘に関しては専門外ということか?
そんな奴が何故ここにのこのこと出てきた?
「――え……。ぐぁぁああ! 痛ぇぇええ!!」
先ほどまであった余裕な雰囲気が霧散した赤衣の男が、地面に倒れてのたうち回っている。
この赤衣の男が《アムンツァース》に敵対する人間であることはわかったが、所属はどこだ?
《アムンツァース》に敵対している組織で真っ先に候補に挙がるのは探索者ギルドだろう。
この男は探索者ギルドの人間?
いや、先ほど《英雄》に投げかけた言葉がギルドの人間のものとは到底思えない。
この場に居る人間全員に対しての警戒を解かずにそんな栓無きことを考えていると、赤衣の男の切り傷がみるみるうちに塞がっていった。
それは信じられない光景だった。
俺はこの現象に見覚えがある。
これは、間違いなくキャロルの異能である【自己治癒】だ。
俺が【重力操作】を拡大解釈して【魔力収束】と勘違いしていたものとは違う。
これは九分九厘【自己治癒】であると俺の感覚が訴えている。
「ふぃ。痛いじゃないか。傷なんかは勝手に治るが、痛みはあるんだからな? もうやめてくれよ?」
何故俺はこの可能性に思い至らなかったんだ?
この男の所属なんて一つしかないじゃないか。
そこに所属する者の特徴は、この男のように真っ赤に染まった衣服を身に纏っていること。
その組織の名は、――《シクラメン教団》。
「まさか、それを本当に確立させていたなんて……」
「あぁ、やっぱり君たちの耳にも届いていたんだ。いやぁ、大変だったよ。でもさぁ、これ以上の研究には〝精霊の瞳〟が必要なんだ。だというのになかなかどうして見つけることができなくて困り果ててるんだよ。《白魔》なら在処を知ってるよね? 教えてくれないかな?」
ローブ女が動揺した声で呟くと、赤衣の男が意気揚々と答える。
もしもこの男が関与しているのであれば、その時は――。
「さぁね。仮に知っていたとして、教えると思う?」
「そんな意地悪なこと言わないでくれよ。この研究は人類を進化させるかもしれないものだ。それはわかってるだろ?」
「――どうでもいい話はそこまでだ」
ローブ女と赤衣の男の会話を強引に遮る。
「どうでもいい話? そんなわけないじゃないか。これは俺の研究にとって――」
「俺が聞きたいのはただ一つ。それにだけ答えろ」
「横暴なこと言うね。まるで独裁の王様みたいだ。ま、いいよ。何が聞きたいの? 俺の研究成果?」
「お前はキャロル――キャロライン・イングロットを知っているか?」
俺の問いに対して、赤衣の男が軽く目を見開く。
「…………あぁ。懐かしい名前だ。彼女とは十年ほど前から知り合いだったよ。でも残念ながら彼女は二年前にこの世を去ってる。どうして君がキャロラインのことを知っているんだい?」
赤衣の男は一瞬迷ったようだがすんなりと接点があったことを認める。
これで確定、か。
キャロルが二年前より以前に《シクラメン教団》から非人道的な扱いを受けていたことは知っている。
その理由はキャロルの異能である【自己治癒】の解析、延いては他者にその異能を与えるためなんだろう。
キャロルの異能は貪欲な人間からすれば喉から手が出るほど欲しい異能だろうしな。
そして、この男が【自己治癒】を使っていたことや何やら研究をしていたという発言から、こいつがキャロルに対して非道な仕打ちをしてきた人間の一人と考えるのが自然だ。
「おい、ローブ女」
赤衣の男から知りたい情報を得た俺は続いてローブ女に声を掛ける。
「……もしかしなくても、ローブ女って私のこと? 私にはシオン・ナスタチウムって名前があるんだけど」
「あいつは俺の手で仕留めるから邪魔をしないでくれ。もし邪魔をするというならお前も容赦しない」
「会話になってないよ! ……まぁ、オルンがあいつを殺るって言うなら別に邪魔をするつもりはないけどさ」
「おいおい、物騒な話だなぁ。こんな無力で善良な一般人に手を上げるなんてさ」
「……善良な、一般人、だと? 女の子一人の心を壊しておきながら、何を寝ぼけたことぬかしてんだよっ!!」
「女の子ってキャロラインのことを言ってるの? あれは人類の進化に必要なことだったんだ。必要な犠牲ってやつだよ」
この男の話を聞いていると怒りが込み上げてきてしょうがない。
あいつの口ぶり的にその研究は〝精霊の瞳〟とやらが無いために中断されていると思われる。
だとすれば、その〝精霊の瞳〟を赤衣の男が手に入れれば、再びキャロルにこの男の魔の手が伸びることは充分に考えられる。
仮に数十万歩譲って人類の進化に必要だったとしても、俺はそんなものを認めない。
キャロルは俺の大切な弟子だ。
大切なものが理不尽に巻き込まれる可能性があるなら、その芽はここで摘ませてもらう。
魔剣の魔力を更に収束させた俺は、その魔剣を振るい天閃を放つ。
しかし漆黒の斬撃は、赤衣の男に届く前に甲高い音とともに霧散した。
「……なんだ?」
「おいおい、嘘だろ……? 俺のとっておきの魔導具がたったの一撃で壊されるなんて。相変わらず恐ろしい存在だな」
漆黒の斬撃が霧散したことに俺が疑問を覚えていると、赤衣の男が冷や汗をかきながら動揺したような口調で何かを呟いていた。
どうやら天閃を防いだのは、あいつの魔導具のようだ。
だが壊れたならもう俺の攻撃は防げない、そう考えた俺は再び天閃を放つ。
しかしそれも再び防がれる。――目を覚ました《英雄》によって。
先ほどまで満身創痍だった《英雄》は、自身で発動した回復魔術で傷こそある程度治っていたが体力は回復していないようでふらついていた。
「はぁ……はぁ……。……なんで、お前がここに居るんだ?」
状況をいまいち理解できていない《英雄》は背後に居る赤衣の男に問いかける。
やはりこの二人は知り合いか。
帝国は《シクラメン教団》に関りがあると言うことか?
帝国の皇族が犯罪者組織と関わっているなんて世も末だな。
「おぉ! 殿下! 助かりました。死なないとはいえ痛い思いをするのは嫌ですからね。俺がここに居る理由は殿下のバックアップをするよう皇帝陛下より頼まれたからですよ」
「……父上から? そうか、なら必要ない。俺は目の前の男と戦わなければいけないからな……!」
《英雄》の戦意は全く衰えておらず、子どものような真っ直ぐな目をこちらに向けてくる。
(なんでこのタイミングで目覚めてるんだ。戦闘狂の相手なんかしている暇はないんだよ……!)
「それはできない相談ですねぇ。今のボロボロな殿下にはお任せできません。この一瞬の時間を稼いでくれただけでもう充分です。あとは俺に任せてください」
「なんだと――」
赤衣の男が《英雄》に異を唱えると、いつの間にか持っていた拳大の魔石を全力で上空へと投擲する。
魔石が上空で静止すると、その周囲の空間が歪みはじめ空中に巨大な穴が空いた。
その巨大な穴の中から雷鳴のような咆哮が轟く。
そして穴の中から紫色の槍のようなものが数本飛来してきた。
「嘘だろ……。どうして……」
その槍を難なく躱すことはできたが、俺の頭の中は混乱の真っ只中にあった。
(この魔力で作られた槍は、間違いなくあいつの魔法によるものだ。でも、ここは地上だぞ!? どうなっているんだ!?)
再び上空に空いた穴を見上げると、続いて大きな炎の塊が落ちてくる。
その炎弾を迎撃するために魔剣を振るおうとしたが、背後から「私に任せて」と声を掛けられる。
ローブ女の周囲から銀色の風が舞い上がる。
それが炎弾を包み込むと次第に炎弾が小さくなっていき、俺たちに届く前に消失した。
同じタイミングで紫色の槍と炎弾を打ち込んできた張本人が穴の中から姿を現した。
そいつは全身が黒曜石のような光沢のある黒い鱗に覆われ、巨大な爬虫類を思わせる体をしている。
更にその背中からは巨大な体を覆い隠せそうなほどの翼が生えていた。
その正体は南の大迷宮九十二層のフロアボス――黒竜だった。
「あはは! 驚いたかい? 実は偶然黒竜の死体を手に入れることができてね。再現してみたんだけど、どうかな? 是非とも黒竜と相対したことのある《竜殺し》の感想を聞かせてくれよ!」
赤衣の男が興奮気味に声を上げる。
「なんだ、偽物か」
いきなり黒竜が現れたことに動揺していたが、冷静に観察すれば偽物だとすぐにわかる。
存在感も威圧感も本物にはほど遠い。
既に本物を乗り越えている俺にはなんの障害にもならない。
しかし、死体があるからと言って人が魔獣を作り出すことなんてできるのか?
「残念ながら大迷宮の魔獣は規格が全く違うからねぇ。これからも解析を続けて更にブラッシュアップしていくつもりさ。――でもこんなものでは王様には物足りないようだから追加だ!」
赤衣の男がそう言いながら指を鳴らすと、上空に黒竜が現れた穴より小さい穴がいくつも空いた。
その中から飛竜、火竜、水龍といった多種多様な竜種が現れる。
「差し詰め、竜群の進攻といった所かな。いくら本物には程遠いとはいえ、大量のドラゴンが居ればこの領地を攻め滅ぼすことは可能だよね」
赤衣の男がまるで勝ちを確信したと言わんばかりの口調で口を開いた。
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