133.呼ばれた理由
「あ、師匠! おはようございます!」
朝目を覚ました俺は、準備を終えてから自室を出る。
部屋を出たところでちょうどログと出くわした。
「あぁ、おはよう」
ログとキャロルが衝突したあの日から更に一カ月と少しが経過した。
ログはあれから持ち直して精神的にも安定したと思う。ひとまずすぐに爆発するような危険な状態からは脱することができたと考えてよいだろう。
「ししょー、おはよー! ログもおはよー!」
ログと一緒に食堂へとやって来ると、先にやってきていたキャロルがいつも通り元気はつらつといった感じで挨拶をしてくる。
キャロルの方もルーナが上手くフォローしてくれたようで、次の日には普段通りに戻っていた。
そしてログがキャロルに謝罪をしたことで、今では元通りの関係に戻っている。
関係が拗れることは無いと思っていたが、実際元通りになって一安心だ。
俺たちが席に着いたところでソフィーとルーナもやってきて、四人が食事を摂りはじめる。
俺はいつも通り自室で携帯食料を食べたため、ここでは紅茶を飲みながら新聞に目を通している。
本来ならみんなと一緒に食事をするべきなんだろうが、もう何年も迷宮に潜る日の朝食は携帯食料で済ませていて、既に習慣のように根付いている。
無理に変えて調子を狂わすのでは本末転倒のため、せめて同じ空間で時間を過ごすことにしている。
五人で迷宮調査前ののんびりとした時間を過ごしていると、静かに扉が開いた。
そちらに視線を向けると、俺たちが初めてこの屋敷にやってきたときに出迎えてくれた、執事のルイスさんが部屋の中に入ってきた。
そのまま俺の近くまでやってきたため、読んでいた新聞を収納して椅子から立ち上がる。
「おはようございます、ルイスさん」
「おはようございます、オルン様。お食事中のところ申し訳ありません」
ルイスさんが丁寧に頭を下げながら声を掛けてくる。
俺たちは一応エディントン伯爵の客人となっているため、普段から丁寧な応対を受けている。
だけど、今のルイスさんは今まで以上に丁寧な所作で、『申し訳ありません』という言葉には必要以上の感情が籠っていたように感じる。
「いえ、全然構いませんよ。それで何か御用ですか?」
「はい。ご当主様がお呼びです」
エディントン伯爵が?
これまでにも彼から何度か呼び出しを受けたことはあるが、気を遣ってくれていたのか迷宮調査前に呼び出されることは無かった。
それが今回はこのタイミングでの呼び出し、そこまで急ぎの要件なのだろうか?
「わかりました。いつも通りエディントン伯爵の執務室へ向かえば良いですか?」
「はい。ご足労をお掛けしますが、何卒宜しくお願い申し上げます」
俺の問いかけに対して肯定してから、再び深く頭を下げるルイスさん。
少し大げさすぎないか?
◇
他の四人にはそのまま食事をさせて、俺一人でエディントン伯爵の執務室へとやってきた。
ドアをノックし来たことを告げると、部屋の中に入るよう声が返ってきたため扉を開ける。
部屋の中に足を踏み入れると空気が一変したように感じた。
重苦しいような、張り詰めた空気感が部屋を支配している。
「失礼いたします。オービル様、お呼びでしょうか?」
この空気感の発生源であるエディントン伯爵に声を掛ける。
近くのソファーには、エディントンの爺さんが腰かけている。
こちらは普段の好々爺然とした雰囲気そのままだが、その眼だけが鋭利になっている。
俺が部屋に入ったところでエディントン伯爵が口を開く。
「朝早くからすまない。時間が惜しいから前置きは無しだ。つい先ほど数名の帝国の軍人と思われる者らが、国境を越えて我が領に侵入してきたという情報が入った。――その際にうちの軍人が何人か殺されたらしい」
エディントン伯爵がいきなりとんでもないことを口にする。
帝国軍人が突然他国へとやってきただけでも驚きだというのに、越境時に数名を殺害だと?
不可侵条約だって結んでいたはずだ。帝国は何を考えている。
こんなの戦争に発展しても何らおかしくない行為だぞ。
「……侵入されたのは、具体的にどのくらい前ですか?」
「つい先ほど――十分ほど前だ」
十分前? ここから国境までどれだけ距離があると思っているんだ。
こんなに早く情報が伝わるなんて、それこそセルマさんの【精神感応】のような異能が無いと不可能だ。
であれば、伯爵家は同様の異能を持つ者を抱えているということか?
ひとまず、帝国の人間がここまで来るのには、まだ時間が掛かることはわかった。
時間に猶予はあるが、早く動くに越したことはないか。
「……そうですか。それでは、私どもは一度ツトライルへ帰らせていただきます。迷宮調査については、落ち着いた頃に再開とさせてください」
これは国家間の問題だ。俺たち探索者が安易に首を突っ込んで良い内容ではない。
加えてこの領内が戦場になる可能性が高い以上、こんなところでのんびり過ごすつもりはない。
ひとまずツトライルに戻って、今後の対応について検討しないとな。
それだけ告げてから退室するために伯爵に背を向けようとしたところで、
「それは困るよ、オルン君。――この日のために君をここに呼んだんだからね」
爺さんが口を開いた。
「この日のため?」
「うん。少し前から帝国内で不穏な動きが見えたからね。可能性としては五分五分だったけど、こういう事態は想定していた。君には働いてもらうよ。王国の英雄オルン・ドゥーラ君」
(なるほど、これが爺さんの――エディントン伯爵家の企んでいたことだったってわけか)
迷宮調査であればAランク探索者で事足りる。
更に《夜天の銀兎》にとって、今は大事な時期だ。それは爺さんも承知しているはず。
だというのにわざわざSランク探索者を三人も連れ出したのは、帝国が侵攻してきたときに戦力として数えるためだったというわけだ。
「買い被りですよ。私は英雄ではありません」
「そうだね。帝国の《英雄》のように一人で魔獣の氾濫を治めたわけでは無いからね。でも、儂が動かせる一番強い駒は間違いなく君なんだよ、オルン君。是非儂たちにその力を貸してほしい」
「お断りします。俺は軍人ではありません。探索者です。戦う理由がありません」
「いや、戦う理由はあるはずだよ。――帝国が今回侵攻をしてきた理由は、迷宮を確保するためだと儂は考えている。そう仮定した場合、国境を突破した敵が次に向かうのはどこだと思う?」
迷宮を確保することが目的だと?
帝国は大迷宮こそ失ったが、それでも大量の迷宮が存在している。
わざわざ他国の迷宮を狙う理由は無いはずだが、仮に爺さんの推測が当たっていたとすると、その場合相手が狙うのは……。
「ルガウ、ですか」
俺の言葉に、爺さん満足気な笑みを浮かべながら頷く。
(ふざけやがって……!)
俺は奥歯を噛み締めて、爺さんの顔面に拳を叩きこみたい気持ちをどうにかやり過ごす。
ルガウはウィルたちがいる街だ。
つまり伯爵家はウィルたちを半強制的に矢面に立たせるために、そこで活動させていたことになる。
「君は《夜天の銀兎》に入団した翌日の定例会議で『仲間を護るために全力を尽くす』と言ったようだね? 理不尽に戦渦に巻き込まれる仲間を見捨てて、自分だけツトライルに帰るのかい?」
「――っ!!」
俺の怒りが周囲に伝播したかのように、空気が振動する。
殺気すら孕んでいる俺の視線に、エディントン伯爵は驚きの表情で息を飲んでいるが、爺さんは鋭い目つきでこちらを睨み返してくる。
(このクソジジイが……!!)
今すぐにでもこの怒りを目の前の爺さんにぶつけたい気分だ。
こんな奴の思い通りに動かされるなんて癪だ。
しかし、ウィルたちに危険が迫っているのが事実なら俺の感情は後回しだ。
爺さんの話は信ぴょう性は低い。だが、俺が怒りに任せて爺さんを殴りつける可能性は充分考えられた。
それでもこの話をしたということは、爺さんの中であの推測はそれだけ確度の高いものということだろう。
俺は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから口を開く。
「……わかりました。ルガウに向かいます」
「そう言ってくれると信じていたよ。さっきも言ったけど儂たちはこの事態を想定していた。その対策もしていたから対処は可能だと思っている。一つの懸念材料を除けば、ね」
「懸念材料?」
「うん、入り込んできたのがどうやら帝国軍の中でも面倒な連中でね。――皇太子の近衛部隊みたいなんだ」
「皇太子の近衛部隊? それって……」
「うん。探索者の君でも良く知っているでしょ? 西の大迷宮を攻略した連中だ。そして、その中には当然《英雄》も居る」
《英雄》の異名で呼ばれている探索者――フェリクス・ルーツ・クロイツァーは、西の大迷宮攻略の立役者にして世界最強とも呼び声が高いサウベル帝国の皇太子だ。
大迷宮の攻略だけでなく、未曾有の規模の魔獣の氾濫を一人で鎮めたことや、模擬戦で帝国軍一個師団を単騎で崩壊させたなど、彼の武勇伝には事欠かない。
そんなふざけた存在が侵攻をしているなんて、背筋が凍る気分だ。
「オルン君には先行してもらい、《英雄》を所定の位置までの誘導をしてもらいたい。そこには既に対英雄用の魔導兵器が設置してあるから、それを使って《英雄》を無力化してほしい。他の敵は我々で対処する」
(対英雄用の魔導兵器……、そんなものを開発していたのか)
爺さんからその魔導兵器について詳しい説明を受ける。
内容を聞く限り個人相手に使うようなものではないが、相手はあの《英雄》だ。
これくらいしないと無力化はできないだろう。
「……仮にこの魔導兵器でも無力化できなかった場合は?」
「《英雄》さえ居なければ、敵を壊滅させられるだけの戦力は用意している。それを以って敵を全員生け捕りにする。そうすれば《英雄》は交渉のテーブルに着かざるを得ないでしょ。彼も仲間を殊更大切にする人みたいだからね」
「つまり、そちらが敵を捕らえるまで足止めをしろと?」
「そうなるね」
《英雄》が実際にどれほど強いのかはわからない。
西の大迷宮には南の大迷宮のように深層が存在しないため、攻略難易度は低いと言われている。
それでも数百年間攻略されなかった大迷宮を攻略しているということは、弱いわけが無い。
噂が独り歩きしているだけであれば良いが、もし噂通りの実力であるなら、――俺に勝ち目はない。
「俺は今回の一件で命を懸けるつもりはありません。勝ち目が無いとわかった時点で、ウィルたちと一緒に退却する方向で動きますので、その点はご承知おきください」
「それは仕方ないね。わかった。その時は君の判断に任せるよ。でも、僅かでも勝ち目があれば、退かないんだよね?」
「……これは貸しにしておきます。それと今回協力するのは俺だけです。《黄昏の月虹》は帰しますので。こんなふざけた戦いに弟子たちを巻き込むわけにはいきません」
「うん、元々あの子たちは戦力に数えてないから問題無い。それじゃあ、よろしく頼むよ」
◇
エディントン伯爵の執務室を後にした俺はすぐさま食堂へと戻り、ルーナと二人で空き部屋へと移動する。
「……何かあったんですか?」
部屋に入るとすぐにルーナが真剣な表情で問いかけてくる。
流石に長い付き合いだからか、俺の雰囲気が普段と違うことを察しているようだ。
「あぁ、時間が無いから端的に話す――」
俺は前置きをしてからルーナに先ほど聞いた内容を話す。帝国軍が越境してきたこと、その目的が侵略である可能性が高いこと、俺がこれからその対処に動くこと。
「何故、断らなかったんですか? これは戦争ですよ? オルンさんらしくありません」
「……確かにな。でも、ウィルたちが巻き込まれている可能性が高い。あいつらを見捨てることはできない」
「そう、ですか」
「ルーナはこのままソフィーたちと先にツトライルに戻っていてくれ。名目上は王都に向かうアベル・エディントンの護衛だ。と言っても軍人も数名護衛に入るから、《黄昏の月虹》にしてもらうことはほとんど無いはずだ。ツトライルに着いたら、すぐにこの件をセルマさんに伝えて欲しい」
早口でルーナに今後のことを指示する。
「……わかりました。オルンさん、絶対に生きて帰ってきてくださいね。こんなところで死ぬなんて許しませんから……!」
「勿論だ。死ぬつもりはない。適当に時間を稼いで、すぐにウィルたちと一緒に追いかけるから――」
ルーナとの話を終えると、続いて厩舎へと向かう。
本当は弟子たちの顔を最後に見たかったけど、今は時間が惜しい。
弟子たちへの説明はルーナに任せている。
厩舎へとやって来ると、馬と厩務員の老人、そしてアベルさんが居た。
俺が彼らに近づくとアベルさんが頭を下げてきた。
「オルン君、無理やり巻き込んでしまって、申し訳ない」
俺は今、アベルさんの頭を冷めた目で見下ろしているだろう。
この一件は俺の感情が納得していないだけで、決してこの人が悪いわけではない。そんなことはわかっている。
この領地を守る義務がある者であれば当然の行動だろう。
俺も同じ立場であればそうしていたと思う。
「俺に乗馬を勧めたのは、このような状況を見越してだったんですね」
「…………」
アベルさんは俺の声掛けには返答せず、頭を下げたまま俺とは目を合わせようとしない。
このままアベルさんと会話をしようとすると、酷いことを言ってしまうかもしれない。
俺はそれから何も言わずに、アベルさんの脇を通り抜けて馬に近づく。
首の辺りを中心に撫でながら「少し無理をさせることになるが、よろしく頼むな」と声を掛ける。
それから馬に跨り、俺はルガウに向けて駆けた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話はウィル視点。
ここからはバトルメインとなる予定です。
次話もお読みいただけると嬉しいです。