131.衝突
屋敷に到着し一度解散をしてから、ルーナを連れて伯爵家の敷地内にある庭園へとやってきた。
「ついに、ってことでいいのか?」
「はい。オルンさんの考えている通りかと。認識に齟齬が無いように今日の経緯をお話ししますね――」
俺の問いかけを肯定したルーナは、何があったのかを語り始めた。
◇ ◇ ◇
《黄昏の月虹》は、本日の迷宮調査中にケルベロス五体の集団と出くわした。
調査中の迷宮で出くわす集団の中では最上位の強さを誇ると言って良いだろう。
弟子たちが負ける相手ではないが。
彼らはルーナの【囮の魔光】を上手く使いながらキャロルとログが足止めをして、ソフィーとルーナの魔術で倒していくという作戦を取った。
足止めをする数はキャロルが三体、ログが二体。
ログには付与術士としての仕事もあるし、妥当な配分といえる。
相手にするのが二体とはいえケルベロスは頭が三つだ。
攻撃が熾烈な魔獣でもあるし、対峙している者にとっては六体を相手取るような感覚に陥るだろう。
そのためログには、ケルベロスの攻撃を凌ぎながらパーティ全体のバフを維持することが精一杯だった。
とはいえ、Bランク探索者がここまでできるだけで充分すぎるというものだ。
実際誰一人として大きなケガも無く戦闘には勝利している。
だけど、ログはその戦闘内容に納得していなかったらしい。
その大きな要因はキャロルが三体を足止めしながらも、その内の一体を自力で討伐していたからだと思われる。
最近のログは無力感を抱いている。
ルーナは言わずもがな、ソフィーとキャロルも著しく成長している。
そんな三人と比べて、ログは自分が全然成長できていないと考えているようだ。
実際はそんなこと無いのだが。
そんな状況でキャロルがログに声を掛けた。「二体も引きつけるの流石だね!」と。
キャロルのその言葉には『パーティメンバーのバフを維持させながら』という意味が含まれていた。
普段のログなら汲み取れただろう。
しかし、今日のログは言葉通りに受け取ってしまい、「嫌味か!? 僕がお前に劣っていることはわかってる! いちいち言われなくてもな!!」とつい声を荒げてしまった。
キャロルは気配りができるし、人との距離の取り方も上手い。
とはいえ、それは完璧なものでは無い。
最悪のタイミングでキャロルは少し踏み込み過ぎた。
キャロルは自身に負の感情を向ける者には殊更委縮してしまう。
それは彼女のトラウマに起因するものだ。
俺が知る限りログがキャロルに声を荒げたことは一度も無い。
キャロルは初めてログに怒鳴られたことで、ログと接するのに怯えてしまっている。
ログもログでキャロルを傷つけてしまったことに後悔しつつ、自分の感情を持て余している。
これが、俺が戻った時に《黄昏の月虹》の雰囲気が変だった理由だ。
◇ ◇ ◇
「ルーナ、ありがとう。大方俺の予想通りの展開だった」
「オルンさん、本当にこれで良かったのでしょうか?」
ルーナが目を伏せながら問いかけてくる。
「関係に致命的な亀裂が入らないように最低限のガス抜きしていたし、今回の衝突は想定内の結果だ」
「確かにオルンさんが想定していた最悪の事態は避けられました。ですが、私たちが手を加えれば、そもそも衝突自体避けられたと思います。わざわざあの子たちを衝突させなくても……」
「あいつらの進む道を整地し続けることが、必ずしも正しいことだとは思わない」
あいつらが進む道を前もって整地していれば、転ぶことはないだろう。
だけど転ぶことなく歩き続ければ、立ち上がり方を覚えることができない。
俺が一生傍に居てやれるわけではないんだ。
だから転んでもすぐに起き上がれるように、俺の目の届く範囲で転んでもらう。
それが師匠としての俺の役割の一つだと思っている。
まぁ、これは完全に俺の持論だ。間違っていると言う人もいるだろう。
「それに、このくらいで関係が修復できないほど拗れるなら、それこそそんなパーティに未来は無い。今回の件が無かったとしてもいずれバラバラになる」
「……それは、そうかもしれませんね」
「でも、ルーナには意に沿わないことをさせてしまったことには変わりないよな。ごめん」
「いえ、あの子たちの教育方針はオルンさんに一任されているわけですし、大丈夫ですよ」
「ありがとう。重ねて申し訳ないけどキャロルの方を頼んでいいか?」
「勿論です。元々私からお願いしたことですし、お任せください。ログのことよろしくお願いします」
「あぁ、任せろ。――あ、それと、今回の一件とはあまり関係ないんだけど、最後に一つ聞いてもいいか?」
「はい。構いませんが……」
「もしかしたらルーナにとっては、あの日以来のぶっ飛んだ話になるかもしれないけど、――ルーナは自分の体に術式が刻まれているような、そんな感覚はあるか?」
「術式が刻まれている、ですか?」
「『刻まれている』というのは比喩表現みたいなもので、実際に刻まれているわけでは無いんだけど、体?魂?に術式があるようなそんな感覚なんだけど」
【重ね掛け】を確立した不具合の正体がこれだ。
俺は勇者パーティに居たころ一般の支援魔術を超える効果のある魔術の開発に注力していた。
だけど、支援魔術――それも基本六種は、深く知れば知るほど一切の無駄を削ぎ落した〝最適解〟ともいえる術式だった。
今もだけど、当時の俺にはそれ以上の魔術に昇華するイメージが何一つとして湧かなかった。
そこで発想を変えて、魔術ではなくバフを享受する者に普段とは違う何かしらの変化を起こせば、支援魔術の術式はそのままでもより効果が期待できるのではないか?と思い至った。
そこから人間の体について調べ始めた。
その過程で、俺は自分の体に術式が刻まれていることに気が付いた。
刻まれている術式は、これまで様々な術式を見てきたと自負のある俺でも一切見たことのないものだった。
じいちゃんの知識も借りて読み解いていくと、術式を弄ることで同じ支援魔術でもより恩恵が受けられることが判明した。
そして効率よく刻まれている術式を改変する魔術を完成させた。
それが【重ね掛け】の正体だ。
しかし、これは他人には意味を成さなかった。
『本人でないとこの魔術は効果を発揮しない』というのが当時の俺の仮説だ。
この魔術を公開する気が無いこともあって、この仮説を検証することはできなかったためこれ以上深くは考えていなかったが、今ではこの仮説も間違いだったとわかっている。
なぜなら――、恐らくこの術式は俺にしか刻まれていないだろうから。
氣についてある程度知った今では、人間全員にこの術式が刻まれているとは到底思えない。
「い、いえ、よくわかりません……。すいません、お力になれず」
「いや、それならいいんだ。変なことを聞いて悪かった」
人間全員に俺と同じ術式が刻まれているとしたら、俺とは別の意味で人間の構造に造詣が深いルーナが知らないことは考えづらい。
だとすると、俺の結論は当たらずといえども遠からずと考えて良いだろう。
それがわかっただけ収穫だ。
これが最後のピースだった。これであの魔術は完成と言って良いだろう。
あとはログと話をしないとな――。
◇
「やぁ、オルン君」
ログの部屋へと向かっていたところで声を掛けられる。
そちらに視線を向けるとラフな格好をしたラザレス・エディントンが居た。
俺たちがツトライルを発つ時点では、エディントンの爺さんはやることがあったらしくツトライルに残っていた。
その用事が終わったのか、先日こちらへ帰ってきて爺さんもこの屋敷で生活をしている。
体の向きを変えて爺さんに一礼する。
「ラザレス様、お久しぶりです」
「うん、久しぶり。ごめんね、帰ってきたときバタバタしちゃってて碌な挨拶もできなくて」
爺さんの言う通り、彼は帰ってきてすぐに息子であるエディントン伯爵と何やら話があったようで二人で部屋に引きこもってしまったため、大した挨拶もできていない。
「滅相もございません。こちらこそ迷宮調査にかまけてお伺いもせず、申し訳ありませんでした」
「それこそ何の問題も無いよ。それは我々の依頼に真剣に取り組んでくれている証拠だろうしね。それと、迷宮調査の中間報告は聞いたよ。流石はツトライル最強の探索者にして英雄だ。ここまで早く調査を進めるとは。当初は来年まで掛かると思っていたのに、今では今年中には終わる見込みだもんね。本当にすごいよ」
爺さんの今の発言、何か引っかかる。その何かはわからないが。
本当にこの人の真意は全く汲み取ることができないな。
「……恐縮です。これからも迷宮調査には全力を挙げることをお約束します」
「うん、期待しているよ」
「ありがとうございます。では、申し訳ありませんが、予定がありますので私はこれで失礼させていただきます」
そう爺さんに告げてから一礼し、その場を離れる。
その際に爺さんにバレないように【聴覚上昇】を発動した。
「優秀過ぎるというのも考え物だね。あちらさんも動くなら早くしてほしいものだ」
爺さんの誰にも聞こえないくらい小さな呟きを俺の聴覚が捉えた。
しかし、その呟きだけではどういう意味かはわからない。
流石にそんな簡単に尻尾は出さないか。
爺さんが何かしら企んでいるであろうことは確定だろうが。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。