124.勇者譚
やってきた迷宮は一般的な迷路のような造りの洞窟になっている。
洞窟というと薄暗い印象を受けるが、この迷宮は光を発している鉱石が多いためかすごく明るい。
魔術や魔導具無しで視界が確保できているのは有難い。
迷宮には視界を確保する魔術や魔導具が必須なところもあるからな。
先ほどアベルさんから貰ったこの迷宮の調査報告書の内容と齟齬が無いか確認しながら、迷宮内を散策する。
報告書によると階層全体の広さは大したことない。
むしろ狭い部類に入るだろう。
事前調査では七層まで降りたようだが、空間の広さにそこまでの変化はないらしい。
道中に現れる魔獣はゴブリンやオークといった一般的な魔獣の他に、三つ首の犬の魔獣や毒を持った蛇の魔獣といった珍しい魔獣も現れるようだ。
気の向くままに歩いていると、ゴブリンの集団に出くわした。
迷宮の一層目から魔獣が集団で活動するのは珍しいが、この迷宮では単独で活動している魔獣は皆無と報告書には書いてあった。
「ちょうどいいか」
俺は一言呟いてからシュヴァルツハーゼを出現させる。
それから氣を活性化させ、全身に巡らせた。
ゴブリンたちが俺に気付き、襲い掛かって来るが、
「――っ!」
氣による身体強化を受けた俺の動きにゴブリンたちは反応できず、一瞬で魔石へと変わった。
「ふぅ……。【三重掛け】と同等と言ったところか。ひとまず、必要最低限のレベルはクリアかな」
馬車での移動中も氣の鍛錬をしていた甲斐もあって、戦闘中も氣を活性化させた状態を維持できていた。
まだ意識の大半を氣に割いているため、求めているレベルまでは達していないが、第一目標は達成したと言って良いだろう。
「……またか」
氣を活性化させて身体能力を向上させると、それに付随して五感も鋭敏になる。
ここまでは問題無い。
だが、氣を活性化させると誰かに見られているように感じる時がある。
今もそうだ。
単に鋭敏な五感に慣れていないからとも思えるが、なんとも拭えない気持ち悪さがある。
「……気にしても仕方ないか。今は氣をより高度に扱えるようになることが最優先だ」
それから数回戦闘を繰り返してからエディントン伯爵家の屋敷へと帰ってきた。
◇
屋敷に帰ってくるとアベルさんが待ち構えていた。
俺を見るなり、「連れていきたい場所がある」と言われ、とある部屋に連れられた。
「これは……」
俺の視界に映っているのは、大量の本だった。
連れてこられた部屋は書斎のようだ。
「ここは僕の研究部屋だよ」
「研究部屋ですか? 書斎ではなく?」
「確かに書斎とも言うけど、僕は研究部屋と呼んでる。僕の趣味は歴史研究なんだ。ここにある書物は、その参考資料」
「歴史に関する書物をこんなに……」
蔵書数は《夜天の銀兎》の図書室に比べれば当然劣るが、それは比べる対象が悪いだけだ。
個人でこれだけの量を集めるのには相当な労力が必要なはず。
「ははっ、その輝かせた目、君もやっぱり僕と同類だ」
本の量に圧倒されて表情に出ていたらしい。
アベルさんは俺の表情を見て嬉しそうに微笑む。
「オルン君、君にこの部屋にある本を読ませてやっても良い。その代わりに一つ僕の要望を叶えてほしい」
「……要望ですか?」
今すぐにでも首を縦に振りたい。
しかし、相手は貴族の人間だ。
その要望とやらの内容が無理難題である可能性がある。
安易に応じることはできない。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。これは個人的なものだから。要望っていうのは、君の知識を借りたいんだ」
「続けてください」
「うん、さっきも言った通り僕は歴史研究をしていてね。最近はとりわけ迷宮について調べているんだ。そこで僕の考えに対する君の意見を聞いてみたい。トップレベルの探索者と話せる機会なんて早々無いからね」
本当に個人的な内容だった。
話を聞いて俺の意見を言うだけなら何も問題はないだろう。
「……ご期待に沿えるかわかりませんが、私で良ければ協力させてください」
俺の返答を聞いたアベルさんの表情がパッと明るくなる。
「本当かい!? ありがとう! それじゃあ、ここにある本は自由に読んでくれて構わない! この部屋にも自由に出入りしていいよ!」
「こちらこそ、貴重な本を読ませて頂けて光栄です。大変ありがとうございます。それで、早速アベル様のお話を伺いましょうか?」
「有難い申し出だけど、少しだけ時間をもらえるかな? 実はついさっき思いついたものだから、まだ話す内容を纏めきれていないんだ」
「畏まりました。迷宮調査以外の時間であればいつでも構いませんので、お声掛けください」
「うん、その時は声を掛けさせてもらうよ」
◇
それからアベルさんと別れ《黄昏の月虹》と合流してから時間を潰していると、エディントン伯爵家の当主であるオービル・エディントンが帰宅されたため、折を見て全員で挨拶に向かった。
「初めまして。《夜天の銀兎》所属のオルン・ドゥーラと申します」
「お、同じく、ローガン・ヘイワードです」
「ソフィア・クローデルです」
「キャロライン・イングロットですっ!」
「ルーナ・フロックハートと申します」
「遠路はるばる良く来てくれた。私がレグリフ領の領主にしてエディントン伯爵家当主のオービル・エディントンだ。君たちを歓迎する。ここを自分の家だと思って寛いでくれ」
「ありがとうございます」
「それで、私からの依頼内容はアベルから聞いているか?」
「はい。伺っております。明日から迷宮調査に取りかからせていただきます」
「わかった。手間を掛けるがよろしく頼む」
エディントン伯爵との挨拶を終えた俺たちはアベルさんも交えて七人で食事をした。
雰囲気自体は和やかなものだが、ログとソフィーが終始緊張しっぱなしだ。
だけど、これに関しては仕方ない。
むしろここでも敬語を使いながら普段通りに振舞えているキャロルが凄いと言うべきだろう。
俺とルーナだって初めて貴族を相手にしたときは緊張しっぱなしで、何を話したのか覚えていないくらいだったのに。
そんなログたちを見たエディントン伯爵が苦笑しながら「ここに慣れるまでは、食事は別々に摂ろうか」と提案してくる。
正直この提案は有り難い。
無理にこれを続ければ、ログやソフィーの迷宮調査にも悪影響を及ぼす可能性も捨てきれないからな。
「そ、そんな! 僕は大丈夫です! お気を悪くさせてしまい申し訳ありません!」
エディントン伯爵の言葉を聞いてログが焦りながら謝罪をする。
「ログ、落ち着いて。大丈夫だから」
軽くパニックになっているログに優しく声を掛ける。
「ローガン君、怖がらせてしまって悪かった。私もまだまだ父には及ばないな。私が別々にと言ったのは決して不快に思ったからではない。『食事は楽しく摂るもの』というのが私の持論だ。私やここの雰囲気に慣れたらまた一緒に食事をしよう。是非君たちの話を私に聞かせてほしい」
「は、はい……」
ログが上の空といった感じに返答する。
「エディントン伯爵、お気遣いいただきありがとうございます」
「君たちは我が家の客人だ。こちらこそ今日は無理に誘ってしまって悪かった」
「滅相もございません。貴重な経験をさせて頂きました」
エディントン伯爵に礼をしてから、更に言葉を重ねる。
「この子たちは応対を始め、あらゆる面で他の団員たちに劣っています。――しかし、この子たちは近い将来必ず《夜天の銀兎》の中心を担う者たちになります。ですので、他のスポンサーよりも先にエディントン様にご紹介したく、失礼を承知で連れてきました。もしも我々が問題を起こした際は全て私が責任を取りますので、温かい目で見守って頂けると幸甚です」
「元々君たちの多少の無礼は大目に見るつもりだ。変に委縮されて迷宮調査などに悪影響が出てしまっては本末転倒だからな。しかし、ツトライルを救った英雄がそこまで推すとは、この子たちはそこまでなのか?」
「はい。この子たちに目を掛けて損はしませんよ」
「……なるほど。君たちのパーティ名を聞かせてくれるか」
「《黄昏の月虹》です」
エディントン伯爵の問いかけにログが力強く答える。
「……覚えておこう」
◇
「師匠、すいませんでした」
夕食を終えて俺たちに与えられた部屋へと向かっていると、突然ログが謝ってきた。
「いきなりどうした? 謝られる覚えはないぞ?」
「いや、さっきの食事の時、僕のせいで……」
「ログだけじゃないよ! 私もずっと緊張しっぱなしだったもん……」
ログとソフィーがしょんぼりしている。
「俺が何も言わなかったとしてもエディントン伯爵は怒らなかっただろうし、問題にもしなかっただろう。むしろ俺はお前たちに課すハードルを上げたんだ。お前たちは俺に怒ってもいいんだぞ?」
さっきエディントン伯爵に言った言葉は本心だ。
だが、あの言葉がこの子たちにとっては重いものになるかもしれない。
潰れてしまう可能性もあるけど、俺は敢えてあの場で発言した。
この子たちなら難なくクリアしてくれると思うから。
「いえ、怒るなんて……! さっきの師匠の言葉すごく嬉しかったです!」
「私もです! オルンさんのあの言葉を嘘にしないようにより一層頑張ろうって気持ちになりました……!」
「あたしも~! ししょーの期待にこたえられるようにガンバル!」
「そうか。それは良かった」
会話を終えてから各人が自室に入ることを確認した俺は、来た道を引き返してアベルさんの研究部屋へとやってきた。
それから背表紙を見ずに一冊の本を手に取る。
歴史研究をしていると聞いていたため当然だが、歴史に関する書物だ。
内容としては数百年前の出来事が記されているようだ。
(おとぎ話の時代か)
おとぎ話とは、勇者譚という子どもでも知っている世界一有名な物語のことだ。
万人に受け入れられるよう脚色されているが、数百年前の史実を基にしていると言われている。
パラパラとページを捲りながら中身を確認する。
内容を要約するとこうだ。
◆ ◆ ◆
今から数百年前、歴史上最凶と呼ばれている魔獣――通称邪神――が突如として現れた。
邪神は瞬く間に世界中を混乱の渦に陥れる。
世界の各地で争いが絶えない暗黒の時代へと突入すると思われたところに、一人の人間が立ち上がる。
その者は、仲間や妖精の協力も借り、激しい戦いの末に邪神を討伐した。
その功績からその者は、勇ましい者――勇者と呼ばれる。
勇者は邪神討伐後に世界の混乱を防ぐために一つの国を建国した。
その国が中心となり邪神によって齎された混乱を収めたことで、平和な世を迎えることができた。
晩年の勇者は『異能者の王』と称えられ、今の時代の礎を築いたと言われている。
◆ ◆ ◆
本を読み終えた俺はその本を元の場所に戻し、別の本を取り出すとその本を同様にパラパラとページを捲る。
それから時間が来るまで読書に耽る。
◇
夜が深まり、屋敷内の人間のほとんどが就寝の時間となると、屋敷内から人の気配が無くなった。
俺は自身に【潜伏】を発動してから、気配を殺しながら外へ出る。
そのまま街も出て、日中に行った迷宮へと戻ってきた。
報告書に書いてあった比較的広い空間に到着するとオークが三体ほど居た。
未だ【潜伏】を継続している俺に、オークたちは気付いていない。
「すーっ、ふぅ……」
静かに息を吸い込み、それから静かに息を吐く。
それから覚悟を決め、氣を活性化させてから全身に巡らせる。
ここまでは問題無くできるようになった。
ここ最近よく見る夢と似たような感覚だ。
だけど、オリヴァーと戦っていた時はこれ以上だった。
夢の感覚を思い出しながら、夢の俺と同じ言葉を紡ぐ。
「【封印解除】――っ!?」
その言葉を口に出した瞬間、俺の中の何かが消えていく。
バフを受けたときとは全く違う、体が軽くなる感覚。
今まで見ていたものとは、何もかもが違う。
言葉では表現できない感覚に陥る。
急に物理法則の違う世界に連れてこられたような、そんな気さえする。
「なんだよ……これ……」
自分の状態に驚いていて、オークがこちらに近づいて来ていたことに気づくのが遅れた。
どうやら【潜伏】が解除されていたようだ。
(やばっ!)
オークが手に持っている棍棒のようなものを俺に振り下ろそうとしている。
咄嗟に後ろに跳ぶ。
「――っ!?」
俺はオークの間合いから逃れるために軽く跳んだつもりだが、実際には数メートルほど後ろに跳んでいた。
(賭けには勝ったということか。だけどこれは、感覚を掴むのに時間が掛かるかもしれないな)
俺が懸念していたことにはならず一安心した俺は、シュヴァルツハーゼを握り、感覚を確かめるようにオークを魔石に変えていく。
自分の思い通りに体が動かせる。
今までできなかった〝理想〟としていたものが可能となっている。
オークが残り一体になったところで、再び距離を取る。
それから脳内で術式を構築し、
「……【超爆発】」
魔力を流すと、大きな爆発が発生し、オークは爆散した。
今まで発動できなかった特級魔術をいとも簡単に発動することができた。
凄い。今なら何でも――
「ダメだ……! 全能感に浸るな……! これでもあの時のオリヴァーには勝てない。こんなもので満足するな……!」
舞い上がる自分を戒めるように呟く。
心を落ち着かせてから、次の敵を探すために広範囲に注意を向けると――。
「――っ!?」
後ろから背筋が凍るほどの圧倒的な存在感を感じ取った俺は、咄嗟に後ろの存在に剣を振るった――。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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