1-32 食前交渉
その後フィーナと他愛もない話をしながら魚を吊るし、燻製用のウッドチップに火をつけた頃には空が夕焼け色に染まっていた。
夜は視界が効かなくなる上に、モンスターが出現し始める。
電気もガスもインターネットもない、極めて牧歌的な生活リズムを刻む俺たちとしては、夜は家に籠って静かに過ごすしかないわけだ。
ちなみに我が家のインフラ設備は川から直接引き込んだ水道と、炭を用いたカマド、あとは精々ロウソクぐらいしかない。
別室に風呂もあるが、それも火で温めているので、利用できるエネルギーは火だけだ。
俺とフィーナは原初の力を頼りにこの世界を生き抜いている。
そういえばこの間よく焼いた石を冷えたスープに落として温めたらフィーナが「こ、これは…革命ですね…!?」と言って驚いていた。
なので、石はエネルギー革命を起こすかもしれない。
結局火を使っているんだけどね。
「そういえば、今夜はゲンキさんがお食事当番してくださるんですよね?」
室内に戻ると、フィーナは今朝の会話を思い出したようだった。
「あぁ、勿論。今日の夕食は俺が作るよ」
「ありがとうございますっ。それじゃあお魚だしますねー」
フィーナは俺のベットのすぐ隣にある食料備蓄ボックスへパタパタと向かっていくが、俺はその背中へと言葉を投げかける。
「今日は魚を出さないで大丈夫だよ」
「え?」
備蓄ボックスに手をかけたまま振り返る、キョトンとした表情のフィーナ。
「…でも、そうすると今夜のご飯がないですよ?」
フィーナは疑問符を頭に浮かべている。
その無垢に俺の悪戯心が刺激されて、笑みが浮かんでしまいそうになるのを堪える。
俺と出会ってからまともな食材は魚しか食べていないフィーナにとって、それは当然の疑問だろう。
「食材に関しては大丈夫だよ。とっておきのものがあるからね」
だが、フィーナは失念している。
俺が君のために拵えた鎧の素材は何だったかな?
その主な素材である革は地面から生えてきている訳でも、空にふわふわ浮いている訳でもない。
ギュードトンという大変危険な動物を狩猟することによって手に入れた素材なのだ。
何回か死にそうになりながら、最終的にフィーナに撲殺されてまで作り上げた俺の勇気と献身で出来た革の鎧。
そこに思い至れば答えは出たも同然だが、至れないということは俺の作った鎧に対する感謝が足らないのではないかな?フィーナちゃん?
「んー……?」
思い巡らす俺の様子を見兼ねたのか、フィーナがすっと細目になる。
「ゲンキさん、何だか変なことを隠していませんか?」
「そんなっ。そんなハズはないじゃないか」
「本当ですかぁ?」
じっとりとした疑いの視線を向けられる。
全く心外だった。
ホワマリンを食べた時みたいにフィーナを床に這いつくばらせようと思っていただけなのに…!
だが、改めて指摘されて思い出して思い直す。
それは確かに十分面白いリアクションなのだが、既にホワマリンの時に堪能している。
これが二度目ともなるとどうも捻りが足りないようにも感じられるのだ。
何か、もう一つアクセントが必要なのではないか。
まて…ひょっとしたらフィーナはそれを遠回しに指摘してくれたのか…!?
毎回同じ展開では飽きるだろうと…!?
もっとしっかり考えろと…!?
俺はフィーナの言葉を思い出す。
フィーナは『何かを隠してないか』と俺に問い掛けた…。
隠す…!
俺の脳内に電流が走り、フィーナに畏敬の念を抱く。
これは神託にも等しい指摘だったのだ。
不足していた要素を教え導いてくれるなんて、やはりフィーナは女神だったんだ…。
これが母…地母神フィーナ様…!
神の存在を感じ入り瞳を閉じると、一筋の涙が頬を伝った。
「ありがとう…フィーナ(様)」
「な、何で泣きながらお礼を言うんですか?」
「あぁ、これはちょっと…感動、しちゃって…」
「え、えぇー…?」
俺の言動に困惑しているフィーナ。
だが俺はフィーナの神託に導かれるままに話を続ける。
「俺、改めてフィーナに頼みがあるんだ」
「うぅ、一体何ですか…」
「俺が調理する間、目隠しをしてくれないか?」
「ふぇ!?」
更に困惑の色を強めるフィーナ。
フィーナは両腕をクロスしてバッテンの形を作る。
「や、ヤです!?」
断られた。
「な!?…何でっ?」
打って変わって今度は俺が狼狽する。
そんな!?このままじゃギュードトンの肉(に悶えるフィーナ)を堪能できない!?
「ど、どうしてですかフィーナ様!?」
「逆にどうしてだと思います!?それに『様』ってなんですか!?」
「フィーナのいう通りにしたのに!?」
「私何も言ってないです!」
「でも!…でも…!」
「イヤなものはイヤですー!」
プイっとそっぽを向いてしまうフィーナ。
俺は膝から崩れ落ちてしまう。
「そんな…!凄く美味しいのに…!このままじゃ、フィーナに美味しいご飯を作ってあげられない…!」
床に両手を付いて四つん這いのまま言葉を吐き出す。
「フィーナの(面白いリアクションの)協力が美味しい料理に必要なんだ…!」
そっぽを向いた姿勢のままチラチラとこちらの様子を伺ってくるフィーナ。
「お…美味しいんですか?」
「あぁ美味しいよ!」
「ど…どれくらい美味しいんですか?」
「ホワマリンよりも!ずっとずっと美味しいからっ!」
「ホワマリンより……!」
ホワマリンより美味しいというフレーズに、思わず唾を飲み込むフィーナ。
「ほ、本当ですか?…う、嘘だったら承知しませんからね?」
「嘘じゃないよ!本当だよ!もう美味さ爆発で大変なことになるから」
正直ギュードトンの肉がどの程度の味かは知らないけれど、俺がフィーナくらいの年齢の時は魚より肉の方が好きだったから大丈夫なハズ…!
「うぅーん…」
俺の提案は受け入れ難いが美味しいものは食べたい。
【嫌なことしたくない】vs【美味しいもの食べたい】という感情のせめぎ合いで額に眉を寄せるフィーナ。
端から見るとその戦いは一進一退の戦いのようで、まだどちらに傾くとも言い切れない均衡を保っていた。
このままでは負けてしまうかもしれない…!
そう憂うほどに混迷する戦いに一つの天啓が訪れた。
クー。
フィーナのお腹の虫が鳴った。
そう。夕食どきを迎えつつあるフィーナを襲う刺客。
お腹の虫先輩が来てくれたのだ。
「うぅぅー…!」
恥ずかしげにお腹を抑えるフィーナ。
しかしもう隠し通せるものではない。
お腹の虫先輩の加勢によって、フィーナの脳内の戦いは一気に【美味しいもの食べたい】に傾く。
「…ちょ、ちょっとだけですからね!?」
「や、やったぁぁぁぁ!!フィーナ様ありがとうー!」
俺は大いなる女神フィーナ様に両手を合わせて感謝した!
「それはそうと『様』付けなのは一体何なんですかゲンキさん!?」
その質問は聞こえないフリをして、俺はフィーナの目隠し用タオルを取り出すことにした。




