07.戦争の被害
朝食を終えしばらくして、アルトスが迎えに来た。
「姫様、仕度はお済でしょうか」
ドアの向こうから声がする。
「大丈夫よ」
着替えや髪を整えたりといったことはメイドがやってくれた。椅子に腰かけ、呼びに来るのを待っていたところだ。
ドアを開けたアルトス。昨晩同様、無表情のまま。
「失礼します。お迎えに上がりました」
「分かったわ」
立ち上がって彼の元まで歩く。
彼は昨晩の件について、何も言わなかった。仕事としてやって当然と思っているのだろう。
廊下に出たが、アルトスが歩き出す気配はない。
先に歩いてくれないと、外に出るまでの道が分からないんだけど。
少し待ったが動かないので、適当な方向へ歩き始めた。
無言で足を前に進める。鎧の音が規則正しく後方から聞こえてくるので、一定の距離を保って付いてきていることは分かった。
この方向で合ってるかな。部屋に戻ってくるときに、ちゃんと道を覚えておけばよかった。
自信がなくなってきた頃に、背後から聞こえた。
「姫様、そちらからは外に行けません」
「…………」
やっぱり。自分の家で道に迷うなんて、どう考えてもおかしいよね。
足を止めて、アルトスを一瞥する。
怒っている様子も呆れている様子もなく、無表情のままだ。
何を考えているのか分からない。
でも他に頼りにできる人が傍にいるわけでもないし、彼に頼るしかない。
「ごめんなさい。道を忘れてしまったみたい。案内してもらえる?」
普通、あり得ないことだが、彼の表情は変わらない。
「かしこまりました。隣を歩いていただけますか。後ろでは護衛しずらいので」
「分かったわ」
歩き出す彼の隣の隣に並ぶ。
敵からは守ってくれようとしているんだから、それで十分だよね。
苦手意識を持って遠ざけたら、困るのは私だ。
できるだけ良好な関係を築く、努力をしないと。
疑われて、バレたらきっと追い出される。それだけではなくセリアを誘拐したと思われて、拷問の後、殺されるかもしれない。
こんな状況であっても痛い思いはしたくないし、死ぬのは怖い。
何を考えているのか分からないけど、あの無表情が私に対して何も思っていないんだとしたら、むしろ都合がいい。
馬車に揺られ、着いた場所は建物がほぼ全焼した村だった。
点々と並ぶ焼け跡、居場所がなくなり、建物だったもののに座り込む怪我人達。道に横たわり、うめき声を上げる重症人。焼け跡を手でかき分けながら、誰かの名前を必死に呼んでいる者もいた。
これは、酷いな。
人間の新聞を見る限り、人間側も似たような被害がでているはずだ。戦争なのだから、お互いが利益を求めて争っているわけで、どちらが悪ともいないが、実際に被害を目にした方に強い同情心が湧いてしまう。
訪問したところで、私に何ができるんだろう。ニュース番組では、天皇が台風の被災地を訪問して握手をしていたみたいだけど。
意識がある民衆の中には、こちらに憎しみの籠った視線を向けてくる者もいる。
そんな雰囲気じゃないな。
自然災害と戦争は違う。あまり歓迎されている雰囲気ではなかった。
「姫様、お気になさらないでください」
隣を歩いていたアルトスが、こちらを睨んでいた者の視線を遮るように立つ。
「ええ」
まるで励ましてくれているようだ。
公務に支障が出ると思ったのだろうか。彼のことは、やはりよく分からない。
「こちらを」
アルトスが二枚の紙を差し出してきた。
受け取って開く。手紙のようだが、文字は読めない。ただ、同じ形が並んでいるので、二通の手紙は同じ内容らしかった。
「魔王様が決められた、この村への支援内容です。いつものように、この村の代表に承認印をもらったら終了となります」
「分かったわ」
印鑑をもらうだけなら、私が行かなくてもいいような。
そう思ったが、決まりなのだから仕方ないだろうと思いなおした。
村の中央に到着してすぐ、一人の男性が息を切らしながら走ってきた。
「姫様、魔王軍の皆様、ようこそお越しくださいました」
彼が私の前に立つより先に、アルトスが私の前に出た。
「この村の村長、アデルケルで間違いないか」
「左様でございます。お迎えが遅くなり申し訳ございませんでした。私の家までご案内いたします」
アルトスが手で促すので、アデルケルの後に続いて歩いた。
道を誘導する必要がなくなったからか、アルトスは私の後ろをついてきた。
村から少し離れた場所に、村長の村があった。木造二階建てのこじんまりとした家。村から離れていたため、火を免れたのだろう。
アデルケルに続いて家に入ろうとしたとき、アルトスが手で制した。他の兵には家の外で護衛するように指示を出てから、私に小声で一言。
「くれぐれも、食事や飲み物に手をつけませんよう」
「……分かったわ」
城で出されたお茶でさえ気にするくらいだ。毒が盛られることを警戒しているのだろう。
アルトスが入り口を見回し確認してから、私に入るように合図した。
彼、一人だけが私の後ろに続く。
通された部屋は、家のほとんどを占める広さの部屋で、八人がけのテーブルいっぱいに料理が並べられていた。山菜をメインに、さまざまな種類のものが並んでいる。
村が大変な状況でも、こんな食事を用意してくれるんだ。食べないのは気が引けるけど、手をつけなければ、村の人達で食べてもらえるかもしれないし、その方がいいかもしれない。
「大したものはご用意できませんでしたが、お食事をご用意しました。良ければ書類を確認している間に、外でお待ちになっている兵の方も一緒に、お召し上がりになってください」
アデルケルは人当りの良い笑みを浮かべながら、食事を手で指した。
「いや、姫様はお忙しい。すぐに書類を確認するんだ」
「あ、はい……。承知しました」
姫様、と促され二つの書類をアデルケルに渡した。
「印鑑が奥の書斎にありますので、向こうで確認してもよろしいでしょうか」
私を見ながら訪ねるので。
「どうぞ」
と返した。
ドアが閉まり、アルトスと二人で部屋に残された。
カチコチと、時計の秒針の音だけが響く。
何もすることがないので食事を眺めていたときに、何かの匂いがした。
何だろう、最近嗅いだことのある……。
「姫様っ」
アルトスが片手で私を抱き寄せた瞬間、何かがドアから飛び出してくる。
その場に響く金属音。
気づけば私の目の前で剣と剣がぶつかりあっていた。