06.眠れない
びっくりした、顔、近かった。びっくりしたぁ……。
脈が速くなっていることを感じながら返事をする。
「……え、ええ。まぁ」
「何か温かいものを用意させましょう」
彼の声音には一切変化がない。
あんなに顔が近かったのに、全然動揺しないんだ。
まぁ、護衛対象に恋愛感情もないもないだろうし、そんなものか。
むしろ、私が意識しすぎなのかも。
静かに布団を持ち上げ、彼の様子を窺う。
部屋の電気がついていて、騎士はドアの前で誰かに指示をしているようだった。
その後、こちらに戻ってくる彼の顔を眺める。
無表情だけど、顔は整っているのかも。俳優にいそう。無表情でなければだけど。
「私の顔に何かついていますか?」
「いえ、何でもないわ」
見下ろされるのには慣れてきた。
先ほどのような事故がなければ、受け答え程度なら普通にできそうだ。
少しして、メイドがポットとティーカップを台車に入れて運んできた。ドアの前で受け取った騎士がそれを押して、テーブルの前まで運ぶ。
あっちで飲むのか。
テーブルの前の椅子に移動すると、彼は自分の腰につけていたポーチからふきんとスプレーを取り出し、カップにスプレーを吹きかけてから、ふきんで拭いていた。
潔癖症?
二つ用意されたカップの片方に少しだけお茶を注ぎ、一口で飲み干す。
「…………。問題ないようです」
あ、毒見か。
もう片方のカップにお茶を注いで、私の前に置いた。
「お召し上がりください」
「ありがとう」
この人は自分の仕事をまっとうしているだけなんだろうな。でも、城のメイドが用意したものを信用できないくらい、セリアは狙われているのね。
カップを手に持つと、花の香りがした。
ハーブティーだ、確かにリラックスできそう。
お茶を飲み終え、再びベッドに入る。
騎士に対する警戒心はだいぶ解けたが、寝付くことができなかった。
改めて考えると、起きたら別の世界にいたなんておかしな状況なんだから、そんな簡単に寝られないよね。
「眠れませんか?」
布団に入ってしばらくした後に、彼が訪ねてきた。
「そうみたい」
「明日は被害地への訪問があります。眠っていただいた方がよろしいかと思いますので魔法具を使用しましょう」
魔法具?
「それってどんな……」
尋ねる前に、甘い香りが漂ってきた。
そして香りを嗅いだ瞬間、頭を押し付けられたような感覚になり、急激な眠気に襲われる。
このまま死ぬの?
そんな恐怖を感じるほどの強引な睡魔に負け、意識が途絶えた。
「姫様、起きてくださいませ」
聞き覚えのある声で目が覚めた。ピンクの髪と少女の顔が視界に入る。
昨日話したメイドの子。やっぱり夢じゃないんだ。
目を覚めてもこの世界にいることに落胆したが、昨日唯一仲良くなれた彼女が傍にいてくれたので、そこまで気落ちしなかった。
「昨日、魔法具でお休みになったと聞きましたが、頭痛はありますか?」
「え?」
頭を持ち上げたときに、ずきっと鈍い痛みが走った。
「そうね、少し痛むみたい」
「まったく、アルトスってば信じられません。眠らせるために簡単に魔法具を使うなんて。そう思いませんか?」
「そうね」
昨晩の騎士はアルトスというのだ。そして眠らせるために副作用がある魔法具を使用した。本日の私の公務に影響を出さないために。
これも彼の仕事の内なんだろうな。それでも、一言確認してほしかった。何も聞かずに勝手に決めるなんて。
「少ししたら落ち着くと思いますので。食べられそうでしたら、朝食をご用意しますね」
「ありがとう」
この子はいい子だ。
「喉は乾きませんか? お茶をお入れしますね」
彼女がお茶を入れ終わる頃には、頭痛はほとんど感じなくなっていた。
それでも、アルトスに対する不信感は拭えない。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
「はい、一つと言わずいくらでも」
彼女の笑顔につられて、心の内に漂っている疑問が零れた。
「アルトスは、あなたから見て信用できる人だと思う?」
メイドはしばらく黙り、口元は笑顔のまま眉を下げた。
「アルトスは強いと思いますよ。だからこそ、姫様の護衛を任されているのです。でも、姫様が不信感を抱かれるなら、彼には務まらなかった、ということなのでしょう」
欲しかった答えとは違ったが、彼女が何かとても悲しい気持ちを笑顔でこらえているようなそんな気がして、これ以上、その話を長引かせることは出来なかった。
少し重い空気が流れたが、彼女が他愛のない雑談を切り出してくれて、なごやかな雰囲気のまま朝食を終えることができた。
聞かない方ががいいことを、尋ねてしまったのかもしれない。