魔王復活
「戦争は変わった」
ワラキアはそれを一層強く感じていた。
三百年の永きに渡って人々は戦争を育て上げ、時に効率的に、時に矛盾を孕ませるように複雑な体系を築き上げた。
そもそも彼が知る限り魔王戦争での死者は両軍併せて二十万人にも上っていた。
それは開戦して五年もの年月を積み重ねて作られた躯の数であるが、共和国とエリュシオン帝国の戦闘はまだ一年と言うのに戦死者は二十万人を越えていると言う。
だが両国は肉の消耗を止める気配は無く、より多くの肉を消費しようと躍起になっている。
それだけでも随分と戦争は変わったのだとワラキアは感心していた。
「やはり人とは争いが好きな種族なのだな」
「え?」
「なんでもない。それより寝るぞ。たく、モルトケめ。我をさんざん罵倒しおって」
そこまで罵倒してないでしょ、とクロダは思ったがそれを指摘するほど体力がある訳ではない。
そのため彼女は挨拶もそこそこに女性士官用の天幕に足を向けてしまった。それを見たワラキアも同じく自分にあてがわれた天幕に向かい、そこで簡素な寝床に身を横たえる。
星と月の明かりが煌々と降り注ぐその世界だが、天幕に入ってしまうと周囲はより一層の闇を濃くする。
それはまるで自分があの封印の中に居るような錯覚をワラキアに与えるのであった。
そのせいか、彼が見た夢は封印が不完全ながらに解かれたあの日へと逆行するものだった。
◇
闇の世界から目を覚ましたワラキアを襲ったのはまず、その身の変化だった。
何かが違う。だがここにある体は自分の物に違いない。いや、自分の体さえ感じられない闇の中に居たのでは?
そんな疑問が次々に浮かんでくるが、そんな疑問もお構いなしと言うように周囲からどよめきが聞こえてきた。
見ればお揃いの派手な衣装を着た人間が三十人ほど。その中にはまだ子供と思わしき黒髪の女が一人。他に調度の良い服を着た壮年の男や僧侶らしき男が一人ずつ。
一様に同じだったのは彼らが皆、恐怖を瞳に張り付けていた事だ。
「……なんだ?」
自分は確か勇者との戦いの後に封印されたはず。そんな記憶をたぐり寄せるも周囲には黒髪のあの男は居ない。代わりに黒髪の女は居るが。
「や、やぁ。おはよう、とでも言ったら良いのかな?」
そう声をかけたのは調度の良い服を着た男であった。壮年に差し掛かったのをうかがわせるように薄い金の髪に白いものが混じっているのは自然ではあったが、糸のように細い目とのっぺりとした仮面のような笑顔が特徴の男だ。
「……お前は?」
「あぁ、申し遅れましたね」
そう言って調度の良い服を着た男が女に「本当に大丈夫なんだろうね」と耳打ちした。
対して女の方は戸惑うように僧侶を見る。見るからに高僧と思わしき彼は困ったように派手な衣装を着た男を見た。誰もが大丈夫と言う答えに自信を持っていないようだ。
そして最後に振られた派手な衣装の男の腰には剣が吊らており、戦に従事する者である事を示していた。
「何かあれば我ら近衛銃兵の名にかけて全力で魔王を止めます……!」
厳かに、だが悲痛に満ちた声で答えた男に調度の良い男やっと安堵のため息をはき、それから魔王に向き直った。
「失礼。私はカール・フォン・ジーベンビュルゲン。共和国宰相と陸軍大臣を兼任しています」
共和国? 陸軍大臣? そんな組織、聞いたことがないと魔王は首を捻る。それに宰相とは王国宰相の事ではないのか? そんな疑問が去来するが、それを無視するように調度の良い男は言葉を続ける。
「それで君は? 魔王で間違いありません?」
「……そう呼ばれる事もある。それより我の封印を解くとは、お前達はいったい何者だ?」
魔王が対話に応じる。そんな姿勢にジーベンビュルゲン――ジーンは安堵を覚えた。なんと言っても彼は陸軍に籍を置いてはいたが、戦闘はからっきしであり、対話ですむのなら対話ですましたいと思っていた。
「落ち着いて聞いてほしいのですがまずは……。なんと説明すべきかな?
そうだ。君は驚くかもしれないが、今は君が生きた時代からちょうど三百年の未来なんですよ」
「……ほぅ」
無言で続けろ。そうした意味の含まれた相づちにジーンは次々と口からこの三百年の歴史が紡ぎ出されていく。
曰く、旧魔王領の領有権を巡って同盟国であったエリュシオンやウオニーと戦争が起こる。
曰く、度重なる戦争に辟易した民衆が革命を起こし、共和制が敷かれる。
曰く、航海術の発展から海洋貿易が盛んになり、海向こう――外洋に植民地を獲得した。
「大まかな話だが、ここまでは良いかい?」
「中々愉快な話であったな。大儀であった」
まぁこの男の話も聞き飽きた。それに派手な衣装の者達が発する殺気も好きではない。
見たところ派手な衣装の者達の得物は指揮官格の持つ剣と部下の持つ杖のような武器だけしかないようだ。
全員軽く始末してゆっくりと周囲を探索しよう。そう考えた魔王が周囲の魔素を自身に取り込もうとして気づいた。
全然魔術回路が機動しないではないか。そのせいで魔力を作り出すことが出来ない。
「おや? いやぁ良かった。どうやら魔法は使えないようですねぇ!」
そうやって作られたかのような笑みを浮かべるジーンに魔王は既視感を覚えた。
そう、それこそ自身を罠にはめた王国宰相が浮かべていたあの作り笑いに――。
そう思った時、彼はジーンに向けて手を伸ばしていた。
「確保!」
だがその前に派手な衣装を着た者達が一斉に動き、魔王の動きを拘束する。
揉みくちゃにされた彼は瞬時に体を霧へと変え(これは出来た)、自分を押し潰さんとする者達を避けてジーンの背後に立った。
だが明らかに霧へと変わる時間がかかるし、そこからの移動距離も狭まっている事に彼は気づいた。
「一体、何をした?」
「うわ!? お、驚かさないでくれ」
ジーンの顔に張り付いていた仮面が一瞬だけ剥がれ、飛ぶように魔王から距離をとる。
それを追撃しようと思えば出来たが、その前に高僧が勇気を振り絞ったようにジーンの前に立ちはだかった。
「貴方は今、全盛期ほどの力はありません。それは封印の解除が不完全だからです。御覧なさい」
そう言って僧侶が懐から手鏡を魔王に向ければそこには驚愕に目を見開いた白髪赤眼の青年が映っていた。
それは魔王の若かりし頃そのものであり、何らかの変化が起こっている事を否応なく彼に理解させた。
「不完全? 我を何かに使う、と言うことか?」
「その通りです。完全に復活した貴方では、我らの言うことを聞いてくれないでしょう」
「試してみるか?」
「いえ、そのような時もありません」
冗談であった言葉を真面目に返答され、魔王は面食らう。どうやら僧侶とは堅物でなければなれないらしい。
「そ、そうなのですよ。我が国は――。今の国際情勢は非常に緊迫しているのです」
僧侶の影に隠れたカールが取り直すように言う。
「説明しましょう。今、我が国の情勢は先ほど語った通りです。だがいつの世も争いと言う物は発生するもの。君はそれをよく知っているでしょう?」
「何が言いたい?」
「現在、我が国はエルフ国ことエリュシオン帝国と戦争状態にあります」
魔王が根拠地としていた魔王領は三方を国に囲まれた深い森の中にあった。
東に人間を盟主とするプルーセン王国。西にエルフの王政エリュシオン。北には獣人の連合国家群。そして南にはわずかに広がる海。
そうした中、魔族の生存権拡大を目指して行われた魔王戦争は自然と周辺諸国を巻き込んだ争乱となった。
もっともそうした争乱も勇者達のおかげで終息したのだが、それは新たな火種へと転生した。
そう、魔王無き魔王領を誰が統治するかと言う問題である。
魔族の土地なら魔族が統治すれば良い? いや、魔族の脅威にさらされた周辺国がそれを認める訳がない。その上、魔族のような野蛮な者に政が出来るはずがない。
そうした意見の下に行われたのが魔王領の分割統治と言う名の植民地支配であった。
「三百年です。三百年我々はこの地の利権を巡って絶え間ない争いを続けてきました。そして今もそうです」
三百年間、プルーセン、エリュシオン、ウオニーは彼の地の支配権を賭けて絶え間ぬ争いを続けて来た。
ある時は領土を得、ある時は失陥する。そうした離合集散を繰り返した果て、五年前に行われた第三次プルーセン=ウオニー戦争によって共和国が輝かしい勝利をつかむ事が出来た。
その結果、ウオニー獣人国家群が有する旧魔王領の利権の一切が共和国の物となり、旧魔王領全体の三分の二をプルーセンが支配する事になった。
だがそれを快く思わないのが帝政へと移行したエリュシオンであった。
なんと言っても共和国は魔王領の三分の二を手にしているのだ。そこから生まれる莫大な富を使って富国強兵にひた走る共和国をエリュシオン帝国が脅威は軍事バランスの崩壊を悟った。
そして一年前、エリュシオン帝国の植民地となっているノール・エリュシオンにおいて視察中であったドゥリン王トール氏がエルフ族青年に暗殺された事件を契機に北プルーセン・ドゥウリン共和国がノール・エリュシオンに宣戦布告し、それに連鎖してプルーセンとエリュシオンとの全面戦争が勃発した。
「一年前の宣戦布告により我が国は蓄積された軍事力を十二分に投入してエリュシオン帝国と戦ってきました。
しかし局面は決定的な勝利を掴むどころか悪化しているのです」
開戦後、両軍の一大野戦が行われるも共和国はそれに破れ、野戦陣地を用いた抵抗を試みるようになった。そのおかげでエリュシオン帝国の勢いは衰えたが、戦線はだんだんと共和国国境に迫り、今では魔王領のほとんどを失陥しているのだと言う。
「国民は今、決定的な勝利を熱望しています。政府はそれに応える義務があると言えましょう。あぁ封建時代を生きた君には理解しえないことかもしれませんね。
端的に言えば今の権力は王様ではなく、民が持っている。その民の意向の代弁者がこの私なのです。故に私はその意向を完遂する義務があります」
「つまり負け戦だから我の力を使いたい、と言うこと?」
「それだけ分かってくれれば十分です」
不完全に封印を解いたのも自分達の支配下に魔王を起きたいが故だ。完全にでは無かったのは魔王が暴走しないようにするための保険である。
魔王はその事を正しく認識していた。
「もちろんタダで協力して欲しいとは言いません。
君が守ろうとしていた魔族の生存圏ですが、旧魔王領に自治区を作っています。その首長に君が就任出来るよう取り計りましょう」
「国を――? 魔族に国があるのか?」
「えぇ。その通りです。そこに貴方が首長――王に類する地位についてもらう予定です」
ニッコリとジーンは魔王の前に飴をつるが、当の魔王はしきりに「魔族に国が――」と何故か安堵するようにその言葉を繰り返していた。
そして彼は我に返るように「魔族達は?」と尋ねた。
「戦渦から逃れるように避難させていますよ。もしくは自分達の家を守るために共和国軍に志願して前線で戦っています。
君は魔族のために戦い、三百年前の悲願を達成するのです。悪い話では無いでしょう?
それに君が魔族の長として戦えば他の魔族達に、その、あれだ。勇気を与えられます。
エルフの支配下に抑圧されている魔族に希望を与えられるのです。君だってエルフがどれほど傲慢で独りよがりな一族か知っているでしょう。そうした支配から魔族を助けてください。お願いできませんか?」
ジーンとしては――いや、この場に居る皆がそんな説得に魔王が頷くとは思っていなかった。
魔王と言えば世界を震撼させた魔族の長だ。そんな者が自治区の長だとかエルフの支配を受ける魔族を救うとかと言う言葉に頷くとは思っていなかった。
だがジーンとしては交渉のテーブルに相手が付きさえすればなんとでも説得出来ると思っていた。もっともテーブルに付かないのであれば諦めて再封印をするまでだが。
「分かった。力を貸してやろう」
「――え? 君、本気で言っているのかい?」
「二言は無い。で、どこで戦えば良い?」
あっさりとした快諾にジーンの口調は変わり、その場の全員が何故? と混乱を覚えた。
その疑問を見て取った魔王はつまらなそうに言った。
「どうした? 貴様等が請うたことではないか。なんだ、嬉しくないようだな。我としては別段、戦う事が嫌いなわけではないし、平和が好きな訳ではない。それだけだ」
戦闘狂。そんな印象を抱かせる言葉に全員はこれが魔王かと納得する。
「な、なるほど。では魔王。我らと共に戦ってくれるのですね! それはありがたい」
「フン。それでどこに行けば良い?」
「まぁそう逸らないでください。君は三百年もの月日が経っている事を忘れているのでは?
この三百年、軍事は急速に進歩を遂げました。君が持つ軍事知識はもう役に立たないと思っても良いほどに。
御覧なさい、近衛銃兵を。彼らの指揮官であるハルトマン大尉こそ貴族だが他の面々は皆、平民の出なのですよ」
魔王はその言葉に従って派手な衣装の者達を見やる。自分を押しつぶそうとした連中はすでに立ち上がり、こちらに警戒の瞳を向けてきている。その上、手にしているのは――。
「銃か主装備? あんな補助にしかならない武器が――」
だが魔王の耳の奥に勇者が放った言葉が突き刺さる。
「君が持つ軍事知識はもう役に立たないと言ったではありませんか。この銃も三百年で大いに進歩しました。今や銃なくして戦争は成り立ちません」
「なら我を呼び出さずにこやつらを戦場に送れば良かろう」
「もちろんその通り。しかし彼らでは魔族のための標榜には成りえません。
そのためには今の兵士を理解し、今の兵器を理解し、今の軍事を理解しなければなりません。つまり勉強する必要があるのです」
するとハルトマン大尉と呼ばれた男が腰に吊られたマップケースから一冊の冊子を取り出し、恐る恐ると言う具合に魔王に差し出した。
「タイトルは『共和国陸軍士官学校へようこそ』です」
「なんだこの文法は?」
「あぁ、そこもか。確かに三百年前の書物は口語調じゃなくて苦労しますからね。そこも勉強ですよ」
何かと勉強と連呼するカールに面白くないものを感じつつ、魔王は冊子をめくる。もっとも半分ほども理解出来ないが。
「君には促成士官となってもらい、詰め込み勉強で半年ほど士官学校に通ってもらいましょう。
あぁ、そうなるとクロダさんと同期卒業になるのかな? もっとも君たちが落第しなければ、ですけどね」
そうわざとらしい笑みを浮かべるジーンの言葉に魔王は冊子から顔を上げる。そこには今まで沈黙を保っていた女が居た。
女、と言ってもまだ少女の域を出ない黒髪の彼女。
「そうだ、魔王。彼女は勇者クロダの末裔にあたります。君の封印の鍵ですよ。
あ、彼女を殺しても君の封印は完全には解けないので注意してくださいね。君の封印を司るのはクロダの血。彼女が死んでも封印の鍵は別のクロダ氏に自動的に引き継がれます。ですから無駄な事はしないようにね」
そんな説明に一人、力んだ握り拳をほどく。
そしてカールが「クロダさん」と言えば、彼女はやっと口を開いた。
「共和国陸軍、士官候補生エーリカ・フォン・クロダです」
「名乗られたのだから、名乗ってやろう」
とは言え、魔王の中にこいつが本当に勇者の血縁者か? 壮大に皆が自分を騙しているのでは? と言う疑惑が起こる。
だがそれを確かめるにもまずこいつ等の言いなりになるしかない。そう結論付けた彼は堂々と、それこそ魔王のように不遜に名乗り上げる。
「我が名はブラド。魔王ことブラド・ワラキアだ」
これが魔王と勇者の末裔との出会いであった。
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