士官学校卒業研修・6
その夜、仮設の教官室と化したとある天幕に呼び出された二人の士官一号生はそれまで教えられた通りの不動の姿勢で事態の報告を行っていた。
「ほぅ。なるほど。敵の奇襲に対し、デバン一号生が攻撃を選択し、名誉の戦死を遂げた、と? そうなのかワラキア一号生」
子供のように異様に甲高い声が天幕に静かに響く。それと共に明かりとなっている燭台がゆらめいた。
「はい、モルトケ教官殿。その通りであります」
ワラキアとクロダを呼び出したヘルムート・フォン・モルトケ少佐は子供のように小さい体躯に見合わない声で「なぜ後続の合流を待たなかった!」と怒鳴った。
脳を揺さぶるような怒号を叫ぶ幼女だが、オーダーメイドされた軍服に身を包む姿はまさに共和国軍人のそれだ。それにプルーセン共和国は人間中心国家とは言え、亜人と呼ばれる魔王戦争以前から人間と共存を模して来た種族――エルフやドワーフ等々の種族が市民権を得ている国である。
よってその国防組織である共和国軍においても雑多な種族が混在しており、その一種族がホビット族たるモルトケだった。
「申し訳なくあります。しかし我は攻撃ではなく守備を行うよう小隊長であるデバン一号生に進言いたしました」
「本当かぁ? どうなのか、クロダ一号生」
「はい、ワラキア一号生の言うとおりです。わたし達はデバン一号生の意見に反対意見を述べましたが、デバン一号生は頑なに攻撃を主張し、小隊長命令の下、攻撃を行いました」
クロダとしては早く小さい教官の説教を終えて就寝したくて仕方なかった。
どんな血なまぐさい戦闘をしてきたと言っても魔法使い特有の魔法疲れ――魔術回路を酷使した事による魔法性疲労症によって彼女の体は限界を迎えようとしていたのだ。その上、初めての実戦とあって精神的にも疲労がピークを迎えようとしていたというのもある。
つまり泥のように疲れていた。だがモルトケの尋問のような報告会は無情にもまだまだ続く。
「なるほど。で、デバン一号生が戦死後、攻撃を続けた理由は?」
「はい、モルトケ教官殿。第二小隊は敵の射線のまっただ中に飛び出したため、攻撃を中止したとしても甚大な損害を被った事が予想されました。また、敵の攻撃により壊滅状態の第一小隊の救援も考えれば全滅もありえたと思われます。よって攻撃を続行すべきと考え、指揮を引継ぎました」
これで一通りの説明は終わったと言わんばかりにワラキアは口を閉じる。
「ほぅ……。損害を如何に抑えながら戦闘を継続するか、その命題を士官は考え続けなければならない。
その点、ワラキア一号生の判断は及第点と言える。よくやった。
あぁ、そうだ。話は変わるがどうして敵兵の顔があれほど苦悶に歪んでいたのか聞かせろ」
死体の検分をしてきたモルトケは敵の恐怖をありありと浮かべた表情が脳から離れなかった。
もしかしてこの一号生のうち一人――おそらく魔王の方――が拷問をしたのではと思っていたのだ。
「悪夢でも見たのではありませんか?」
「存ぜぬ、と言う事か?」
だがそう澄ました顔で答える魔王に鬼教官は怒気も隠さずに疑問をぶつける。
「促成教育組のお前でも国際戦時法学の講義において捕虜へ不要な苦痛を与える事が国際陸戦条約で禁止されている事は習っているな?」
「はい、モルトケ教官殿。履修しておりました」
「貴様の行動はそれに抵触する恐れがあると問うているのは分かるな?」
「はい、理解しました。その上で教官殿、発言をお許しください」
感情を映さない血の色をした瞳を睨みつけるモルトケは発言次第ではただではおかないと言わんばかりに発言を許可した。
「まず、我は国際法にもとる行いは一切行っておりません。そもそも敵は捕虜ではありませんでした」
「本当かぁ? 中世暗黒時代よろしく貴族では無い兵士は身代金がせびれないからって殺したんじゃないのかぁ?」
「はい、いいえ教官殿。そのような事は誓って行っておりません」
粘着質な訊問にワラキアはどうして戦争とはこうも複雑怪奇に進化してしまったのかと疑問を抱く。
やれ、捕虜を虐待するな、やれ非武装の民間人を攻撃するな……。
戦争とはもっと単純であるべきなのだ。捕虜を虐殺するのは相手への見せしめにもなる。敗北した町を蹂躙して略奪を行うのは兵の当然の権利だ。
そうしたワラキアの常識がことごとく禁止されている事に彼は驚きを隠せなかった。
「まぁ良い。で、お前が殺した敵は八人で間違いないな」
「殺害確認八人で間違いありません」
「なるほど。一人八殺。魔王と呼ばれたのも伊達ではないようだな」
その魔王を射殺すような視線を向ける幼女にクロダは恐怖がせり上がってくるのを感じた。
もっとも常日頃、士官学校でモルトケは殺気を飛ばしまくっているのだが、それがいつもより硬質に思えた。
「周辺を捜索した結果、火炎の中から一人、その近くで重度の火傷を負っていた者も捕まえた。これで輸送隊を襲撃した長耳の部隊は全滅だろう」
「分隊は十人ほどの規模で作られる、という事でありましょうか」
「その通りだ、ワラキア一号生。最小の部隊単位は十名からなる分隊だ。その上、奴らの軍服から降下龍兵である事が分かった。奴らは分隊規模でドラゴンに輸送され、戦線後方の破壊工作に従事する部隊である。奴らが基本構成の分隊であれば全滅のはずだ」
その報告にクロダはこれで今夜は敵襲に怯える事無く寝られるのかと安堵を覚えた。
対し、ワラキアはそれになんの感慨も浮かばないのか、静かに教官の言葉を待っていた。
「それで、何人やられた?」
「はい、第二小隊は小隊長以下戦死十八。現有の兵力は戦闘のできる負傷者を併せて十二名です」
「なるほど。それがお前らの指揮のせいで死なせた部下の数だ」
それまでと同じ相づちの中に刃物のような鋭い響きが混じる。
攻撃を行わなければその十八名は死なずにすんだ。それなのに攻撃を断行したがために十八名もの命を失ってしまった。どうする?
そうした問いが含まれた詰問にクロダは身を固くする。だが対してワラキアは笑いを交えていた。
「く、フハハ。戦闘とは普遍的にそういうものではありませんか」
「どういう意味か、ワラキア一号生?」
「どれだけ戦況が優位でも死ぬ時は死ぬものです。傭兵共の八百長では無い限り死なぬ方が不自然ではないか」
「……口調を直せ。軍規違反だ。それともまだ魔王様のつもりか?」
「失礼しました」と素直に非を認めるワラキアにモルトケは気づかれないよう溜息を洩らした。
モルトケは本来なら士官として失った部下にどう向き合うか、と言う問いをしたかったのだが、魔王相手にはなんの意味もなさない問いだったと諦めを感じた。
それに軍人としてのキャリアならモルトケの方が上という自負もあるが、ワラキアに至っては魔王になる以前に共和国の前進国家である王国にて将軍職についていたと言う。だが婚姻の決まっていた時の王姫に手を出してしまったために死罪を命じられ、それを憤った彼は魔の誘いにのって人間である事を辞めたのだという。
そうした者に犠牲が云々と説いても無意味だろう。
「ではクロダ一号生はどう考えているか?」
この問いは軍人として生きて行くのであれば避けては通れない道だ。それをどう考えているのか、卒業間近の一号生には重い問いだろうが、それを真摯に考える軍人になってほしい。その願いを込めて彼女は二人の一号生を呼び出していた。もっとも魔王の方が無意味な呼び出しになってしまったが。
「わたしは……」
卒業研修を言い渡され、後備役第三百二銃兵大隊に合流してまだ三日と立っていない。故に配属された第二中隊の面々ともそこまで深い付き合いがある訳では無かった。しかし――。
「分かりません」
「バカ者! 戦場において士官が『分からない』とは何事か! 貴様はどう考えているのか完結に意見を示せ」
「はい! 申し訳なくあります。その、えと……。き、共和国にとって優秀な兵士を失った事は非常に残念でなりません。こ、これも小官の力量不足であり――」
当たり障りの無い言葉の羅列にモルトケは「まぁ最初のうちはそんなものだろう」と文面の大部分を聞き流す事にした。
そもそも部下を失う事にどう士官が向き合うかなど大それた答えを十五、六年間も軍隊生活を送っているモルトケ自身見つけていなかったし、そうした問いに一つの答えがあるなどと思っていなかった。
大事なのはどう向き合うか、という事を考え続ける事であり、且つそれを妄執としない事だと彼女は信じていた。
そもそも士官とは兵や下士官の上に立ち、物事を考え続ける生き物であり、それを辞めたら士官足りえない。かと言って一つの物事を考え続けるのは学者のやる事であり、士官のやる事では無い。
その微妙な機微を言葉で説いても士官学校を出たほやほや少尉に伝わるとも思っていないモルトケとしてはこれを機に死との折り合いをつけた士官へと成長させるためにそう問うたのだ。
「――もうよい、クロダ一号生。さて、君達若者の間ではデバン一号生のように勇気と無謀を履き違える者が居る。諸君等はまだ共和国軍士官学校の生徒である事を肝に銘じ、行動するように。分かったか?」
「「はい、分かりました」」
息の揃った言葉に鷹揚に頷くモルトケは言うべき本題は言い終えたなと肩の荷が下りたのを感じた。
本来、そうやって一号生を諫めるのは今日、戦死したもう一人の教官の仕事であった。対し、彼女の仕事は一号生にみっちりと厳しい軍規を叩き込むのが仕事であり、言うなれば飴と鞭の鞭を担当していた。
それなのにこのような仕事を――。どうして死んでしまったと慟哭したい気持ちだった。
だがそれを一号生の前でさらすような無能ぶりを示せるほど彼女は若く無かった。
「さて、お前達が来る前に第一小隊の先任下士官と話したが、第一小隊の兵力は十一名との事だ。よって第二小隊を解隊し、第一小隊に編入する。
また、第一小隊の小隊長をしていたエリト一号生が戦死したため、ワラキア一号生が新小隊長に就任せよ。これが再編された部隊の目録だ」
野戦司令部の一角に置かれたテーブルから一枚の用紙を抜き出したモルトケはそれをズイとワラキアに差し出す。
どうも戦闘経緯や部隊の再編等はベテランの第一小隊先任下士官との会議で全て決まっていたようだ。
つまり自分達を呼び出したのは別の意図か。
そう認識したワラキアは「全力を尽くします」と形式ばった答えと共に新たな命令書を受け取る。
「クロダ一号生に関してはワラキア一号生の指揮下の分隊を率いてもらう。いいな」
「ハッ」
「よろしい。明日も早い。解散。別れ」
「「別れます!」」
さっと一礼して二人は天幕を辞するとそこには満点の星の下、各所でたき火が輝く静かな世界が広がっていた。
まるで昼の戦闘が夢のような光景……。それなのにクロダの脳内には鮮明に戦場の光景が蘇る。
生まれて初めて経験する凄惨な情景が焼き付いて離れない。
「さて寝るか」
「……人を殺したと言うのになんでそんな暢気なの?」
「なんだ。お前は気にしているのか?」
魔王の言葉にクロダは首をかしげる。
確かに殺人に関してワラキアを責めたところで彼は三百年前に何万人もの人々を殺した張本人なのだから今更何を言っても仕方ないのかも知れないとクロダは思った。
「お前だって殺しただろ」
「え?」
そしてクロダは思い出す。
モルトケが言っていたではないか。一人は火炎の中から見つかったと――。
火炎の中で生きられるエルフなど居るはずがない。
つまり自分も魔法によって敵兵を殺めていた。
「………………」
「気づかぬとはな。お前を鈍感な奴だと思っていたが確信に至ったぞ」
もちろんクロダにしても誰かが自分の炎に焼かれているのではと思わなかった訳ではない。
だが誰かを殺めた感触などまるでない。それが嘘だと言われれば「おどろかせないでくださいよぉ」とおどけてしまいそうだ。
だがそうではない。
「どうだ? 人を殺したというのは? 勇者殿」
「……分からない」
「お前な……。『バカ者! 戦場において士官が分からないとは何事だ!』と言われてしまうぞ」
何も成長していないな、とからから笑う魔王に勇者の末裔は反論を口にしようとしてやめた。
「正直、どうも思っていない、かな」
「ほぉ」
言葉にしてクロダは自分が薄情な奴だなと思ってしまった。
界隈では人を殺める事に忌避を感じ、中には精神の均衡を損なってしまう者も居るという。
そう言う意味では彼女は鈍感であった。
「明日になったら罪悪感とか芽生えるかな……?」
「……。お前なら芽生えないだろうな」
だが、とワラキアは考え直す。
自分が封印される前では考えもつかなかった長遠距離法撃を前では何かを殺めた実感など味わえるはずがないのだ、と。
そもそも三百年前の魔法など四、五十メートルまで届かせるのがやっとの時代であり、今日のような――直線距離にして五百メートル以遠の丘の上を悠々と攻撃出来る術式など存在しなかった。
いや、これも序の口であり、どの国の魔法使いも平均して三、四キロメートル先の目標を攻撃出来き、なおかつそれを命中させる方法が確立されている。
そうした遠距離からの攻撃で敵を拘束し、その隙に歩兵が敵を崩して騎兵が残敵を蹂躙する。
今日で言えば法撃による密接な支援のおかげで敵を拘引する事が出来、歩兵(と、言ってもワラキア一人だが)による攻撃が易く行えた。
だが三百年前であれば各氏族が勝手に攻撃であり、撤退であったりを行い始めて容易に収拾がつかなくなるのが常だった。もっとも各氏族への自治を認めていた分、氏族長へ命令の強制が出来なかったと言うのもある。
それを無視して命令を強制しては自治を犯す事であり、忠誠による結びつきに綻びが生まれてしまう。それ故に命令の徹底など出来ようはずも無かった。
しかし三百年後の世界では忠誠のような血の通った結びつきは失せ、そこにあるのは鉄の規律によって支配された軍事組織であった。
彼らは階級に縛られ、上からの命令に服従するよう『教育』を受けて戦場に立つ。
そこにあるのは王への忠誠でも、高貴なる者の義務でも、職業軍人としての傭兵でもない。
今日、ワラキア達が率いたのはただの人であった。それこそ後備役兵として徴兵されるまでは誰かはパン焼き職人であり、郵便局員であり、鍛冶師であった。
そうした市井の人々が命令一下、人殺しを生業とする者に職を変えさせられ、黙々とその職を全うする。
それと同時に恐怖に震える勇者の末裔にも出会えた。
あの勇敢な人間の小僧の血を引いているとは到底思えぬ弱さの同期に時の変遷を感じられずには居られなかった。
「戦争は変わった」
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