士官学校卒業研修・5
(攻撃を取りやめるべきか?)
突撃してこない敵を待っていても仕方ない。時間をかければせっかく削った敵輸送部隊の統制が回復してしまう。それこそ敵の思うつぼだ。故にマリードゴールは決断を迫られていた。
この場に止まるか、それとも敵を無視して後退するか。
彼は指揮官として、部下の命を預かる者として決断しなければならない。
だが彼は精鋭部隊の長をする優秀なエルフであった。故に彼は速やかに天秤を傾けて結論を作り出した。
「……戦闘を取りやめ、後退作戦に移行する。シャルル上等兵、背後の警戒をしているアベル兵長を呼び戻せ」
「ハッ」
彼は一瞬の熟考を終え、テキパキと部下達に命令を伝えていく。
お客が来ないのならさっさと帰ろう。
そんな考えて彼は部下達に撤収を命じたのだ。
「各自撤収用意。静かにやれ。騒ぐのは基地に戻ってからだ」
ほっと胸をなで下ろしながら彼は緊張の糸が緩むのを感じた。まだ作戦中ではあるが、一つの山を上り詰めたような満足感が襲ってきたせいで彼は緩めてはならない糸を緩めてしまったのだ。
その時、部下の一人が立ち上がりかけたまさにその時、銃声が響いた。それと共にその部下は殴り飛ばされるように横に飛び、動かなくなる。
「……て、敵襲!」
「頭をあげるな! 狙われている!!」
「各自、警戒! 警戒!」
「どこだ!? どこから狙われた!?」
一気に混乱が部隊を飲み込む。
マリードゴールさえ部下が攻撃された事が信じられなかった。
「ひ、左だ! ジャンの血しぶきが右に飛んでいる! 左からの攻撃だ! 左翼を警戒せよ!!」
だが冷静さを一刻も早く取り戻した彼は死んだ部下がぶちまけた赤い液体から思考を紡いでいく。
彼とて伊達に中尉をしている訳では無い。幾多の戦場を抜けて来た感を持つ故に彼は精鋭の指揮官たるのだ。
「左翼だ! 左翼を警戒しろ!!」
「居た! 十時方向! 接敵!!」
悲鳴じみた報告にそちらにゆっくりと頭を上げれば、銃を投げ捨て、一人切り込んでくる人影が見て取れた。
マリードゴールはその人物を見返した。一人!? 一人しか居ないのか!? それも相手は銃を捨て抜剣突撃?
確かに前装銃なら装填に二十秒も時間を使う。その時間を全力走に費やし、近接戦に持ち込むという作戦も理解できる。むしろ前装銃の戦いとは互いに火力を投射してしまえば装填のために二十秒も立ち止まるような無能をさらす事無く銃剣突撃と言うのが相場だ。
だが銃に銃剣を取り付ける事で槍と言うリーチのある武器でそれは行われるものであり、わざわざリーチの短い剣でそれを行うなど考えられない。それも相手は一人で、である。
「撃つな! 各自周辺警戒! 奴は囮だ。俺がもらう!」
その意味の分からない行動を意味ある行動として理解しようとした時、マリードゴールはそれを囮であると判断した。
一撃を加えた後に目立つ抜剣突撃は確かに部隊の目を一か所に集めてしまった。その隙に敵は本命の銃剣突撃を敢行してくるはず。
そんな思いを抱えたマリードゴールは即座に周辺警戒と囮を排除するために片膝を立て、その上に左肘、そして銃の順番に積み木を組み立てる。
骨と骨で銃を支える事でより安定した射撃をするための方法をマリードゴールは脳内に反復し、精神の均衡をはかる。
そして彼は念じる。大丈夫、敵の策は読みきったと。
サイトの先に勇敢な敵を捉え、深く吸い込んだ呼気を少しだけ吐き出して止める。そしてトリガーに添えていた人差し指で優しくそれを、絞る。
轟音、白煙。銃火が迸り、甘美な硝煙の匂いが鼻をつく。
命中した手応えを感じた彼はやはり満足の元に口元を歪めた。
だが先ほどのような油断を彼はするつもりはなかった。即座に周囲を見渡し、敵の攻勢が無いかチェックする。
とは言え、自身の発砲煙と、敵の火炎魔法の効力射によって生み出される煙によって視界はすこぶる悪い。このままここにいても燻されるだけだ。
「各自、撤収する。シャルル上等兵! まだか!?」
悪態をつきたい心を精一杯我慢してマリードゴールは部下を呼ぶ。
だがその返事が返ってくる前に白い煙の中でゆらりと人影が立ちはだかった。
「我が名はブラド・ワラキア! いざ――!!」
そして煙が切り裂かれるように白い幕から一振りの剣が飛び出し、それがマリードゴールの喉元を叩き斬った。
喉に赤く熱した鉄棒を突きこまれたのかと錯覚する熱さと痛みに彼はなにが起こったか理解出来ないでいた。
だが間近に敵が居るのは理解して、彼は今まで使わなかった腰のホルスターから六連発式の小型リボルバーを取り出し、狙いも付けずに発砲する。
少数故に火力の底上げを計って軍から至急された指揮官用のそれは威力に疑問が残るもののライフルに比べてすさまじい連射性を誇る。
それに敵との距離は相手の剣戟が届く程度。狙わずに撃ったとて命中させる自信が彼にはあった。
だが眼前の影は発砲と同時に霧にでもなったかのように霧散してしまう。
「ご、ごぽ――」
ど、どこに――。喉からこみ上げる血によって言葉にならなかったが彼は残された時間の中で視線を振って相対していた敵を探す。
まさか幽霊に首を切られたとでも? そんな冗談……。
ガシリッ――。
「――!?」
リボルバーを掴む右手が誰かに握られた。そして唐突に背後から人の気配を感じ、恐怖に震えながら振り返ればそこに薄く口元を釣り上げて笑顔の形を作る白髪赤眼の青年がこちらを見ていた。
「いただきます!」
彼はそう呟くなりマリードゴールの首筋に歯を突き立て、残り少ない命の源を吸い始める。いや、吸われているのは血だけではない。血に混じる魔力を吸いだされているのだ。
その結果、生理的反応として体内から流れ出した魔力を取り戻そうと魔術回路が意志から離れて周囲の魔素を強制的に集め出し、哀れなエルフから体力を奪って行った。所謂魔法性疲労である。
「ま、魔族か……!?」
それも吸血を行う種だと――。
マリードゴールに残された意識は違う、そんなはずはない。そもそも父親世代の話にしか聞いたことがない。
血と共に己の身に魔力を蓄える残忍で薄汚い種族など、浅ましいあの種族しか――。
「ば、バンパイヤ――!?」
「ご名答。やはり長寿種のエルフはまだ我の事を覚えていてくれるのだな。嬉しいな。ありがたいなぁ!」
バンパイヤ――それは三百年前に世界を震撼させた種族の名であり、誰もが畏怖した結果、彼の種族の者を魔王と呼ぶ者さえいる。
だがその希少性から生態などは全く知られておらず様々な言い伝えが飛び交っていた。
曰く、その者は吸血により他者の魔力を吸いとる事が出来る。
曰く、他者から奪った膨大な魔力を体に蓄えているため回復魔法を身にかける事で敵の攻撃からダメージを追わない。
曰く、その身は魔力で構築されており、それを霧へと変える事が出来る。
「ふ、封印、されたはずじゃ――。ま、まさか――」
だがマリードゴールに残された時間は唐突に終わりを告げる。視界が暗転し、彼は思考を紡ぐ事のない肉塊へと変わり果ててしまった。
「三百年の空腹を癒してくれるエルフ諸君!」
そして彼は優雅に周囲を見渡す。
「ごきげんよう。我のケツを舐めろ」