エピローグ・1
セプリス村での戦闘から一月後。
五月雨煙るプルーセン共和国首都ケーニヒスハーフェンの郊外にある軍人墓地に葬送のラッパが響いた。
それと共に第六六六執行猶予大隊の中で比較的損害の少なかった第二中隊第一小隊が天に向け弔銃を発射する。
「撃ち方止め! 弔銃止め。左向けぇ左ッ!」
その号令を発するミヒャエル・ボイス少佐は雨を物ともせず淡々と号令をする。その視線の先には数千を越える墓石と人の丈の二倍もある大きな追悼碑がそびえていた。
無数の墓石は魔王戦争からプルーセン革命の間に戦死した者達の物であり、巨大な石碑はそれ以後の戦争の戦死者が合祀された物だ。
ついに敷地面積の許容数を越えた戦死者を生み出すプルーセンの苦肉の策とも言える墓石に兵達は淡々と儀礼をすませていく。
それを見守るように集まった文屋達が一斉にストロボを切る。その無感動な様をブラド・ワラキアはどこか人事のように思いながら淡々とボイスの号令通り動いていた。
あまりの退屈さに彼はふと、あの日の教会を思い出した。
大隊本部が置かれた教会には警戒用にオークの第一中隊から一個小隊と機関銃小隊、そして通信小隊が籠城し、敵の攻撃をしのいでいた。
特に鐘楼に設置された機関銃は猛威を振るい、教会を囲むように作られたバリケードに張り付こうとしたパルチザンを片端からなぎ倒していった。
だがパルチザン達が鹵獲した歩兵砲を持ち出した事で戦況は変わる。
特科より払い下げられたそれは廃棄寸前の旧式の前装式野砲ではあったが、その火力は魔法使いに迫る物があり、魔法使いの不足する部隊では補助火力として使用されていた。
旧式野砲なれど歩兵砲の名の通り敵の籠もる頑健なコンクリート陣地などを破砕して歩兵を直接支援する使命を与えられたそれは木造の教会とバリケードを易々と瓦礫へと変貌させ、大隊本部を壊滅させる事ができた。
もっともその直後にプルーセン軍の増援が到着し、戦闘はなし崩し敵に幕引きとなったおかげで大隊本部は辛うじて敵の突入を防げが、それはいささか遅かったと言わざるを得ない。
パルチザンの猛撃を受けて死傷者ばかりの大隊本部の最後の砦であった教会は歩兵砲の直撃により倒壊し、多くの生存者を生き埋めにしてしまった。
「――。ん? なんだ、貴様等。生きてたのか」
教会の解囲に成功したプルーセン軍は安全の確保された駅の南に夜戦病院を設立し、懸命な救命活動が行われていた。
そこにワラキアとクロダ、そしてモルトケの姿があった。
「なんだか、視界がかすむな」
「だ、大隊長殿。お疲れなのでは?」
クロダが震える声で囁く。モルトケが発見された時、彼女は他の大隊本部要員と同じく教会を構成する角材の下敷きになっており、早期の治療を必要としていた。
しかし出血の多さから「助かる見込みなし」と軍医から判定を受け、モルヒネを投与されただけであった。それは戦線復帰出来る兵士から優先して治療する事で前線での戦力低下を少しでも減らそうという軍事救急が施されていたからだ。
「そうか。それでワラキア少尉。残敵掃討はどうなってる?」
「はい、大隊長殿。残敵掃討は援軍として現れた予備役銃兵第二三三連隊が引き継ぎました。第六六六執行猶予大隊は現在、駅周辺の防御を担当しております」
それを聞いて安堵したのか、モルトケは大きく息を吐き出した。
「教官職からやっとやりがいのある任務につけたと思っていたが、世の中思い通りにならないな」
「世の中が思い通りになるのなら我は人間共を滅ぼしておりました」
「抜かせ、魔王め」
力なくモルトケの口元が歪む。それさえも億劫と言うように。
「だが私は敗軍の将にはならなかったようだな」
「はい、大隊長殿。我らはパルチザンに対し決定的な勝利を掴む事が出来ました」
「……。だが、何人死んだ?」
「大隊の損耗については未だ集計中であります。指揮は現在、最高位者であるボイス大尉が――」
そのワラキアの言葉を遮るようにモルトケは「お前の小隊は?」と聞いた。
「戦死十二名。作戦行動中行方不明四名であります」
「部下を失うことに慣れすぎているぞ。そう言う諦めに似た境地を抱くには若すぎる……。いや、ワラキア少尉はそうではないのか」
焦点のあわなくなってきた視界の中、モルトケはふとクロダに視線を移す。こいつも部下の戦死について何も感じていないようだ。
「はぁ……。私の教育は全て無駄だったんだな」
「そのような事はありません。わたしは教官殿の教えを――」
「それが無駄だと言うのだ。素で良いぞクロダ。お前、部下を失っても何も感じておらんだろ」
「……はい、その通りでありであります」
こいつは昔からそうであった。もっともモルトケが教え子の異常に気が付いたきっかけは卒業研修での不期遭遇戦であり、それから思い返すと思い当たる節が多々あった。その最たる出来事が魔王復活だ。いくら完全に封印を解く訳ではないとは言え、常識的な精神があればいくら宰相閣下の命令でも拒んだだろうに彼女はそれに頷いてしまった。その時点で彼女の真っ白い虚無に気づくべきではあったのだ。
「おまえ達ほどの問題児も今後は現れるまいな」
「不徳のいたすところであります……」
「まったくだ。それよりタバコを加えさせてくれ。腕が動かん」
クロダがモルトケの胸元にしまわれたシガレットケースを取り出し、それを加えさせて火をつける。
モルトケは満足そうにゆっくりと紫煙をくゆらせ、呟いた。
「最後に大暴れして逝けるのは軍人冥利につきる。ホビットとして無益な時の果てに死ぬよりだいぶ気分が良い。だが心残りが無い訳では無いがな」
その心残りである不肖教え子二人を見つめ、モルトケは口に含んだ煙を吐き出す。
「まぁ、魔王やら勇者やらに凡俗のホビットが何かを教えるのが間違いだったか。だが、最後の講義だ。心して聞けよ。
まずクロダ候補生。お前は臆病を大事にしろ。それが無ければお前はただの化け物だ。
続いてワラキア候補生。貴様はまず口調を直せ。魔王気分を抜けておらん。
そして両候補生。常に考え続けろ。分からなくても良いから考え続けろ。指揮官とは考えが止まった瞬間に死ぬ生き物だ。常に考え、最善を尽くせ。以上だ」
「「はい、教官殿」」
そしてヘルムート・フォン・モルトケ少佐はその晩のうちに息を引き取った。
その回想が終わると共にワラキアは顔に降り注ぐ不快な雨に意識を戻された。
もっともワラキアがその時の事を思い返してもモルトケの死に顔は「こいつら理解してないな」と言いたげだった。その見立ては正しく、二人そろって理解していなかったが。
「大隊、気をー付けッ。慰霊碑に捧げぇ銃!!」
ボイス少佐の号令とともにワラキアは剣を抜き、それを一度顔の前に掲げ、そして敬意をもって放った。
復活を遂げた自分のような者に真剣に挑んできたのはアイラトカと言うコボルトと、モルトケ教官だけであったから。
◇
「ここに悲しいお報せを文屋の皆様に伝えなければならないのは、共和国宰相として非常に遺憾であります。
去る日の戦闘により、魔族との友好のために結成された第六六六執行猶予大隊は卑劣なるパルチザンの襲撃を受け、軍民問わず多くの犠牲者が出しました。
詳細については軍事機密につきお答えはできませんが、彼らは魔族の村人を守るために奮戦し、大隊長ヘルムート・フォン・モルトケ大佐――当時少佐を始め百十三名の犠牲者を出しながらも戦い抜いた事だけは、皆様にお伝えしたい」
雨に濡れるのも構わず、丁度の良い服を着た糸目の男は居並ぶ文屋の前に立って口を開いた。彼は雨粒を拭いもせず、目元から流れるものと区別がつかぬ様であった。
「私は今までにない深い悲しみを覚えております。それは今回、ご報告した戦闘だけではなく、今時大戦開戦の日より常に抱えてきた想いであります。
なぜ、善良なる愛国者が血を流さねばならぬのか。なぜ邪知暴虐なる者達が平和を愛する祖国に牙を向けるのか。
なぜ安息を求める我が国に対し、手を挙げるのか私には理解出来ません。
私は悲しみとともに強い憤りを覚えます。そしてそれらが私を突き動かす原動力となる!
我々は悲劇を乗り越え、明日に進まなければならないのである!」
宰相は大きく息をつき、文屋の前で演技をするように両腕を目一杯広げる。そして誰もが先ほどとの口調の変わりように演説に飲み込まれた。
「しかし諸君の中には未だ前線で弔われもせず泥と硝煙の中に眠っている護国の華と散った勇士達を差し置いて魔族部隊の鎮魂を祈るなど言語道断と言う者もいるだろう。
確かにそうした英霊に対し、私は不義を働いているのかもしれない。
だが私はこの凄愴苛烈なる戦いにより英霊となった者達の事を多くの国民に知ってもらうためにこの席を設けた。何故?
それは勇敢に戦った魔族達の姿を国民の一人でも多くに知ってもらいたかったからだ。いや、国民だけではない。悲劇的な運命を共に辿っているエリュシオン帝国にも、内戦の嵐吹くウオニー獣人国家群にも、第六六六執行猶予大隊が如何に勇敢に戦ったのかを知って欲しかった。
彼らは我らの戦争に果敢に一つしか無い命を賭け、立ち上がってくれた。
彼らは旧王国を脅かした侵略者から共和国のために共に戦う友へとなてくれた。
よって私は魔族戦死者も人間、亜人戦死者の区別無くこの鎮魂祭で彼らの冥福を祈るばかりである。
だが我ら生者が出来る事は祈る事だけだろうか?
共和国繁栄の礎となって散って逝った彼らに私達は何が出来る? 魔族だけではない。人間や亜人の犠牲者に、我らは何をしたら報いとなるだろうか? どうしたら彼らの魂を安らかに天の国に送れるだろうか?
その答えは本時戦争の勝利しか有りえない!
護国に散った英霊に報いるは仇敵エリュシオンの反攻を撃砕し、これを以て共和国を盤石の安きに置くあるのみである!!
諸君、我々はプルーセンのために散っていった者達のために全力をつくし、総力をあげて今年中に勝利を手に入れなければならないのである!!
魔王戦争の時、旧王家は出征する兵士にこう言った。”祖国に殉じるのはうるわしき名誉なり”と。
祖国が求めているのだ。勇士を求めている。そして戦場が諸君を呼んでいるのだ!!
今こそ我らは国家の総力を集結し、老若男女、種族間関係なく全員で戦争遂行に傾注し、勝利をつかまねばならないのである!!
それが……! それが国のために散っていった、者達への唯一の手向けであると信じて――。『神は我らと共に』」
雨とも汗ともつかぬ液体を額に張り付けた宰相は最後、叩きつけるように言葉を吐き出す。
その後、彼は追悼式典での記者会見を無難にこなし、一人、傘をさして広々とした墓地を散策していた。
共和国宰相として、陸軍大臣として宰相官邸にて戦争指導会議や様々な政務を処理しなければならないのだが、彼は少ない時間を工面してなんとかこの時間を作り上げたのだ。
それが雨降る墓地の散策であるのだから彼の秘書は頭を痛めていたが。
それでも共和国宰相カール・フォン・ジーベンビュルゲンは周囲の反対を押し切り、なんとか一人で居る時間を捻出した。もっとも彼の周囲には常に五人ほどのボディーガードがかげながらに付いていたが。
そしてやっと彼はお目当ての人物を探し出した。
その者は傘もささず、上から下まで雨に身を包みながらただ広大な墓地を見やっていた。
三百年の永きにわたり封印されていた魔王――ブラド・ワラキアだ。彼は部隊の解散命令が出た後、部下と共に首都での営地となっている出征していって空いていた連隊の基地に帰るではなく、こうして一人雨の中ぽつねんと立っていたのだ。
「やぁ。探しましたよ、ワラキア少尉。軍人が傘をさすなんて軟弱めって言われそうですが、私は濡れるのが嫌なのでね」
「………………」
エピローグ一です。あと一話で一章完結です。
それではご意見、ご感想お待ちしております。




