魔王
「あぁ魔王様! ちょうど良かった」
ん? と魔王が少し首を傾げた。
それを見たオークの歩哨が困惑していたが、ワラキアは小さく任務に戻れと言い渡し、バリケードを越えてエキドナに歩み寄る。
「何用か?」
「いやぁ……。ちょっとね。どうだい? 付き合っておくれよ」
「……よかろう」
「――え?」
最後の声にエキドナがワラキアの後ろについてきたハーフエルフの存在にやっと気が付いた。彼女の錆びた軍隊経験からそのハーフエルフの階級を読み取り、小隊の副官か、それに類する人物だろうとあたりをつけた。
「し、小隊長殿。行かれるのですか?」
「あぁ。大事ないだろ」
「それは――。まぁ……」
「お前は先に帰れ」
「はい、小隊長殿。それではお先に失礼いたします」
ハーフエルフは右手の握り拳を側頭部に当てる共和国式の敬礼を行い、ワラキアも返礼をする。そんな短いやり取りにどこか懐かしさがこみ上げて来るエキドナであったが、これからどうすべきか悩んでいた。
そもそも彼女は魔王が自分達のご先祖様の時のようにこの村を救ってくれるとは思っていなかった。
同じ魔族とは言え三百年もの月日が経ち、相手は共和国の軍人であり、パルチザン掃討のために村にやって来たのだから協力を取り付ける事など不可能だ。
その上、魔王はラミア族の特性である【魅了】を看破しているのだから手も足も出ない。
そんな中で魔王を呼び止めたまでは良かったが、この後はどうすべきかとエキドナは自分の無計画さに呆れた。だがそれと同時に家々のカーテンの隙間から突き刺さる複数の視線を感じていた。これで魔王様に協力を取り付けていると映るだろう。ならば村の強硬派も思いとどまってくれるはず。
「して、どこに向かって居るのだ? 夜這いか?」
「あはは。うちはもう少し若ければね。ただ、酒を一緒に飲むだけじゃ不服かい?」
ワラキアは「別に」と短く呟く。だが警戒の度合いが変わっていない様に淡々とした声音であった。
こりゃ支援をしてもらおうなんて無理だな。もっとも時間を稼ぐと言う事で言えば彼女は成功をしていた。それだけでも十分。なら貧しいながらにやっとの蓄えで買った酒を振る舞ってもいいやとさえ思っていた。
「で、ただで酒を飲ませてくれる訳では無いのであろう?」
「あー。なんと言うかね……。あんたは魔王様なんだろ? だったらさ、一介のラミア族として聞いてみたい事があるんだよ」
「申してみよ」
「酒が入ってないと言えないさ」
その言葉を最後に二人はただ無言でエキドナの家に入る。
玄関を開ければすぐ居間とキッチンの広がる小さな家。家を出る際に消した熱を持つ燭台に火の魔法で明かりを灯すとその小ささがよく映った。
「ごめんね、ラミア族は椅子を使わないからさ」とエキドナは家の奥にあるキッチンの戸棚を漁ってとっておきの葡萄酒を彼女は取り出す。
「行儀は気にしないからテーブルの上に座ってておくれよ」
「立ったままで構わん。それよりさっさと用向きを話せ。まぁ、夜討ちではないようだな」
「そんな事する訳ないさね」
「そうか? コボルトを最初に撃ったのは我の部下だぞ。恨まないのか?」
「なら恨む相手はその撃った部下さ」
ワイングラスなんて無いけど許してね、とエキドナは木杯を二つ居間のテーブルに置く。そして彼女は慣れた手つきで濃緑の瓶に栓抜きをコルクに突き刺し、クルクルとそれを回す。もっとも力一杯にそれを引き抜こうとしても中々抜けないようだが。
「貸してみろ」
「お、さすが魔王様!」
魔王はゆっくりと力を込めてコルクを抜けばポンッと間抜けな音が静かに響き渡ると同時に芳醇な香りを鼻に届けてくれた。
「さ、うちが注ぐから」
「ん? そうか?」
瓶をエキドナに返したワラキアは静かにトクトクとカップに注がれる深紅の液体を見つめていた。そう言えばよく誰かにこうして酌をしてもらった記憶が彼の中に蘇る。それは数えきれない魔族達であり、目の前のようなラミア族の女だったり、オークだったりコボルトであり、そしてサキュバスであったりと様々だった。
「じゃ、乾杯と行こうかね」
「では乾杯」
挨拶はなしかい、とエキドナは呆れながら一口を飲み込むと口内に爽やかな葡萄の香りが広がり、舌を痺れさせる。
あぁ時が止まったらなぁ。
「して何用だ?」
「せっかちな男は嫌われるんだよ、魔王様」
「――して?」
「つれないねぇ」
だがここまで引き延ばしても仕方がない。かと言って他愛もない世間話で終わらせるのも勿体ない。
「魔王様って、どうして魔王様になられたんだい?」
「む?」
予想外の質問にワラキアはワインで唇を湿らせながらふと何故魔王と言う物をやっていたのかと記憶を探る。
そうだ、確かあれは腹心を気取っていたサキュバス族の――。
「頼まれたからだ」
「え? なんだって?」
「頼まれたのだ。魔族の王になってほしいと」
「……。それだけかい?」
「それだけだが」
さっぱりとした言いようにエキドナの思考は白く染まってしまった。
頼まれた? 頼まれた!?
「そ、それって、その、どういう?」
「言葉の通りだ。我は王国を出奔し、今で言う旧魔王領を彷徨っていた。そこで我の力を見た魔族達が集まって来たのだ。それである時、王になってくれと懇願された」
その光景を魔王は昨日の事のように思いだせた。
法の通じない力のみの世界であった旧魔王領において彼は類を見ない力を振るい、魔族達が勝手に平伏したのだ。
そしてその集団は付近からの難民――エルフの国から排斥されたゴブリンやオーク族が、獣人の国から迫害されたコボルト族やサテュロス族が集まり、人間族から逐電した元公爵が統べる国へと成長した。
「お伽噺にある『魔の誘いに乗って人間の国に復讐するため、闇の力を使って魔族を生み出した』ってのは?」
「お前、自分の先祖がそんな物から生まれたと思っていたのか? 歳の割にロマンチストなのだな」
口元を薄く釣り上げてわらう嫌な笑いを浮かべたワラキアにエキドナはムッと唇をとがらせる。
だがこれは挑発だ。落ち着け、と感情を押しとどめるようにワインを口に含む。
「そんで、なんで魔王様はその頼まれごとを了承したんだい? やっぱりあれなのかい? 王への不義って奴への逆恨みかい?」
共和国や帝国で一般的に語られる魔王戦争譚の序章は決まって狂った将軍が結婚の決まっていた王姫に手を出してしまい、それを咎めた王様に王国を追放される形で始める。その処置を逆恨みし、魔の誘いにのってしまったが故に将軍は魔王になってしまたっと。
「違う」
「それじゃなんだって言うんだい?」
ジッとエキドナの紅玉が魔王の赤い瞳を見つめる。同色のそれが混じってはそれ、混じってはそれ、そして赤い赤い葡萄酒に注がれる。
「それは偽史だ。我は姫殿下に不義を働いた事など無い」
ワラキアは思い出したく無いようにコップをあおり、一気に中身の半分を飲み干した。
もったいない、とチビチビ飲んでいたエキドナは彼に瓶を傾けながら「じゃ本当はどうなのさね?」と何気なく問う。世間話でもするようなノリ故か魔王は淀みなく言葉を続ける。
「我は嵌められたのだ。星神に誓って姫殿下に手を出していないと言える」
「それじゃ何で?」
「あの頃、陛下は北辺を脅かすドワーフとの戦に手を焼かれていた。我は陛下の命を受けて討夷大将軍に任命され、その討伐にあたっていたが、奴らは一歩も引かぬ健闘を続けておった。戦費は膨らみ、民は重税に喘ぎ、国はやせ細って行くばかりの様相だった。他の貴族達も厭戦気分を抱いていた上、傭兵団と契約で賄賂が交わされる事もあったな。つまり政は荒んでいたのだ。
故に我は国政を立て直すために休戦を陛下に願い出た。だがその行為は陛下の御心に背く願いであった」
彼はそのせいで冤罪をでっち上げられたのだ。
「我はあれほど理不尽を知らなかった。不敬罪、姦淫罪、内乱画策罪、横領に利敵行為、王国への裏切り……。ありとあらゆる罪を着せられ、ワラキア家のお家お取り潰し、一族は反逆の罪において全員、拷問の末に処刑させられる事になった」
弁明を許されず、ただ国のためにと思って動いた将軍はその地位も何もかもを失う事になった。
「それじゃ、魔王になったのはその復讐?」
「違う。もっとも刑場に居た時は復讐を誓ったものだ。四肢を車裂きにあい、鞭で打たれ、斧で断頭されたあの時も理不尽を呪っていた」
え? 死んだのかい!? とエキドナは思わずカップが指の間から落ちそうになる。だが彼女はなんとかカップを持ち直し、ゴクリと喉を鳴らす。
「だが我の首が地に落ちる直前、何かが我に語り掛けた。何を言われたのかは忘れたが、それに頷いたのだ。すると体が全て霧へと変わった。そしてそのまま逃げたのだ。風のように流れ、獣のように吠えながら。
気づけば暗き森のどこかに居た。何日か彷徨ったが、森は深くなるばかりでな」
クツクツと彼は忍び笑いをもらした。成人し、父の跡を継いでワラキアの家督を名乗り、将軍と言う王国に在する全騎士の棟梁となったのに彼は童子のように泣き、喚き、暴れたのだ。
その際、たまたま出会った魔族と成り行きで決闘のような物を行った事もあったとワラキアは懐かしかった。
「だが、ふと気づいたのだ。我は何も持っていないのだと」
唐突に訪れた虚無感に彼の抱いていた怒りも憎しみも全て吸い込まれてしまった。
確かに自分を陥れた王国は憎い。だがその復讐を果たしたとして失ったものが全て戻って来る事は無いし、国民は自分の事を国賊と罵る者ばかりであり、復讐を果たしても自分に向けられる視線は変わらないだろう。
それ故、熱湯が次第に冷えて真水になるように彼の怒りも憎しみも永くは続かなかった。
気が付けば暗き森の中でただ一人。親類縁者は皆、処刑台の露と消えた。
地位も家族も失い、ただ一人で森を彷徨う彼。あると言えば何かの囁きによって得られた力のみ。
「気が付くと魔族共が我と共にあった。奴らは力こそ全てと言う考えで、事あるごとに我に勝負を挑んできたのだ」
「……もしかしてなんだけどさね、それでその、誰かが言ったのかい? 魔王様になってほしいと」
「そうだ」
そんな間抜けな話があるかとエキドナは笑い飛ばしたかったが、当の魔王様がこの調子ではと頭を抱えたくなった。
だがそれよりもふとした悪戯心が芽生えたのは言うまでもない。
「なら、うちが頼めば魔王様としてこの地を治めてくれるのかい?」
「我がか? 村長はお前であろう。それを譲ると言うのか?」
「いや、そう言う事じゃなくて、頼めば魔王様は再び魔王領の主になるのかと尋ねているんだよ。
魔王様だって、この辺りの事情は知っているんだろ? 今、魔族がどんな扱いにあっているのか。
魔王戦争以来、この地は大国の玩具さ。そこに暮らす民も含めてね。
うちらが育てた麦は『魔族だから』って理由だけで人間の半値で買いたたかれるし、どんなに働いても『魔族だから』って理由だけで賃金も人間の半分。だけど『魔族だから』って理由で税金は二倍さ。
人間共はうち等を家畜か何かのように思っている。
そんな支配に秩序と平穏を与える新しい国がうち等には必要なんだよ。その国の主に魔王様はなってくださるのかい?」
「別に構わぬが」
今まで自分は何を悩んでいたのかと呆れたくなるほど明快な答えにエキドナはわしわしと母から譲られた金の髪をかく。
そこにあった感情は喜びでなく、子供を諭すような呆れであった。
「あの……。実は適当に返事をしているだけなのかい?」
「――? 意味が分からぬな。いくら酒の席でも誠実な答えを出しているつもりだが」
「なら言わせてもらうけどね、魔王様のその言葉だけでどれほど多くの血が流れるのか考えた事あるかい?
魔王様がうち等の国を建国すると言えば大勢の魔族がそれに賛同するさね。でもね、きっとプルーセンなりエリュシオンなりウオニーらはそれを許さないはずさ。必ず戦争になる。
そうなれば多くの魔族や他の種族の血が流れるだろうね。そうした覚悟を持ってうち等に国を与えてくれるのかい?」
そう、独立の動きを見せれば列強はこぞって出兵してくるだろう。
今でこそ陰ながらにウオニーやエリュシオンの助けを受けてパルチザンとして活動しているが、その支援とはプルーセンの足を引っ張るための支援であり、魔族のための支援では無いのだ。
だがそれが分かって居ても彼女は列強の支援を受け入れた。今のままでは何も変わらず、ただ先細る未来しかないのなら血を流してでも変革を迎えようとした。
そこにたどり着くまでに半年もの葛藤があった。パルチザンの活動で死者が出た時もこれで良いのかと迷った。
しかしそれでも進まなければと今日までやってきた。そして今日もこれでよかったのかと悩みもあった。
そんな苦悩を抱える彼女の前でこの男はそれを微塵も介さずに理想の先にある国の王になると軽々しく言った。
「戦になれば人は死ぬ。それが道理ではないか。何を気にする」
「――ばっかじゃないの!?」
それではまるで無責任ではないか。その一言にどれほどの重さが詰まっているのか本当に考えているのだろうか? もし、三百年前もそうした安請け合いの上で魔王領が滅びたと言うのなら傑作だ。
そんなバカに夢見た先祖が哀れで仕方ない。
「あぁ、そうだ。王になると言っても先約があるからな。それの後だ」
「先約? 良い言い訳でもあるのかい?」
「口を慎め。今は先に軍務につくよう乞われている。一度交わした約束を反故にする訳にはいかん。それが済めば今度は王になってやろう」
「あんた、ならうち等の先祖はあんたに王になってくれるよう頼んだのだろ? ならそっちの約束の方が先約になるんじゃないのかい? なら今すぐうち等を助けておくれよ! 人間に滅ぼされようとするうち等を――」
待て。冷静な自分が「お前、魔王様と話す時に話すだけで十分村に効果があると思って家に招いたのだろ」と言ってくる。
確かにエキドナは彼に魔王になって欲しいのではなく、村の暴発を止めるために彼と酒を酌み交わす事にしたのではないか?
だったら自分が怒るのは筋違いも良い所だ。なんたって自分は今更魔王が復活してもこの苦しい生活が変わる事は無いと思っているのだから。
「……すまないね。怒鳴っちまって。せっかく招いたってのに。どうやら、それくらい追い詰められてたようだね。あ、さっきのは忘れておくれ。あんたにあたっちまうなんてね、どうかしているよ」
「先ほどの問いだが」
もうやめておくれよ、とエキドナがコップの中身を飲み干す。恥ずかして口をききたく無かった。
「魔族の国はすでにあるではないか」
「……は?」
「自治区とは言え、この地はれっきとした国である。そう宰相は言うておったし、我が読んだ書物にもそのような事が書かれていた。故に我は先の約束を果たしている」
なんだこの怒りは? 確かに勝ってに怒りを現したのはうちの落ち度だ。だがこれは?
先祖の暮らしは想い図るしかないが、どちらにしろ人間やエルフ、獣人共に迫害されて来た者達が何を願っていたかくらい想像はつく。
助けて欲しかったのだ。誰かに排斥され、不当に差別される世界から救ってほしかったに違いない。
そんな純粋な願いをこいつはあっさりと切り捨ててしまった。
なんて軽率。なんて不義理。なんて、なんてなんて――!!
「長々とすまなかったね。もう、話す事は無いよ」
「そうか? では失礼する。あぁ、美味い酒であった。今度は我から何か差し入れよう」
その軽薄な態度にエキドナは失望を覚えていた。
本日は連続更新はありません。ご了承ください。
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