亀裂・3
連続更新三回目です。ご注意ください。
数発の銃声によって始まった不幸は第六六六執行猶予大隊に戦死者一名、村人側に多大な死傷者を出してしまった。
その夜。大隊本部が置かれる教会の周囲には緊急的に土嚢をいくつも重ねて作られた壁やそこらにあった馬車や木板などでバリケードが作られ、銃を携帯した兵達が絶え間なく周囲の警戒にあたっていた。
そして教会内ではただ燭台の焦がれる音のみが響く静謐さで満ちていた。
「なんと言う事だ……」
その静寂を壊したモルトケはタバコで溢れた灰皿にさらに吸い殻を押し付けてシガレットケースから新たな一本を取り出す。
もっとも集まった士官達も苛立ちを隠せない様にタバコを吸うか、意味も無く鉛筆の尻で机を叩く行為を繰り返していた。
その中にこの事件の当事者となった第二中隊の中隊長ミヒャエル・ボイス大尉やその部下となっているワラキア少尉にシャルロット・ハフナー上級軍曹まで出席させられていた。
「では、今回の騒動は『事故』であった。それでいいな」
モルトケの隣に座る大隊副官であるエルフの大尉が念を押すように言う。
そう、軍としてはこの一件を不幸な事故であったと結論付けて北方総軍に報告しようとしていた。
もっとも北方総軍も軍が民間人へ攻撃した事態を憂慮しており、明日にでも北方総軍参謀副長や憲兵に法務科士官などの調査委員会がセプリス村に来ると敷設したばかりの電信に受電していた。
そうした軍関係の法務機関が他所の干渉を受ける前に調査すると言うのは内輪で問題を解決しようと言う意味を多分に含んでいる。故に第六六六執行猶予大隊においても士官達の意志統一をこうして行って居るのだ。
「繰り返しになるが、村人は自分の土地が奪われると勘違いをし、第二小隊のボレスワフ上等兵を射殺した。それに対しハフナー上級軍曹は部下の安否を守るため自衛戦闘を行った。そうだな、ハフナー上級軍曹」
「はい、その通りであります」
「そして第二小隊と村人との間に不幸にも戦端が開いてしまった。そのコボルトの男に率いられた村人が仇討ちとばかりに中隊本部に奇襲攻撃を画策し、中隊本部においても止む無く村人に発砲を強制させられた……。それでいいのだな、ボイス大尉」
「はい、その通りです。わ、私は戦闘を強いられました。そ、それに敵はパルチザンでありました。あれは村人に扮したパルチザンの一味であったのです!」
開き直りと言うべきか。ボイスは上ずった声でそう叫ぶが、誰もそれに耳を貸そうとはしなかった。
誰もが一人のコボルトの暴走に驚いた農夫が村に逃げ帰る様をボイスが『自分達に襲い掛かって来る暴徒』と勘違いし、攻撃命令を発してしまったのが原因なのである。
それはハフナーが伝令に『村人と戦闘す』と単数とも複数とも取れる言葉を使ったが為にボイスは村に居る人々と戦闘に突入してしまったと勘違いしたのだ。もっとも問題はボイスが落ち着いて迫りくる村人が敵意を持っているのか保護を求めているのかの確認をしていればこのような問題など起きなかったのだが。
そして第二中隊では村人との戦闘で戦死三、重傷五人を出すもコボルト族二十人以上を銃殺し、複数の重傷者を出す結果となった。
「村人をパルチザンと断定するのはやめろ。それでは現地民の離反に繋がるし、無為な軋轢を生む事になる。これは双方の不幸が重なった事故であると公表せねばならんのだ」
「……分かりました」
そして再び重い沈黙が大隊本部に降りかかる。
その頃、セプリス村の村長宅においても自警団の者達が頭を合わせてヒソヒソと会合を開いていた。
「村長! もう俺達は我慢できねぇ! 一言村長が声をかけてくれたらあんな奴ら、すぐ叩きだしてやる」
「落ち着けアイラトカ。確かにラーヴァ達が死んだのは悔しいが、まだその時じゃない」
一人のコボルトがエキドナに迫るも彼女は静かに呟く。
誰もが隣人の死を嘆き、沈痛そうに顔を歪めている。
「いいか、みんな。どうか自制してくれ。今動いてもうちらには何も出来ない」
「だけど、村長! 何人死んだと思っているんだ!? もう共和国野郎を許す事はできねぇ! 戦うしか――」
「分かってくれ。人口三百に満たない小村と五百人を超える大隊が戦って勝てるわけが無い。だから急いてはならない」
「……そりゃ、ラミア族はラミア族の方が大事だからそう言えるんじゃないのか? 村長だって同じラミア族がこうなっていれば――」
「アイラトカ! 落ち着け」
薄暗い室内から剛腕が伸び、コボルトの肩を掴む。その主は人に酷似した身ながらも頭に二本の角を生やしたオーガ族であった。
その体躯こそオークに勝るとも劣らない身なりの壮年の男は疲れたと言わんばかりに溜息をつく。
「今は身内で争っている暇などない」
クッと嗚咽を堪えるコボルト族のアイラトカは無力感に苛まれながら力の限り壁を殴りつける。
「……ボリスは良い奴だった。いや、ボリスだけじゃない。みんな、みんな――!
ボリスは率先してあの林を開墾して、誰よりも収穫を楽しみにしていた。他のみんなだってやっと生活が安定してきたって言っていたのに――! やっと戦禍から逃れて落ち着いて来た所だったと言うのに! チキショウ。チキショウ!」
コボルト族は五年前の第三次プルーセン=ウオニー戦争の戦災から逃れるようにやってきた者達だった。もちろん当時のセプリス村に彼らを養う力など無かった。
だがそれでも皆が力を合わせて冬を越し、林を開墾し、荒れ野を耕してなんとか実りを増やしていった。
そんな困窮の中に居てもプルーセンの支配は変わらず、そこに暮らすだけで精一杯の村人達にそれに抗う力など無かった。
そう、彼らはあまりにも無力であった。故に助けを求めたのだ。
「誰か来たな」
オーガ族が振り返り、視線の先にある玄関を見つめる。すると彼の予想通り戸が叩かれる。それもただのノックではない。二度叩いて止み、一度叩いて止み、再び二度叩く。符丁だ。
「入ってくれ」
「夜分に悪いね村長」
素早い身のこなしで屋内に入ったのはコボルト族の特徴である狼耳に狼の尻尾を持つ中年の男であった。
薄汚れたジャケットに裾の擦り切れたパンツ姿。ハンチング帽を目深に被ったその男の足取りは軍人のようにキッチリとした歩き方をするその男は己の事をコボルトではなくワーウルフ族であると言っていた。
「気の毒な事件が起こったそうで。同志の冥福を祈りたい」
「あぁ。ゾルゲさん。その、確かに早まっちまった奴が出たが――」
「案じないでくれ村長。私も党も革命の同志を見捨てるつもりはない。だが我々の準備はまだ整っていないんだ。それに奴らの警戒が強まるだろう。こう言っては悪いのだが、一度、君たちも村から脱出するべきだと思う」
「な――!?」
「今回の一件を上に報告したんだが、上層部は作戦に支障ありと判断してきた。そのせいで我々は一度、この地を離れなければならなくなってしまった。
だが作戦に延期も中止も無い。全ての民を支配から解放する聖戦は必ず起こる。その日のためにどうか私と一緒にこの地を離れてくれないか?」
その言葉にオーガ族の男を含め、屋内に居た者達から驚きの声があがる。
そんな中、「待ってくれ」とオーガ族の男が声を絞り出す。
「ゾルゲ殿の言う事は分かる。だが村の年寄りや子供は足弱で山中の移動なんて無理だ」
「そういった人たちは、残念だが置いていくしかない」
「そんな事出来る訳――」
「強制するつもりはない。だがここで無駄に危険を冒す必要も無い。私達は貴方と共に新秩序に包まれた世界を見てみたいと思っている。それをよく考えておいてほしい」
そしてワーウルフ族の男――ゾルゲはエキドナに向き直るや、彼女の手をとった。
美しいと言うより日々の農作業によって節くれだったその労働者の手を彼は愛おしいように握る。
「村長。村長もどうか身の振り方をよくよく考えて欲しい。もちろんすぐにとは言わないが、我々は明日にでも行動を開始しなければならない。どうか昼までに答えを出してくれる事を願っている」
「……ありがとね、ゾルゲさん」
「――ッ。どうか、どうか命を大切に。全ての種族に平等なる社会を」
彼女は自分達にはついてこない。そう半ば悟ったゾルゲはハンチング帽をさらに目深に被って背を向ける。願わくは、理想を実現したその世界での再会できるよう――。
「それじゃ私はこれにて――」
それからパタンと戸が力無く閉まればいよいよ沈黙が降りかかって来る。それと同時にどうしようもない時も、ゆっくりと流れて行く。
「村長、どうするんです?」
コボルトの男が口を開く。だがエキドナはそれに対する答えを未だに考えていた。
彼女達はプルーセンとエリュシオンとの開戦初頭よりゾルゲの接触を受けて来た。本人はウオニー獣人国家群陸軍の情報将校だと名乗っていた。
それ経由で村に武器弾薬を集める事も出来たし、自警団と称して組織したパルチザンでセプリス村を経由して北上していく列車を襲う事もあった。
それも全ては人間族から与えられた支配から脱出するため。そして彼は晩春に解放の狼煙が上がると。
その狼煙は間もなく上がる。だがその前にセプリス村は重大な決断を強いられていた。
「山に行くなら止めない。だけどうちは村に残るさね」
「ですが村長!」
「この時期に下手に逃散したらそれこそパルチザンだと喧伝するようなもんだ。残った連中がどうなるか分かりゃしない。まぁ数人なら軍の奴らの目を誤魔化せるだろうけど、うちまで居なくなったら誤魔化しようがないからね。
それにあのモルトケってちっこい少佐はうちをそれなりに信用しているようだ。なら、うちはこの村に残ってその時を待つさ」
それでもコボルトの男は不満そうにうつむいている。
そりゃ同族であり、親しい友が殺されたのだ。発端こそ早まったものの、それで村人が二十三人も殺されて大人しくして居ろと言うのが無理な話だ。
そのせいで村に居たコボルトは昨日まで六十八人居たと言うのに今や四五人のみ。それも虫の息の者まで含めて、である。明日の朝日を拝める者が何人いるか……。
「村長。俺達は、種族の誇りを守るために武器を取ったんだよな? なら今こそその矜持のために戦うべきじゃないのか?」
「その通りさね。だけどね、戦士が戦って死ぬのは誉だけど、その巻き添えで子供や戦えない村人が死ぬ事に誉れはあるんかね?」
「……くそ! くそ!!」
これでは今まで何をして来たのか分からないとエキドナは下唇を力強く噛む。
悔しかった。何も出来ない自分が非常に悔しかった。
いや、まだ手はある。
「それじゃ、うちは教会に行ってくる」
「村長!」
「まだ縋れると言うのなら、縋れる宛ては魔王様しかないさね」
正直、彼女はゾルゲがもたらした崇高な革命とやらを賞賛して賛同したが、村長として答えを一つだけにする気は無かった。もしもを考えれば村のために複数の選択肢を残しておきたい。そう思っていた。
そんな時に軍から魔王復活とパルチザン掃討のために件の魔王が直々にセプリス村を訪れると言うのだから天は我に微笑んだと久しぶりに祈りの言葉を唱えたほどだった。
そう、魔王様ならば人間に搾取される自分達を救いだして下さる筈。それこそ自分達の祖先のように。
もっともその計画もなし崩しになりそうであったが。だがゾルゲ達パルチザンの本隊は村から退避してしまう事を決めているようだし、かと言ってこのまま黙っていてはコボルト達が早々に事をおっぱじめてしまうだろう。
進むも引くもその先にあるのは破滅。
「パルチザンの後ろ盾が無いんじゃ、あとは魔王様に縋るしかないね。三百年前、うちらの先祖を統べてくださったあのお方が一声かければノルトの者達は立ち上がる。それしか道は無い」
とは言えそんな他力本願がどこまで通じるやら。そもそも魔王様はプルーセン軍の軍人。そのような方に村を救うために革命の旗印となってくれと頼めるわけが無い。
だが魔王様が村を御救い下さると言う幻想が大事なのだ。それがあるが故に村民の暴発が抑えられれば御の字である。
それに三百年も封印されていたかつての救世主に救いを求めるほど彼女は乙女では無かった。
「そいじゃ、ちょっと行ってくるよ」
「村長――! だが、覚えておいてくれ。俺達コボルトは座して死を待つくらいなら、戦の果てに死ぬ。その覚悟ならとうに決めているって事を、覚えていてくれ」
「………………とにかく皆も帰って休んでおくれ。明日は今日以上に大変だからね」
コボルトとオーガ族の二人と別れ、彼女は一人教会に向かう。だが教会を囲うように配されたバリケードや歩哨によって立ち入るのは不可能の有様であったが。
(まいったね。明日にしようか)
そう思って引き返そうとするが、その前に歩哨にあたっていた大柄で豚のような醜い顔をしたオークに呼び止められた。
「おい、待て! 大隊本部に何用だ?」
「ちょっと、そっちの隊長さんにお話があっただけさね。どうだい。会議は終わったのかい?」
「うるさい奴だな。とっとと失せろ」
いくらオークが姦淫の種と言われてもさすがに戦時故なのか、それとも下半身が蛇であるエキドナに食指が動かぬのか判別できないが、それでもオークの歩哨は威嚇するように銃を向けて来る。
「や、やめなって。こちとら武器を持ってないんだ。銃を下げておくれよ」
「うるせー! さてはお前――」
「何をしている」
参ったなと思っているとどこからともなく怜悧な声が響いた。
そこに居たのは洗練された折り襟軍服に身を包みながら腰に中世然とした古風な剣を吊る白髪隻眼の青年士官であった。
「あぁ魔王様! ちょうど良かった」
ん? と魔王が少し首を傾げるのであった。
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