ミディアム戦線・2
連続更新二回目です。ご注意ください。
部下を呼びに行かせる事で出来上がった束の間の無言の時間を楽しんでいると塹壕の影から真新しい軍服を泥で穢した若い少尉が小走りにやってきた。
彼女の上官である促成教育を受けた少尉だ。噂によれば貴族の八男坊と言う。そのせいか血気盛んな青年将校然とした男であった。もっともそれは口だけではなく勇猛果敢さも持ち合わせた武人であり、ハフナーは常々少尉殿は生きる時代を百年ばかり間違えていると思っていた。
「少尉殿!」
不動の姿勢でサッと右の握りこぶしをこめかみに押し付ける共和国式の敬礼を行うが、少尉はそれに答礼をするどころか少し頷くだけと、なんとも横柄な態度でそれに応えた。
「現在、点在する小隊に集結命令を出しました」
「遅いぞ、上級軍曹。おい、早くしろ」
ギロっと睨んでくる少尉だが、ハフナーから見れば子も同然の年齢のため微動だにせずにその殺意を受け流す。
それからほどなく小隊員である十四名が揃うも、全員が泥と濡れた粘土に汚れ、酷い疲労の色を浮かべており、これから作戦に従事する軍人の姿ではなかった。そんな部下達を前に少尉は軍服の何がだらしないだの、装具をちゃんと取り付けろとか注文をつけていく。もっともその行為は下士官たるハフナーの仕事なのだが、少尉としては全ての事に口を出さねば気が済まない性質らしく、ハフナーが手を出すと逆上するという難物であった。
それが終わるや、彼は部下達を見渡して力強い声で演説を始めた。
「諸君。間もなく作戦開始であるが、我らの任務は前方の敵第一線の奪取にある。
敵兵力はこちらと同程度か、少数と判断するものである。恐れる事は無い!!
そもそも我らの乾坤一擲の攻撃をもってすれば敵陣地の突破は易いものと大隊本部は考えており、俺も同じ考えである。
と、言うのも二十年前の外洋戦争において機関銃とコンクリートで囲われた難攻不落の城塞――リュウジュン要塞を打ち破ったのは法兵の魔法でも特科兵による重砲攻撃でも無く、我ら銃兵の突撃であり、祖国へ尽くす愛国的犠牲が同要塞を陥落せしめたのだ!
良いか! 先人の愛国心が外洋戦争における勝利をもたらしたのだ!
そしてまたもや天の星々は共和国に過酷な試練をお与えになられた。この艱難辛苦から祖国を救い出すのは先人に続く我々軍人の務めである!
そう、今こそ諸君等の身体に流れる熱い愛国心が試されているのである! 愛すべき共和国が望むのは勝利か死である!
諸君等が共和国に勝利と栄光をもたらすのだ! それが行えない魔族は死んで当然! 共和国は無能と臆病者を養うほど優しくは無い!!
よって共和国は諸君等がその義務を尽くす事を期待している!! 『神は我らと共に』!!」
「「「神は我らと共に!!」」」
うわぁとハフナーの内心は呆れ一色だが表情は小隊先任下士官の鉄皮面を維持できていた。
なんだこの演説。蜂蜜に砂糖をまぶしたような歯が浮つく愛国心を魔族に説くのか。
そう、ハフナー以下の部隊は魔族を主として構成された特務大隊であり、そのため兵員はゴブリンにオークにコボルトと旧魔王領出身者ばかりでプルーセン出身はハフナーと少尉だけであった。
だがそんな事を無視して少尉は堂々と「着剣!!」と命令を伝達する。
「着剣」
ハフナーの復唱と共に兵達は左腰に吊られたスパイク式銃剣を引き抜き、自身のツンナール銃の銃口にそれを差し込む。
そしてほどなくして塹壕の各所から笛の音が響く。それに合わせるように少尉もポケットから取り出した笛を吹く。攻撃開始の合図だ。
「行け、行け、行け」
足元に転げさせていた梯子が塹壕に立てかけられ、急かされるように兵達がそれを昇って行く。それにハフナーも続き、荒廃した戦場を駆けだす。
そこは昔、どこにでもあるような林が広がっていた。鳥たちが歌を奏で、動物たちがのびのびと駆け巡る自然がそこにあった。
だが今やその緑豊な大地は砲弾によって引き裂かれ、火炎魔法によって炭へと変えられたそこには草一本とて生えていない。
戦禍に晒されて木々を失った大地からは土砂の流出が止まらず、その緩んだ地盤に砲弾によって作られたクレーターには雨水が溜まり、土砂からは運び損ねた死体達が顔を出していた。
そんな死の世界を兵士達は駆けて行く。泥にまみれ、死体に足を取られながらも健気に前進する。目標は前方二百メートルにある敵の塹壕。
全力で走れば三十秒もかからずに到達するその距離だが、彼らが手にするツンナール銃だけでも五キロ弱もあり、その上弾薬や銃剣等々の装具のせいでノロノロとしか走れない。さらに二、三日前に降った雨が保水力の無い地面を泥濘に変えてしまったがためにより歩みを遅くしてくれていた。
(遠い……!)
ハフナーは泥に足を取られながらもなんとか前進しようとするが、すぐに彼女は砲弾孔に足を滑らしてしまう。
「うわッ!?」
初めて声を荒げた彼女はグルリンと体重を崩して穴に落ちて盛大な水しぶきをあげた。先の雨の名残が底に溜まっていたのだ。もっとも降雨から時間が経っていたため水嵩が減っており、転げ落ちても溺れる事は無かった。
もしこれが満水だったら四十キロもの装備を抱える彼女は間違いなく溺死してしまっただろう。
ハフナーは首筋に冷たいものを感じつつ身を起こし、ブーツを泥に埋めながら這い上がろうとする。
だが彼女はすぐに身を隠せるほどの砲弾孔に落ちた事を神に感謝した。
なんと言っても頭上を敵の銃弾が走り始めたからだ。連続する射撃音と共に敵陣から警戒ラッパの音階が響いて来る。
さすがに黙って自分達の陣地を渡してくれるほど親切心は無いらしい。
それでもなんとか穴を這い出ると共に頭上からあの風切り音が迫って来た。反射的に耳と目を押さえて口を開く。そうしなければ爆圧によって鼓膜は切れ、目玉が飛び出してしまうからだ。
――弾着。人を殺して余りある運動エネルギーが発散されると共に大量の土砂が雨のように降り注ぐ。こりゃ森も枯れるわ。そう口の中に三度己の血を呪う言葉を吐く。
だが歴戦の下士官は動揺する事無く硝煙弾雨の中、指揮官を探す。そうしている間にもまた敵の砲弾からこちらを襲って来た。鉄の暴力はとあるコボルト族の小隊を包み込むや一瞬でそれを肉塊へと変えてしまい、爆煙が収まる頃には穴と僅かばかりの肉片しか残さなかった。
その上、敵の塹壕から連続した射撃音が響き、勇敢に突撃を続行しようとしたオークの兵士が蜂の巣のように穴だらけになって死んだ。それも一人だけではない。なんとか前進をしようとしていた他の小隊の仲間に対しても無慈悲な弾丸が降り注ぐ。
オッチキス機関銃と呼ばれるエリュシオン帝国製の自動連射火器はその能力を完全に発揮し、火薬を燃やした際に生まれるガス圧によって薬莢の排出と再装填を自動的に行って人の身では成し得ない速度で弾丸を叩きつける。
それでも前進しようとする共和国軍兵士は毎分四百五十発の発射速度を有するオッチキス機関銃の洗礼を受けて成すすべなく次々と倒れて行った。
さらに敵の砲撃がやってくるのだからすでに前進云々ではない状況になってきていた。
これが支援砲撃を蔑ろにした結果であり、共和国はその結果を取り返しのつかない代償によって学ぶ事になった。
そして吹き荒れる殺戮の嵐の中、ハフナーははぐれてしまった上官を探していた。
「少尉殿、少尉殿!」
自分の声が小さいのか、それとも周囲の喧噪のせいか返事は無い。
もしかして死んでくれたか? そんな期待がハフナーの中に生まれた時、「ここだ!」と後方から返事があった。
あれだけ大層な事を言っていたのにあたしより後方に居るの? と信じられないと言う視線と共に振り向けば少尉は同じように砲弾孔に隠れるようにしながら手を振って来た。
「少尉殿、敵の弾幕が激しく前進できません」
「それでも前進しろ!!」
「はい、ですが敵の砲撃も激しいです。間もなく法撃も来ると予想されます」
暗に勝ち目はないから後退しろ。だが軍隊と言う組織でそれを口にすれば抗命罪を申し付けられても仕方の無いところだ。もっともそうした臆病者を矯正して立派な共和国軍人にするのが先任下士官の仕事であるが、その先任下士官がこれはさすがに無理だと思っていた。
「うるさい! 共和国のために敵陣を征圧するのが我らの務めだ!! 行くぞ上級軍曹!!」
威勢よく立ち上がって「プルーセン万歳!!」と叫ぶ少尉だが、間髪入れずに彼の軍服から鮮血がほとばしる。
あちゃぁとついに溜息をつくハフナー。ゆっくりと泥に身を沈める少尉。
(これだから若い少尉は……)
四十年の長い軍隊生活で見つけた法則のうちに早死にする少尉の特徴は『やたらと張り切る。やたらと愛国心を叫ぶ。やたらと攻撃をしたがる』の三つだった。
人間と言う奴は短命種なのだからもっと命を大切に生きれば良いのに何故死に急ぐのか? まぁ勝手に愛国的な戦死を遂げるのは別に構わない。それは本人の自由意志だ。だがその熱意が部下達を巻き込んでいるとなれば話は別だ。
誰もが熱い愛国心を抱いて死にたがっていると思わないでほしいと二回目の溜息を吐き、腹ばいのまま少尉の元に行く。
「失礼しますよ」
その胸元を探って認識票を引っ張り出す。楕円形のそれがついた紐を力の限りで引きちぎりってポケットに押し込む。嫌な上官であったが、死んだんだからこれくらいの義理は果たしてやろうという親切心だ。
では取る物取ったし部隊の指揮を引き継いで――。
そしてふとハフナーの視界に彼が手にしていたリボルバーが目に留まった。共和国軍正式採用拳銃であるケーニヒリボルバーだ。
「死人にはもったいない」
普段なら死人から装備を剥ぎ取る様な事はしないのだが、つい魔が差してしまったのだ。故に遠慮なく少尉の手からリボルバーを引きはがして雑納に仕舞いこむ。
採る物取ったので彼女は周囲に向かって新たな命令を下す事にした。
「少尉殿戦死! 第一中隊第二小隊の指揮をシャルロット・ハフナー上級軍曹が引き継ぐ!! 同小隊は後退! 後退せよ!!」
指揮官が戦死した事により小隊内で二番目に階級の高いハフナー上級軍曹が小隊の指揮を執る事に成る。
そして指揮官たる彼女が決めたのは後退であった。他所の部隊でも敵の攻撃を避けるように後退を始めた所であり、機としては申し分のないタイミングであった。
(あーあ……。新しい指揮官は無駄に尊大な貴族の息子とか、熱血的な愛国者じゃないと良いな……)
そんな期待と共に今日を生き残れた事にハフナーは感謝しながら塹壕に向けて匍匐前進を開始した。
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