その五
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「――――あ、もう着いちゃった」
田中利香は、現在北館二階の事務室前にいた。先程母親に水泳部に戻ることを了承され、転部届を取りにここへ足を運んだわけである。
――――もうお分かりだとは思うが、元々高かった水泳部の徴収費が七千五百円に跳ね上がったことを受け、あまり裕福な家庭ではない田中利香は母親に水泳部を辞めるよう強制されたのである(ちなみに水泳部活動費のほとんどは水道代だ)。
しかし、田中利香は迷っていた。だから、ここに来るまでの自分の足取りがやけにゆったりとしていることにも気付いていた。そして、そんな自分に酷く戸惑い、水泳部に転部するための、或いはこのまま帰宅部に留まるための決定的な理由を欲していた。
「……どうしちゃったんだろ、あたし。ちょっと前まではあんなに嫌だったのに――――」
早く辞めたいって、思ってたのに。
二年一組教室前にて。中で二人の話声がして、田中利香は扉を開けるのを躊躇した。
「――――しかし、本当によろしいのですか?」
「あぁ、元々この部は、いつか無くなるべきだったんだ」
陸粂酒剛玄と、智之の声だった。
「ちょっと、どういうこと?」
「あぁ君か、丁度良い。校内中の勧誘ポスターを剥がしに行くから手伝ってくれ」
「は? 何言ってんのよ、あんた……」
「部員募集はもう行わないことにしたんだ」
いつもと同じ平坦な口調だった。有無を言わさぬ早口も、いつもと変わらない。
「それって――――」
「帰宅部は現時点で所属している最低学年、つまり現在の二年生の卒業しだい廃部することにした。その前に誰もいなくなるかもしれないが」
「どういうことよ!」
「どうして君が怒る? 先月まではあれほど辞めたがっていたじゃないか」
「それは、――――そうだけど。……でも、あんたはどうするのよ」
田中利香は縋るような目で智之を見つめる。しかし、智之の視線は田中利香を捉えてはいなかった。それどころか、窓の外の沈みゆく夕陽をぼんやりと見つめ、その瞳を橙色に輝かせている。
「ねぇ、人の話聞いてる?」
「あぁ、聞いてるさ」
智之は振り返らないまま続ける。
「俺は、――――卓上遊戯会に入ることにした」
そして、後ろ手に転部届を掲げる。
「本当にいいの? 再結成はできないんでしょ?」




