その七
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智之は中学時代の囲碁・将棋部後輩に手を引かれ、北館二階の長い廊下を歩いていた。
「――――智之先輩。今、男の人の叫び声が聞こえませんでしたか? あと爆発音も……」
「さ、さぁ。気のせいじゃないか?」
智之は後輩の詰問に嫌な汗をかき、明後日の方に視線を逸らす。後輩は、尚も智之の目を射とめようとしてくる。相変わらず勘の良い後輩だ。思えば囲碁でもよく先を読まれた。
「つきましたよ、先輩。ここが僕らの部室です」
後輩が足を止めたのは、壁や扉のあちこちにポスターが貼られた地味な印象の部屋だった。扉は教室と同じ引き戸だったが、窓がぼんやりとした白い曇りガラスに加工されており、中の様子は窺えない。掲げられた板には、〝第一図書室〟と書かれていた。
「そうか、こんなところにあったのか……」
北館二階は職員室や事務室、生徒指導室などがひしめいており先生たちの往来が激しいため、生徒たちは基本寄りつかない。教職員とすれ違った際の挨拶を義務付けている尾張高校では尚更だ。そしてこの第一図書室はよりにもよってその最深部に位置し、普段は仕事や電話対応に追われる職員室から避難してきた先生たちの溜まり場になっている。結果、生徒たちは寄りつくどころかそもそも通りかかることさえない、校内最凶の桃源郷となった。
智之が知らないのも無理はないのだ。
後輩に続き扉の中へ入ると、金属製の本棚が一つだけ置かれた小さな部屋に出た。正面の壁と右側の壁の側面に、さらに奥へと繋がる扉がある。
後者の扉には進路指導室と書かれた板が、そして正面の扉には手書きでカラフルに彩られた張り紙が貼られていた。
「〝卓上遊戯同好会〟か……」
聞き覚えのない名前だった。
「最近出来たばっかりなんですよ。なんでも、中学時代囲碁・将棋同好会だった人たちと、トランプ同好会だった人たちが集まって作ったんだとか」
「なるほど」
智之が立てつけの悪い引き戸を勢い良く開くと、中で広がっていた喧騒がぱったりと途絶えた。一斉に振り返った部員たちの手には、花札やトランプのカードが握られている。
「カードゲームは手前、盤上遊戯はその奥です」
後輩が右端の集団を指さす。しかし智之の視線は、別の場所に注がれていた。
「……部長」
左右は本棚、背後は壁の袋小路。その奥底に佇む圧倒的存在感に、智之は目を丸くした。
「え? 部長なら買い出しですよ」
後輩のその見当違いな言葉など、今の智之には聞こえない。
「おぉ、久しぶりだな。智之」
視線に気付き、ぱたりと本を閉じながら顔を上げる、長身痩躯の上級生。その仕草も声色も、澄んだ白黒の瞳も、当時とほとんど変わりない。
「どうしてここに?」
「……お前こそ、帰宅部の方はいいのかよ」
一瞬で距離をつめ、戸惑う智之の頬を長い人差し指でつつく上級生。
――――それは前帰宅部部長、牧野賢哉であった。




