その二
剛田久美は、控えめに言って太めである。制服も彼女の体格に合わせて最近新たに買い換えたばかりらしいのだが、その真っ白な夏服は早くもボタンがはち切れそうだ。リボンに至っては首が締まるので基本外している。
「とりあえず、運動したら?」
透の無神経な言葉にムッとする田中利香。剛田久美も目つきが険しくなる。
「やってます! 毎日毎日、南館の屋上で一人ダンスの練習してる私の気持ちが、あなたみたいなチャラそうな人にわかるんですか!?」
「ならその後毎回のように落下する君をネットランチャーで回収すべく毎日毎日一人待機している陸粂酒剛玄の気持ちが君にはわかるのか?」
「……ごめんなさい。元はと言えば私が引き止めたのに……」
「そこは気にしないでくれ。どのみち呼び付けるつもりだっ――――あばっ!」
田中利香によって真横に吹っ飛び冷たい床を滑る智之。最終的に壁に頭をぶつけて止まった。
「え?」
「ホント、気にしないで下さい。あはは……」
「智之ぃっ!!」
笑顔を振りまいて誤魔化す田中利香をよそに、透は血相を変えて駆け寄る。
「何かあったんですか?」
「いえ、発作みたいなもので……」
立ち上がり、隙間から心配そうに覗きこむ剛田久美を田中利香は全力で抑え込んで座らせる。
「発作!? 智之君は病気だったんですか!?」
「中二病とかそっち系なんで本当に気にしないで下さいっ!」
田中利香はつま先立ちをし、剛田久美の両肩に全体重を掛けて引き留める。
「なわけ――――アペックッ!!」
透は田中利香にアジア太平洋経済協力の如き断末魔を上げ突き飛ばされる。
「今度はどうしたんですか?」
「……よく独りでにあぁなるんですよ」
「あぁあ」
こちらは一瞬で納得する。
「――――理解が早くて助かる」
「復活早っ!」
智之は机の端からバッと現れると、乱れた髪も整えず机上に一枚の用紙を提示した。
「転部届だ。これでダンス部に戻れば自然と体も引き締まるだろう。ん、どうした?」
「……智之君の馬鹿っ!」
パチンと乾いた音がして、智之が痛む頬を押さえ向き直ると、剛田久美は涙を浮かべて廊下を走り去って行った。
「……今のは智之が悪いよ」
透がぽつりと呟いた。
「剛田さんは智之のことが好きなのに……」
「そうなのっ!?」
「いや、そんなはずはない。以前〝私のことが好きか〟と問われたことならあるが」
「……だからそれ、好きってことじゃない」
「そうだぞ智之。そんなのは、あれだ。言葉の綾ちゃんに過ぎない」
「――――扉開けとかなくて良いの?」
「心配御無用」
透はおもむろに立ち上がると、適当な窓を全開にした。ちなみに尾張高校の窓は二段あり、下は普通サイズ、上は一般的な学校の廊下の窓と同じ縦長特大サイズだ。人一人くらいなら足を折れば潜れなくもない。だからと言って、この二階の窓をそのような目的で使う人間などいるはずもないが……
「綾ちゃんでぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすぅっ!!」
いや、いた。上から垂らした縄にしがみつき、ターザンの要領で大窓から教室へ降り立とうとする無謀な黒髪の少女が。
「うごっほっ! ……うぅーん」
案の定窓枠に額をぶつけ、静まり返った教室の床でのたうちまわる。倒れ伏したまま階段を上るようにして床を蹴り、体全体で反時計回りに回るその姿は、一昔前のロックンローラーだ。
「大丈夫?」
「はっはっは、心配ねぇさ。きっと世界のどこかでは……今の衝撃で顔中のニキビが取れた人だっていることだろうしね」
「綾ちゃん、やっぱり頭打った?」
「うぅん、問題ないよ透ちゃん。打ったのはおでこ――――それより私のことは、スティーブンと、呼んでくれ……」
「綾ちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
澄んだ空気は赤く焼け、遠くで揺らめく山の暗い陽炎が夜との境界線になる。そんないつも通りの今日、どこか遠くの空で、居るはずのないアホウドリが鳴いた。




