第2話 華(ペラフ)
リリスが生まれ育ったこの世界は魔法や特殊能力に加え、妖精や魔獣などといった地球ではお話の中でしか存在し得なかった摩訶不思議なモノで溢れていた。単に此処が異世界なのか、地球とは異なる惑星なのか、時間軸がズレた過去や未来の地球なのかは分からないが取り敢えず百合が生きていた世界もしくは時代ではないという事だけは確かだった。
百合は小さな頃から読書を趣味にしていて、興味本位で数冊の異世界転生や転移モノのライトノベルも読んだ事があった。その幾つかのお話の中にリリスのようにある程度の年齢で前世の記憶を取り戻すパターンも存在していた…が、そのパターンの場合今世と前世の記憶を共有して現状を把握するのだけどリリスの場合は異なるようだ。
(私は…この世界を知らなすぎる…)
現在居るこの国の名前、言葉、出逢って来た人物や物の名前などは分かる。良い変えればそのくらいしか分からないのだ。
この異世界は魔法や特殊能力が存在するが、皆が皆使えるモノではないのだ。
リリスが持つ拙い知識によると、能力には性差が存在する。
男性は強靭な肉体や魔法など戦う術を持ち、女性はか弱さの代償に特殊能力を持っているのだ。なので恐ろしい魔獣の居る死と常に隣り合わせのこの世界では戦う術を持たない女性は保護の対象として扱われる。
この世界で、女性は弱き者であり男性が守らねばならないという教えがいつの間にやら、女性は男に支配され、管理されなければならないという教義にすり替わっていた。
女性はか弱く守るべき存在という教えが度を超え、支配し管理する物だという意識にすり替わったのだ。
その最たるものは女性に行動を制限する呪を込めた所有印を付けること。これは実父でも夫でも飼い主でも雇い主でも所有する女性を保護するという名目で必ず付ける物で、それによって決められた範囲から出る事は疎か命令を聞き入れなければ罰を与える役割も果たす謂わば高度な奴隷印のような物だ。
勿論、保護の意味もある。というより本来は百合の世界風に言えば子供に持たせるGPS付き携帯やゲージのようなものだったのだ。危険な場所へ行かないように、誰かに攫われたり害されたりしないようにという保護の為に全国民に義務付けられた優しい教義だったはず。これが裏目に出てしまったのにはある理由がある。
女性の特殊能力の奪い合い。
女性は生まれた時から胸部に小さな蕾の痣のような物が浮かんでおり、その華の蕾が開く7〜10歳頃に特殊能力を使えるようになる。これを開花と言い、胸部の紋様から特殊能力の事を華、能力者の事を華人と呼ぶ。
人それぞれ開花する能力は異なるが、テレポーテーションや千里眼など日常生活や戦や国益に大変便利な能力ばかりで、(因みに所有印を刻んでいるのも呪印の華と呼ばれる能力によるものである)それを奪い合い効率的に使う為に女性は奴隷のように扱われているのだ。
リリスの母はロベルタ神聖国という大国の王室所有華人をしており、その娘であるリリスも華人候補生として華園といわれる王室の奥で8年を過ごした。
華園にはリリスと同じ王室所有の華人を母に持つ子供や外から連れてこられた子供など常時約30名程が居て、開花をすると数を減らしまた何処かから補充されて人数を保っていた。
華園での生活はまるで刑務所の囚人のように決められたスケジュールをこなす単調な物で、教え与えられる事だけを全てとして生きてゆく。外界の情勢も、字の読み書きも、暦や四季、外界の気温すら知らずに囲われた中で洗脳されるかのように個を作り上げるのだ。
生まれた時から華園に居る子供達は都合の良い偏った価値観や思想を植え付けられ、何の疑いも持たない。しかし、少数の外を知る外部生の子供達は華園の教官が教えてくれない事を元々知っている場合がある。己の思想を持っているが為に教え込まれた価値観に疑問や不信感を抱く事もあるが、それを口にしようものなら教官から躾という名の暴力を与えられ恐怖によって個を内に秘めるようになる。そうして人形のような華人が育っていくのだ。
リリスは華園で生まれ育ったにも関わらず、外部出身の候補生と同じく…いや、それ以上に疑問や不信感を強く持っていた。それは今考えてみれば前世の記憶が無意識に残っていたせいもあったのだろう。
そのせいもあって、母が在るにも関わらずリリスは躾を度々受けていて、教官達からは問題児として目を付けられていた。
そんな日々が変化したのはリリスが8歳の時だった。
例に漏れずリリスも華を開花させたのだ。半々の確率で親から能力が遺伝するというのもあり、貴重な治癒の華人の娘として期待されていたリリスの能力は数人居れば1人は居ると言われる有り触れた収納の華であった。無生物に限り触れる事で亜空間へ収納する事が出来る…謂わばアイテムボックスと大差のない能力である。能力差によって収納出来る容量は異なるものの、能力の低い者になると掌で包めるサイズしか収納出来ない事もあるのでそれを比喩して“ポケット”と馬鹿にして呼ばれる事もある人気のない能力だった。
能力が高ければ馬車数台分を手軽に運ぶ事が出来るので、低所得の商人には需要は無くはないが、それなら転移の華を使えば移動をする必要も無くなるのだから何方を選ぶかなんて分かりきった事だ。
こうして、開花によって不用品である事が確定したリリスは母に別れを言う機会すら与えられず華屋と銘打った奴隷商へ売られてしまった。
8年間身体に刻まれていた所有印を剥がされて奴隷商人によって新たな印を押され、先程刺殺した男…ヘーゼル侯爵に愛玩目的として買われたのである。
ヘーゼル侯爵は華園にも出入りの出来る法衣貴族で、リリスも候補生時代に何度か挨拶をした事があった。子供の目線に合わせて膝を折ってくれる貴族にしては珍しく優しい人で、好印象だったので良く憶えていた。
しかし、華屋で再会した侯爵は見た事の無い狂気的な笑みを浮かべていて侯爵邸の離れにリリスを連れて行くと、フリフリのドレスで着飾らせ身体を撫で回した挙句に暴力を振るった。
侯爵は小児性愛な上に嗜虐趣味のド変態野郎だったのだ。ただ、変態のクセして無能だったので性的な暴力に晒される事はなく、それだけは救いだった。
侯爵の屋敷にはリリスを含め常時4人の少女が居た。とはいえ、それぞれに自室を与えられ外へ出る事は禁じられていたので触れ合う機会は皆無で、リリスが自分以外の少女を認識したのは侯爵邸へ来て4ヶ月が経った頃だった。
通常ならそれぞれの個室に侯爵が訪れていたのだが、その日は珍しく自室を出て別の部屋へ連れて行かれた。部屋を見渡せば天蓋のベッドの上で青ざめて震える赤毛の少女が居てリリスはその脇にある長椅子へ誘導された。
長椅子には既に2人の少女が居て、リリスがその隣に座ると侯爵はまるでサーカスの司会者かのように今日の催し物について語り出した。
飽きてしまった赤毛の少女を処分するのだと。その様子を私達に見せて恐怖に染まる顔が見たいのだと。楽しげに恐ろしい事を語った。
それを聞いた赤毛の子はベッドを降りると侯爵の靴を舐めて媚を売り必死に許しを得ようとしていたが、侯爵の目はリリス達にだけ向けられていた。
少女を蹴り上げたり髪を掴んで床に叩き付けたりしてリリス達の表情の変化を見て楽しんでいた。
暫くして少女が呻き声すらあげなくなるとわざわざリリス達の目前で少女の首を掻き切って噴き出す血を浴びさせた。
リリスは茫然と目の前で起きてる惨劇を唯々見ている事しか出来なかった。赤毛の少女の血を浴びて漸く現実なのだと理解した途端、鳥肌が全身を襲った。
それからの事はよく憶えていない。気が付いたら自室に戻っていた。
それからはまた今まで通り、自室に侯爵が訪れボロボロにされて傷を癒す日々だった。あの惨劇の後、あれだけ辛くて耐え難かった侯爵からの暴力が不思議とマシに思えてしまった。あの虐殺に比べたらこの状況の方が…そう思って侯爵から与えられる痛みを粛々と受け入れて日々を過ごしていると、再びあの悪夢は訪れた。
次は前回リリスの隣に座っていた少女だった。褐色の肌をした異国情緒漂う容姿だったのでよく憶えていた。
その健康そうな綺麗な小麦肌にナイフを滑らせ肉片と共に剥いでいく悪魔の如き行為に吐き気が堪えられずリリスは胃の中をぶちまけてしまった。
隣に座る前回も居た少女と、見た事のない新顔の少女もリリスと同様に床を汚していた。それを見た侯爵が楽しそうに笑っていたのが余計に気持ち悪かった。
自室に戻って下女に世話をして貰いながらリリスは恐ろしい事に気が付いた。このままの順番なら自分は次の次に殺される事になると。逃げ出そうにも抵抗しようにも呪印がある限りどうにも出来ない。考えても考えても活路は見出せない。
最初の惨劇まではリリスが来てから4ヶ月何も無かったが、今回は2ヶ月しか経っていない…リリスは身体の震えが止まらず自分を掻き抱くように蹲った。
それから3ヶ月後、順番通りに次の少女が屠られ前回と同様に新顔も増えていた。
(次は…私だ…)
そう思って、食べ物が喉を通らない程追い詰められていたがリリスの番は暫く訪れなかった。2ヶ月後にターゲットとして選ばれたのはリリスの次に入って来たと思われる亜麻色の髪の少女だった。
その少女もリリスと同じ考えだったのだろう、想像よりも早く己の番が来てしまった事に堪えられなかったようで『何で私なの!次はあんたでしょう!?』と血走った目をリリスに向けて掴みかかろうとしてきたが侯爵に鈍器で殴られて静かになった。
リリスとしても不思議でならなかった。別に殺されたかった訳ではなかったが、今までが順番通りだったので規則性が崩れて拍子抜けしたのである。
次こそ自分かもしれない、そう思って覚悟を決めていたのに選ばれるのはリリスの後から入って来た少女ばかり。次々と選ばれる自分以外の少女に対する罪悪感、それと自分の番がいつ回ってくるのか分からない恐怖に気が狂ってしまいそうだった。
そして運命の日、夜半に侯爵がいつもと違い大量の返り血を浴びた状態でリリスの部屋に訪れた。
むせ返るような鉄の匂いを纏わせた侯爵は聞いてもないのに色んな事を語ってくれた。
侯爵は昔、異国に居た幼い頃のリリスの母を見かけ一目惚れしたらしい。偶然が重なって母はロベルタへ来たが王室の華人に気軽に会える筈もなく想いを燻らせていたそうだ。
その想いをどうにかしようと、母に少しでも面差しが似ている少女を買い漁り想いを昇華させていたらしい。
よくよく思い出してみると、此処に居る少女達は確かにパーツの一部や髪色や目の色など何処となく母に似ていたような気もする。リリスに順番が回ってこなかったのも、母の唯一の血縁者だからだったのだ。
何故こんな事を教えてくれたのかというと、これが最期だからだと言う。侯爵は新たに愛しい人を手に入れたから過去の人の紛い物であるお前達はもう要らないのだと。
悦を浮かべた表情で語りきった侯爵はその表情のままリリスに最終通告をした。
母にあまり似ていないリリスを、恐らく父に似たのであろうリリスをずっと殺してやりたかったのだと。
刃物などを使って簡単には殺しはしない。自らの手で、苦痛に歪みながら死にゆくリリスの顔を楽しむのだと言いゴツゴツとした手をリリスに伸ばした。