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Under the eaves - あめやどり -  作者: よいちか
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002

階段は一階と二階の間で折り返す作りになっていた。階段の壁にかけられた絵画は一定間隔に置かれており、それぞれがどこかのどかな風景を描いたものだった。上るたびに季節が変わり、季節が巡った頃には二階に上がりきっていた。ドアノブを握ると、よく通る澄んだ鈴の音がドアの向こうで響いたのを聞いた。押して入ると、その音が直接耳に鳴り響いた。


「あ、いらっしゃいませー」


店に入るとともに沖見を出迎えたのは、一人の女の子だった。長い髪を後ろで一つに結び、足首まで伸びた前掛けには、独特の絵図らが刺繍されている。右腰辺りにあるそれが一際目を引く。円の中に咲いた花とそれに沿うように描かれた何かの顔のようなものが見えるが、きっとこの店のロゴなのだろう。アルバイトだろうか。見た限りでは高校生と言われても違和感のない印象の女の子だった。


「お一人でよろしいですか?」

「うん、一人で」

「こちらにどうぞー」


席に案内されながら内装に目を配る。店の形は八角形を四つに割ったような作りになっているが、これはビルの作りだ。入り口の正面はテーブル席が並び、沖見から見て右側は端から端までガラス窓が続く。八角形の中心から円を描くようにカウンター席が並んでいて、おそらくカウンターのうち側は厨房だろう。カウンター席とテーブル席の間を縫うように案内されると、入り口側からは隠れていたもう半分が座敷になっていることがわかった。


「こちらの席でよろしいですか?」


通されたのは入り口から離れたカウンター席だった。ここからは店全体が眺められたが、店内の客は沖見一人だった。開店直後と言うこともあるのだろうと思い、特に気にすることもなく席に着く。案内を終えて席を離れた店員は、すぐに水を持ってきた。どうやらこのカウンター席越しにあるスペースはドリンクや一品ものを扱う簡易キッチンのようになっているようだった。


「ところで、このお店は最近開いたの?」


魔が差したと言えばしっくりくるだろうか。普段使い慣れた敬語を使わずに意識して気軽に話しかける。


「ですです。最近と言うよりも今日から再開店です」

「今日が?通りで…」

「通りで?です?」

「メニューがない」


そう。言うまでもなく沖見は腹が減っており、すぐにでも注文をするつもりであった。しかし、メニューがなければそれもできない。水を持ってきたときに一緒に持ってくるものと思っていたがそれもない。


「す、すすすみません!」


返事をする間も与えず慌てた様子でカウンターの向こう側からメニューを大量に抱えてくる。


「いや、ひとつでいいんだけど」

「はい、わかっています。どうぞ。注文が決まりましたらお呼びください」


と、多くの中の一つを取り出しカウンターに置くと、そそくさと沖見から離れる。カウンターや厨房の中ではなく、他のテーブル席の方へ。沖見はメニューを見る傍ら彼女の公道に気を向けていると、彼女は、一つ一つのテーブルにメニューを置いて歩いていた。つまり、単純にメニューを置き忘れていただけのようだった。店として割と心配になるレベルの準備不足だが、客に過ぎない沖見にとってそこまで気にするようなことでもない。

メニューに目を通す沖見。一品料理が多数、定食が数種類。それだけだった。


「あの…」

「はい?」

「メニューってこれで全部?」

「ですです」

「少なくない?」

「え?そ、そうです?」


駅前の定食屋でもここの倍はメニューがあった。それと比べるとどうしても少ないと思ってしまう。


「このメニューの後半の部分なんだけど、消されているみたいなんだけど、これは頼めないの?」

「それは…」


そこで目の前の女の子の表情が暗くなった。


「すみません。今、ちょっと作れるメニューがそれしかなくて」


その仕草が、その姿が仕事での自分の立場と目の前の彼女で一瞬かぶる。


「あ、いや。無理ならいいんだ。こっちこそ、メニューにないものを頼もうとして悪い」

「いえいえ。お客様の望む品を出せないのは、私としても本望ではないので。でも、メニューが少ない分力入れてますから」

「そっか。それじゃ、おすすめちょうだい」

「はい!少々お待ちください」


女の子の振り向きざま、沖見は初めてその胸元にネームプレートが着けられていることに気がついた。カタカナで書かれているため漢字はわからないが、「ナユカ」というのが彼女の名前のようだ。彼女は入り口の方ではなく沖見の右側から厨房へと姿を消した。


「こっちからも厨房入れるんだ」


厨房の中でナユカさんが注文を伝える声が聞こえた。店に入ってすぐ左手の方に厨房への出入り口があったから、カウンターの両端が厨房への入り口となっていることになる。なるほど、配膳の効率化になるな、それは。と、ついつい癖で訪れるお店の構造に目を配ってしまう沖見は、意識を反らすために水を口に含む。背に受けた日差しが暖かい。窓ガラスを振り返ると、全面のガラスの向こうに一面の空と背の低い建物が見えた。下から見上げたこの場所で空を見上げる。一段上から眺める空は、なにか違うような気がした。


「席、移動します?」

「え?」


気づくと横にナユカさんが立っていた。


「いえ、ずっと外を見られていたので、席もこの通り空いていますから」

「…じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「はい!あ、お水はお持ちします。あとあと、日差しのかからない席にご案内しますね」


すごく自然に気配りをする子だな、と思った。その笑顔に違和感はなく、その言葉に不自然なところがない。今の仕事場の人間関係を思い出す。思い出したどの人物とも比べるまでもなかった。

彼女の表情がもつのは、沖見が知る職場の誰よりも明るい花だ。彼女の纏う空気感が沖見のどこか大切な部分を、閉じていた部分を刺激する。それでも思い出せない。のど元まで混み上がってくる何かが、どうしてもわからなかった。代わりに浮かぶのはいやな言葉だ。スケジュールを顧みない要求をする上司。愚痴ばかりを話す同期。他人をけなすプロジェクトリーダー。そんなことばかりを耳にしていたからだろうか、以前は近くに感じていたはずの彼女の纏う空気に似たものも思い出せない。

手荷物もない身軽な沖見は、窓際の席に案内された。席について外を眺める。


「ここの席が一番広く外が見えるんですよ」


トレイを胸に抱いて沖見のとなりに立つナユカがうれしそうに言う。


「なにか特別目立つものがあるわけでもないですし、大通りから一本道が外れているので人通りが多いわけでもないんですけど、私はこの席から見るこの景色が好きなんです」

「そうなんだ」

「ですです。外を眺めるのでしたらここの席がお勧めです」

「うん、ありがとう」

「では、お料理ができるまでおまちください」


外を眺めながら、ナユカが席から離れる気配が背中に伝わる。静かな店内。控えめに流れているこの音楽はどこか懐かしく、優しいアコースティックな曲だ。頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺める。この一週間の出来事が頭に浮かぶ。自分に振られた仕事をリストアップしていき、それぞれの期限を考える。今週中にクローズできた仕事は大小あるものの三つだ。残りの二つは来週中に片付ける必要がある。とはいえせっかくの休みに考えることではないか。

手の中のグラスを回す。氷が音を鳴らし浮き出ていた氷が水の中に沈んだ。

コトッ――。


「お水をどうぞ」


背後の方で声がした。ナユカが他のお客の接待をする声だ。料理を待つ手持ちぶさたな時間はなにかと外の音を拾ってしまうみたいだ。普段であれば、スマホをいじっている間にすぐに時間が過ぎてしまうのだが、なぜだろう。沖見は今スマホをいじる気にはなれなかった。それに、一人この店を貸し切っていた気になっていたというのに、いつの間にか一人ではなくなっていたことが、少し残念でならない。とそこまで考えたところで、違和感を覚えた。窓に向かっていた体を反転させる。すぐ目に入ったのはスーツを着た初老の男性。その背中だった。カウンターに腰掛けたその男とナユカは気軽げに会話をしているように見えた。

もしかしたら、昔なじみなのかもしれない。先ほど感じた違和感も消え去り、沖見は再び窓の外に視線を向ける。そこから見上げた空は先ほどより、少し泣きそうな色を含んでいた。


「雲、増えてきたな」



視線の先に広がる嫌な黒さを含んだ雲。つい先ほどまで天候が回復していたことが嘘のように、目に見える早さで流れていく。それはまるで生き急ぐような光景を浮かばせた。この店の中はこんなにもゆっくりとした時間が流れているというのに、まるで、ガラス一枚を挟んだこちら側と向こう側で流れる時間の早さが違うとでも言われているように感じて、沖見は、自分の視界の外へ外へと外れようとする雲を追いかけた。


「お待たせしました」


意識が空の雲に同化したような感覚さえ持ち始めた時、それを遮るように目の前に大きめのプレートがぱちぱちと音を伴って現れた。無言で運ばれてきた料理を見る。香ばしい肉の焼ける香り、敷き詰められたコーンの甘い香りと相まって、空腹で鳴く胃が反射的に収縮する。まるで催促されているようだと心の中で苦笑いする。

でも、しかたないじゃないか、それは今自分が一番食べたいと思っていたものなのだから。


「特製ハンバーグランチになります」


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