16歳の誕生日2
出窓に設えられた腰掛の上に鋭利に輝く銀色の髪が流れていて、目を止める。
「客――……?」
誕生日だというのに詰襟の漆黒ドレスを身に纏い鉄格子に手を添えてぼんやりと月夜の空を見上げていた少女が、眉をひそめてゆっくりと振り返った。
「こんばんは、マリー。いい月夜だな」
声をかけるとマリーは弾かれたようにびくりと後ろに飛び退いた。
驚愕のあまりたっぷり十秒ほど私を凝視してから、やがて絞り出すように呟いた。
「……な…っ、どう…して………」
「女性の部屋に忍び込むのは慣れているんだ」
適当に軽口を叩くといつもの切れそうに鋭く冷たい視線がそそがれる。
その冷たい視線にすら、数年ぶりに再会したみたいな懐かしさと切なさを感じて、喉がきゅうと締め付けられる。
「………出て行って!!」
マリーは追いつめられた野生の獣みたいな目で睨みつけながら悲鳴のような声で叫んだ。
「うん。リリィにもこれを渡すだけと約束したし、迷惑をかけたくないからすぐ帰るけど」
一歩、また一歩と近寄るたびに、マリーは窓に背中を強く押しつけた。
「誕生日おめでとう、マリー」
飾り気のない小さなジュエリーケースを差し出すが、彼女は火に怯える獣のように身を引くだけだった。
「……必要ない、と、言ったはずです!!」
「うん、聞いた。けれど私は君の母君を知らないから、命日よりも君の誕生日を祝いたかった」
紫水晶のような深い色の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれ、激しく揺れ動いた。
「君が生まれた奇跡に感謝を。16歳の君が幸福であるよう祈りを……」
ゆっくりと告げながら震えている細い手にジュエリーケースを押しつけたが、
「いやっ――……!」
細い悲鳴とともに受取を拒まれ、床に落ちた。
落ちた拍子にケースが開き、薔薇を模した紫水晶のイヤリングが散らばった。
小さなヒビが入った紫水晶に月光が降り注いで、キラリと鋭利な光を放つ。
「……………っ」
マリーは、その光に射られたように鋭く息を呑んだ。
「気に入らなかったなら、後日別のものを贈るよ」
拒絶されるのは、慣れていない。
けれどマリーはきっともっと痛いのだろうと胸の痛みを堪えて無理矢理に笑顔を作った。
マリーは細い吐息を喉に詰まらせ、潤んだ瞳で必死に睨みつけてくる。
「こんなおぞましい命、虚無の人生に、祝福なんか――……ッ!」
「そんなことはない」
拒絶するように遮り、きっぱりと告げると、マリーは両手で顔を覆って聞き分けの悪い子供のように頭を振った。
「そんなことは、ないよ」
もう一度、強くはっきりと言い聞かせるが、マリーは激しく首を振った。
「今からでも満ちたりた人生にすればいいだろう?」
マリーはひたすら首を振り続けた。
涙が顔を覆う両手を伝って、音もなくドレスの襟に染み込んでいく。
「…………う……。わ……たし、が………やく……っ」
マリーの震えた声はちゃんとした言葉をなさず、ひやりとしたものを感じて鳥肌が立った。
マリーは何かを伝えようとしている。
必死に、呪いに逆らおうと、もがいている。
なんとかしてやりたいのにどうしたらいいのか検討もつかずに、ただ息を潜めてマリーを見つめ続ける。
扉の近くで控えたままのリリィもまた、同じようにそれを見ていた。
マリーはそこに詰まった何かを押し出そうとするように苦しそうに喉を押さえたが、ひゅうっと空気が漏れるだけだった。
何度も、何度も。
鞴のように背中を大きく揺らして息を吸い込んでは唇を振るわせるのに、空気が漏れる音しか、出てこない。
「………っ、………………!」
ついに癇癪を起こしたマリーが自分の喉に爪を立てた瞬間――唐突に意識を失い、ふらりと崩折れた。
「マリー!!」
咄嗟に手を伸ばして胸に抱きとめるとその衝撃で意識を回復したものの、マリーはもう、何も言おうとはしなかった。
ただ、時々しゃくりあげながら声を殺して静かに泣いた。
マリーは抱きしめた腕を払いこそしなかったけれど、頼ってもくれなかった。
拒絶し、頼らず、ひとりきりで泣いていた。
それは、どう足掻いても彼女を縛っているこの呪いに勝てないと言われているようだった。
「……マリー……」
心が軋んで、呻いた。
それでもただ、せめてここにいることが伝わりますようにと祈るような気持ちで細い体をきつく抱きしめた。
「………しい」
ぽつ、と涙の合間にマリーが呻いた。
「………………苦、しい」
はっとして腕の力を緩めると、マリーは涙がいっぱいに溜まった目で恨みがましく見上げてきた。
「……あなたに会うと、いつもそう。ひどく息苦しくて、胸が、痛くて……とても、辛い――」
その言葉は恐ろしく切れ味のいい剣で、本当に肺に穴が開いたかと錯覚するほど鋭い痛みが走り呼吸を奪った。
息苦しさに我に返り、痺れたように言うことを聞かない腕を精一杯叱咤して、ゆっくりと手を離す。
ひやりとふたりの間の空気が冷えると、縋るように見上げてくる彼女の目が、ゆっくりと見開かれた。
「………もう、遅い………?」
大粒の涙が次から次に涙が溢れ、ぼろぼろとこぼれた。
「……ごめん…な……さい……ごめんなさい――」
嗚咽を堪えきれずに蹲るマリーが、私の裾口を掴んだ。
命綱のように、しっかりと。
「………だめ……きっと、もう、遅い……」
マリーは俯いた。
「……私が死ぬまででいいから、そばにいて……」
喉をねじ切るんじゃないかというほど振り絞った、切なる願いだった。
「マリー……言ってることが滅茶苦茶で意味がわからないんだけど?」
こみあげてくる愛おしさを苦笑いの奥に押し隠して再び強く抱き寄せ、銀色の髪を頬に押しつけた。
マリーの慟哭が深くなり、それが魔女を遠ざける呪文であるかのようにごめんなさいと繰り返し続けた。
言葉が圧倒的に足りないのは呪いのせいなのかどうか、よくわからない。
けれども、もう、そんなことはどうでもいいと思った。
一緒に背負ってマリーの重荷が少しでも楽になるのなら、一緒に呪われようとかまわないと思った。
この冷たくて華奢な少女がぬくもりで満たされるまでは、何があってもこの手を離さないでいようと思った。
マリーが望むなら、どんな願いも叶えてあげよう。
いつか必ず、マリーを世界中の誰よりも幸せにしてあげようと、心に誓った――。