16歳の誕生日1
墓穴の脇に据えられた棺を囲み、死者の魂を送る鎮魂歌が歌われている。
歌う気がしなかった。
魂だけでもそばにいてほしかった。
聞くともなしに虚ろに聞いていると、私と同じく歌わずに棺を睨む男が目に留まった。
グラ公爵――マリーの父・ダンケルだ。
彼は身の内にある虚空を、怒りで満たそうとしているように見えた。
* * *
リリィには君を訪ねていくと言ったものの、なかなかグラ家の屋敷に足を向けられずにいた。
会いたいと思うのと同じ頻度で、会うべきではないのかもしれないと考えた。
――命が惜しかったら、好かれてはならない。
それが公爵の意志なのか、呪いなのか、判断がつかない。
わからないけれど、高熱が出た時のように背筋がぞくぞくして落ち着かない。
今までは会って話すくらい彼女にも私にも害はないだろうと甘く見ていた。
だが、ざわざわとした不安が胸の中に渦巻いて、結局会うことを躊躇っていた。
――父は自分の命より、母が大事だったのです。
その言葉が、その時のマリーの虚無の笑顔が、棘のように胸に深く刺さったまま抜けなかった。
正直、まだ死にたくない。
死にたくないけれど。
だからといって、婚約を解消し、他の男に譲る気にもなれなかった。
公爵がマリーの不幸を望んでろくでもない噂のある男を敢えて選ぶのなら、なおさらだ。
呪われているという噂があったとしても、マリーは王族から降嫁した曾祖母を持つ名門中の名門グラ家の一人娘だ。対面上の夫婦を取り繕えばいいというなら、その利用価値を狙って喜んで貰い受ける輩は大勢いるだろう。
――それは、なによりです。
見ているほうの胸まで深く深く抉るような、虚無の笑顔。
つまり……マリーは、死にたくないとは思っていない?
マリーが婚約者を拒絶しないのは、死に至らしめることはないという信頼ではなく、別に死んでも構わないという諦め?
まだ、16歳にもなっていないのに?
そう思うと、無性にマリーに会いたくなった。
タルトを頬張っていた時の、あの無邪気な笑顔のマリーに。
ケーキを3つくらい持って行ったら、もう一度あんなふうに笑ってくれるだろうか、とか。
結婚して彼女を庇護下におくことができたら毎日食べ放題にしてやろう、とか。
いままでの分まで幸せにしてやれるだろうか、とか。
……そんなことばかりを無為に考え、しかし会いに行くこともできず、時だけが過ぎていった。
そんな折りに一度、リリィがドラクロワの屋敷を訪ねてきてくれた。
私の私室に通された彼女は居心地悪そうにソファに座るなり「お嬢様の好きなものが全くわかりません」と告げる。
マリーは何事にも無関心に、淡々と日々を過ごしていて、どれだけ気をつけていても心を動かすことがないように思えると。
一度公爵には内緒で苺のタルトをお茶の時間に出したけれども、マリーは一目見ると眉を上げてリリィを睨み、いらないと拒絶したのだという。そして「もう一度こんなことをしたらお父様にいいつけて辞めさせるわ」と脅しをつけたというのだ。
感情を露わにしたのは、その一度きりだったと。
「……もしかしたら、ロラン様がお嬢様のことを考えて持ってきてくださったことが嬉しかったのではないでしょうか?」
リリィはそう締めくくったけれど、どうにも釈然としなかった。
タルトを見つめる期待に満ちた輝く瞳が、夢だったとでもいうのだろうか。
「きっと、お嬢様にとってロラン様は特別なんです」
リリィは縋るような目で必死に訴えた。
だが、なぜ「特別」なのだろう。
どう贔屓目に見ようと思っても、マリーの態度を恋する乙女と勘違いするには無理がある。
「ですからどうか、旦那様がこの縁談を破談になさるようなことはお控えください」
リリィは目を伏せ、痛みを堪えるように胸に手を当てて唇を噛んだ。
「一度あんなふうに笑っていらっしゃるお嬢様を見てしまった後では、私、無表情なお嬢様を見ているだけで胸が痛くて……」
「無関心を装えば、その期間マリーは鋭利な氷の剣でいつづける」
「それでも……旦那様が次にどんな方を選ぶのかと思えば――」
リリィは自分の体を抱きしめ、小さく震えた。
マリーにそこまで共感し、心配する者が近くにいてくれることが嬉しい反面、薄ら寒いものを感じた。
――好かれてはならない。
それは、やはり呪いだろうか。
魔法によるものでなかったとしても、これほどまでに人を縛るのであれば、呪いと変わらない――……。
「どうか、お嬢様を思い遣ってくださるなら、ご成婚までは………」
どうするべきなのか、結論なんか出なかった。
ぐるぐるまわる渦に呑まれ、考えても考えても答えは遠くなるばかりに思えた。
◇◆◇
結局、悩んでいるうちにマリーの16歳の誕生日がきてしまった。
誰にも祝福されずにいるマリーを想うと足裏をじりりと炙られるようで、この日ばかりはと面会を求めた。
だが、返事は以前と同じ筆跡で素っ気なく否だった。
これでは贈り物を送っても、渡してもらえるかすら怪しかった。
日が暮れるといよいよ焦燥に耐えられなくなり、祝福の言葉を掛けるだけだと渋るリリィを説き伏せて秘密裏にマリーの部屋に案内してもらった。
マリーの部屋は、屋敷から少し離れて庭の奥に建てられた小さな塔の上にあった。
「……お嬢様、夜分に失礼します」
塔を上りきったところでリリィが断りを入れて扉の鍵を開け、思わず息を呑んだ。
その鍵は、外側からしか開錠できない作りだった。
一歩踏み込んですぐさま視線を走らせた室内の窓の全てに、蔦を模した優美な意匠の鉄格子が嵌っていた。もちろん塔を上る途中の窓にも同じ格子が嵌っていたが、室内に至るまですべてが嵌め殺しとなると、その意図は防犯の域を越える――。
お嬢様のためなんですとリリィは弱々しく説明したが、建前にしか聞こえなかった。
屋敷から出るどころか庭の散歩が週に一回という、病弱な深窓の令嬢。
その真相が、これか。
こんな離れた塔に幽閉し、マリーが好むものを端から全部取り上げているのか!!
「お嬢様、お客様です――」
すぐさま公爵のところに怒鳴り込んでやりたい衝動に駆られたが、リリィの声にぐっと拳を握って耐えた。
今は――なにより、マリーの誕生日を心から祝ってやらなければ、と思った。
この境遇の中で今まで生きてきてくれてありがとうと伝え、あんな些細な幸せくらい世の中にはたくさん溢れているのだということを、教えてあげなければ。