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見舞い4


「では、なにかマリーが欲しがっているものとか、好きなものとかを教えてくれないかな」


 メイドはその問いに弾かれたように顔を上げた。その表情には驚愕と困惑が浮かんでいる。


「婚約者の誕生日を祝いたいと思うことが、それほど驚くことかな?」


 つい苦笑いを浮かべてしまうとメイドはたじろいだ。


「いえ、あの……申し訳ありません。……私、今日までお嬢様に好き嫌いはないと思っていました。お食事も出されたものは顔色一つ変えずにすべてお召し上がりになりますし、お召し物もどれになさいますかと尋ねてもいつも私に任せると……」


 メイドはエプロンをきゅっと握り込んで、俯いた。


「あんなに……お菓子がお好きでいらしたんですね……。私、5年もお仕えしていて、今までそんなことも知らずに……」


 タルトの箱を懐疑の目で睨み、目の前に置かれると視線を釘付けにし、至福のひとときに目を細めたマリーがまなうらに浮かんだ。

 彼女もそうなのだろう、悔いるように唇を噛んでじわりと涙を滲ませていた。


 ……5年。

 少なくとも5年、マリーはたったそれだけのささやかな幸福すら、許されなかったのだろうか。


――父は、私の幸福を一秒たりとも許しません。


 その言葉が、あの空しい笑顔が、冷たい氷の刃となって胸に刺さる。


「……本当に誰も、祝ってやらないのか?」

「………はい………」


 胸の痛みを堪えて確認すると、メイドは呻くように答えた。


 “氷の剣”――マリーをそうさせているのは、公爵の冷遇ではないのだろうか。

 警戒心剥き出しの冷視線と淡泊な言葉達。それはハリネズミのように刺をもって身を守ろうとしているだけで、本当は……脆く、あたたかく……タルトに目を輝かせるようないたいけな少女では――。


「ならばなおさら、なにか贈ろう」


 いまだに憐憫の情と恐怖がせめぎ合っているが、意地が憐憫に加勢をして宣言した。目を見張ったメイドは、おろおろと視線を泳がせる。


「ですが……それはおそらく、旦那様の逆鱗に触れます……」

「まさか公爵は本気でマリーを憎んでいるのか? そんな、マリーにはどうにもできない理由で、たかがタルト一個で懐柔されてしまうほど娘の不幸を望むのか!」

「……申し訳ございません。私には、わかりません。けれど……」


 勢い責め立ててしまうと、かぼそい声がそこで消えてしまった。

 メイドは息をのみ、深呼吸を繰り返し、再度喉を振り絞るように言葉を継いだ。


「……あの、私、これまでお嬢様のお体に障るから禁止されているのだと思っていましたが、私の前任はお嬢様にこっそりとお菓子をお渡ししていたことを咎められて解雇されたと……」


 目眩がして、思わず頭を抱えてしまった。


 いくらなんでも異常だ。

 10歳の少女に菓子をやったくらいで解雇とは。

 グラ公爵は人格も政治手腕も定評のある人物だったはずだが、正気を疑ってしまう。


「私は雇用の際、命が惜しかったらお嬢様に好かれないよう努めろと厳命を受けました」

「命が惜しかったら……?」


 反芻し、ひとつの可能性に思い当たる。


「それは、呪いとなにか関係があるのかな?」

「……申し訳ありません。私には、わかりかねます……」


 メイドは細い声で再びそう繰り返した。


 細く深く息を吐いて、苛立ちをやり過ごす。

 本人が言えないように呪いをかけられているのだから、まわりは結局推察するしかないのだし、これ以上何を聞いても無駄なのだ。


「……じゃあ、最後にもうひとつだけ」


 体中にわだかまる黒い靄をいったん胸の奥に無理矢理仕舞い込んで笑顔を作ると、恐縮しきっているメイドの手を取る。


「君の名前は?」

「…………………はい?」


 脈絡なく名前を聞かれてぽかーんとしたメイドに笑顔を向け続けること、3秒ほど。


「え……と、リリィと申しますが……?」

「リリィ、かわいい名前で覚えやすいね」


 たじろいだ返事に極上の笑みを添えてみたが、彼女は「はぁ」と気の抜けた返事をしただけだった。大抵の女の子はこれで頬を染めて俯いたりするのだけれど、さすがにマリー付きだとメイドも手強いようだ。


「ちなみに、恋人はいる?」

「………………いえ」

「そう、じゃあ今度は君を訪ねてこようかな」


 そこでようやく言外の意図に気づいてくれたリリィは息を呑み、ちらちらと落ち着きなく屋敷の方に視線を投げた。


「……でも。でもそれは……お嬢様に、軽蔑されますよ……?」

「あはははは。幸い、マリーも公爵もついでに私の父も、私が軽薄で手が早いことくらい承知しているよ」


 一度笑い飛ばしてから、手の甲にキスをして、周りには聞こえないようそっと囁く。


「もし君が公爵に咎められたら責任持って私が雇うと保証する。だからマリーの好きなものを探してみてくれないかな?」


 手を離してもう一度笑いかけると、リリィは今度こそ頬を上気させて涙の溜まった目で見つめてきた。


「うちの者にも、君が会いにきてくれたら歓迎するよう伝えておく」


 手を振ってひらりと馬車に乗り込むと、リリィはこれ以上ないほど深く頭を下げ、馬車が角を曲がって見えなくなるまでずっとそのままだった。




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