見舞い3
「ロラン様、本日は本当にありがとうございました」
玄関先に用意された帰りの馬車に乗り込む直前、メイドは深々と頭を下げた。
マリーはメイドに見送りを命じると、自分は部屋に戻ると言って東屋を後にした。
「いや……急な来訪で散歩の邪魔をして申し訳なかったと伝えてくれ」
社交辞令を口にしながら、尋ねるべきか思案しながら頭を掻く。
先刻この屋敷にきてマリーに面会を願った時、衛兵達にも執事にもわずかに緊張が走り、主人に確認すると告げる彼らには異様なほどの怯えが滲んでいた。
それはやはり、公爵がマリーを憎んでいるからだろうか。
だとしたらこのメイドの主も公爵だ。藪蛇になる可能性もあるけれど……。
思慮を巡らせながら視線を戻すと、メイドはいまだ深々と頭を下げたままだった。その深いお辞儀を見ていると、自然と口が緩む。
「君はマリーのレディースメイドだよね?」
「はい。……ロラン様は本当にお嬢様をマリーと呼ばれるのですね」
顔を上げたメイドは、ほのかに苦い笑みを浮かべていた。
改めてみると、おそらく20代の前半なのだろうが子犬みたいに愛嬌のある顔立ちのせいか少し幼く見える、かわいらしい子だった。
「先日の舞踏会から帰っていらした時、お嬢様ものすごく怒っていらっしゃいましたよ。二言目にはマリーと呼んでいいかなんて、なんて軽薄な人かしらって」
マリーの真似なのか、メイドはぷりぷりと怒ってみせた。
本当にマリーがそんな仕草をしていたらさぞかしかわいかっただろうなと空想すると思わず頬が緩み、今度怒らせてみようと、ひっそり心に決める。
「みんな信じなかったんですよ。ロラン様はとっても柔和で物腰の優しい反面手が早い方だいう噂ですけど、いったいどんな豪傑があの氷の剣をそんなかわいらしい愛称で呼ぶのかって……」
“氷の剣”とはまた、若干15歳の公爵令嬢とは思えない異名をつけられたものだが、確かにあの人を寄せ付けない冷ややかな空気を的確に表現していると賛辞を贈りたいほどしっくりする異名だった。
「あら、失礼しました。私ったら嬉しくて、つい!」
マリーに対しても私に対しても多大な失言をしたことに気づいたメイドは慌てて口元を覆ったが、その屈託のない明るさに釣られたせいか、咎める気にはなれずにひらひらと手を振った。
「ところで君、私が再三マリーに宛てた手紙の返事を誰が書いてるかは知ってる?」
気さくを装って聞いてみたけれど、メイドはぴくりと肩を震わせ表情を強ばらせた。
返信はマリーの名前で送られてきて、女性の筆跡だったので今までは疑いもしなかったが、私はまだマリーの筆跡を知らない。あの反応から推察するに、誰かが勝手にマリーになりすまして返信していたとしか思えなかった。
メイドは何度か密やかに息を飲み、ちらちらとあたりに視線を走らせた。
そしてまわりにいるのが衛兵がひとりだけなのを確認し、その衛兵に目配せしてから私を見、どこか自分に言い聞かせるように呟いた。
「ふふ、お嬢様のお散歩の時間に偶然いきあうなんて……きっと、ロラン様は運命の人なのでしょうね」
後に聞いた話だが、マリーの散歩が許可されるのは体調と気候に応じて不定期に週に一度きり。故に、この日の朝、天気がいいので散歩したいと願って許可を得たマリーに偶然遭遇するというのは僥倖だったらしい。
決意の目をしたメイドは、囁くように密やかに告げた。
「僭越ながら、旦那様の命で私がお嬢様の代筆を勤めさせていただいております」
「マリーには一言も告げずに、勝手に?」
いくらまだ15歳とはいえ、本人の目に一度も触れさせず伝えもせず、公爵が勝手に返事を命じるとは横暴ではないか。
憤然としてしまうと、メイドは申し訳ございませんと恐縮して肩を縮めた。
「婚約者にすら面会を許可しないとはどういう了見だ?」
「……申し訳ございません。私には、旦那様のお考えはわかりかねます」
メイドはますます小さくなって、深々と頭を下げた。
腹立たしいが、ここで彼女を責めても仕方のないことだと自分に言い聞かせ、今は腹に納めるしかなかった。