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抵抗5



「マリー、まだ未完成なんだけど届けてもらったんだ」


 絵を発注してから一月あまりが過ぎていた。

 マリーが寝室で体を休めていた間にこっそりと居室に運び込んでおいた絵の前まで、大きなお腹を抱えたマリーの手を引いて意気揚々と案内する。


「未完成………? って、ちょっと、なにこの大きさは!」


 人の身の丈よりも大きな額縁を覆っている布を見て、マリーはぽかんと口を開けて見上げた。


「どうせこの部屋は殺風景なんだから、このくらいでいいだろう?」

「殺風景で悪かったわね」


 頬を膨らませたマリーに肘で小突かれた。

 以前に比べたら花もぬいぐるみも飾り華やかさを増してはいるのだけれど、あの状況で16年育ったマリーは私が次々に選んできても物が多いと落ち着かないと言うので、今ようやく少し質素だけれど女性の部屋と認識できる程度だ。


「気に入ってくれるといいんだけど――あ、自信はあるんだよ」


 むくれるマリーを用意しておいた長椅子に掛けさせてから、もったいぶってじわじわと布を引いていくと、「もったいつけないで」と怒られてしまった。

 

「じゃ、行くよ――」


 笑いながら一気に引っぱりぬいた布はバサリと派手な音を立てて落ち、その下から現れたのは、二人掛けの長椅子に腰掛けたの私たちが描かれた、一枚の油絵だった。


「………?」


 マリーはまず首を傾げた。


「私はなにを抱えているの?」


 そう。絵の中のマリーはなにかを大事に両腕で抱えるようにしているけれど、そこにはなにも描かれていない。

 絵の中で私もマリーも優しいまなざしで見つめているその場所は、まだ空白。


「うん、だから未完成だって言っただろう?」


 得意げに言い放つと、マリーはますますもって意味がわからないと首を傾げた。


「ここにディーネを書いてもらうんだけど、やっぱりディーネがどんな顔をしてるかとかは君と話しながらがいいなと思ってね」


 マリーは、ぽかんとしていた。


「魔女の呪いを打ち破ったら、最後に3人でこのポーズをとってちゃんと最終調整をするんだけど」


 じわじわと氷が溶け出すように、マリーの表情が緩んでいく。


「そしたら世界で一番幸せな親子の肖像画になる」


 そう、言ったら。

 マリーは、せっかくのかわいらしい顔がくしゃくしゃになるくらいにぼろぼろと泣いた。

 泣きながら、笑ってくれた。

 とても幸せそうに。











「ディーネはどんな顔してると思う?」

「マリーに似た美人がいいな」


 専属の画家が絵の前で用意をしていて、私は長椅子に腰掛けたマリーの肩を抱き、お腹を撫でる。返事をするようにぽんとお腹が波打って、マリーはくすぐったそうに笑った。


「髪の色は金かしら銀かしら?」

「さぁ? どっちでもいいよ」

「目は?」

「色云々の前に、マリーみたいにきつい目をしてなきゃいいよね」

「なによ、それ!」

「あはははは、痛い。痛いよ、マリー」


 マリーが眦を吊り上げて背中に敷いていたクッションを振り回し、ぽふんぽふんと殴りかかってくる。一応腕で頭を庇ってみるけれど、ぜんぜん痛くない。

 むしろ、困っている画家がちらりと横目に投げてくる視線のほうが痛いくらいだ。



 ああでもないこうでもないと、それからほとんど毎日絵の前に立つ羽目になった画家がかわいそうになるほど、何度も書き直してもらった。

 マリーとふたり、日々少しずつ変わっていくその絵を見つめて生まれてくるディーネの話をした。


 下手だけれど自分たちでディーネの顔を想像して描いたものを見せ合ってみたり、どんな娘に育つか、どんな食べ物が好きか。そしてどんな人に恋をするのか。


 飽きもせず、尽きもせずに。


 そしていつまでも完成しない絵の周りに、ディーネのために用意したものが増えていく。

 おくるみ、服、靴下、帽子、襁褓おしめに、前掛け、ガーゼやタオル。

 それらをしまうチェストは暖かな木製で、パステルカラーの小花が描かれている。同じ細工のベビーベッドと揺りかご、天井からはシャンデリアのように煌めくガラス製の馬が3頭揺らめくメリーがつり下げられた。

 それからベビーベッドの上には手のひらサイズの白うさぎのぬいぐるみ、赤子と同じくらいの大きさの人形、布でできた造花のバラに、たくさんの色鮮やかな絵本。絵本をしまう小さな本棚には動物のサーカス団がにぎやかに行進している。


 いつの間にか、殺風景だったマリーの部屋はそれらのもので賑々しく溢れていった。



 絵の中のマリーは“氷の剣”なんて異名がついていたとは思えないほど優しい微笑みで我が子を見つめ、モデルのほうも絵の中の我が子に同じ表情を向ける。


「ディーネ……私よりももっとずっといっぱい、幸せになるのよ」


 マリーはとても穏やかで優しい表情少しずつ大きくなっていくお腹を撫でて、そんな祈りを毎日毎日込めていた。


「ロランに負けないくらい素敵な人に出会ってね」

「うぅん……それは難しいかも?」


 ディーネを嫁に出す日を思うと、思わず苦笑いがこぼれてマリーに小突かれたりもした。




 親子3人の絵のほかに、そんな幸せそうなマリーの姿を描いた絵が何枚も出来上がっていき――そしてついに、運命の日がやってきた。



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