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救い3


 ぽつ、ぽつ、と。

 陶然としているマリーの頬をこぼれ落ちる涙が打って意識を引き上げていき、マリーはゆっくりと目を瞬かせた。


「――……ロラン、ありがとう」


 マリーは弱々しくほほえんで、泣いている私に重い手を伸ばすと、鼻先に指を滑らせて涙を拭った。


 それでもとめどなく溢れる涙はまつげを、鼻の頭を伝ってマリーの頬を打ち続けた。



 マリーが望んだと言い訳して拒みきれなかった自分が許せなかった。

 私がマリーを殺すのだと思うと自分自身に吐き気がした。



「泣かないで、ロラン」


 頬を染めたマリーはくすくす笑って優しく慰め、肩に残る傷跡に細い指を滑らせた。


「……ありがとう」


 そっと笑いを収め、もう一度ぽつりと呟いた。


「………ごめんなさい」


「ありがとう」


「ごめんなさい」


 ぽつり、ぽつりと。

 首を伸ばして、私の鼻先に、頬に、額に、キスをしながらマリーは何度も感謝と謝罪を繰り返した。


 そのどちらの意味も、わからなかった。


「……ごめんなさい。どうしてもあなたを好きになっていくのを止められなかったの……」


 私のものかマリーのものかわからない涙を拭いて、マリーは懸命に笑おうとした。


「あなたはバカね。死ぬかもしれないのに、私に気安く声をかけて、マリーなんて呼んで、何度も会いに来たり、誕生日を…祝ったり……」


 でも、全然うまくはいかなかった。


「本当に、バカなんだから……」


 くしゃくしゃの泣き顔で、マリーは悪態をつく。

 それは多分、私にではなく、自分に向けた言葉だった。


「あなたが死ぬより辛い目に遭うかもしれない、私が今まで背負ってきた苦痛をあなたや子供に引き継がせることになる……なのに」


 腕の中で泣くマリーの姿に、胸が軋んだ。


「なのに、私はもう、耐えられなかった……。ひとりぼっちで人形みたいに無為に生きるのは嫌だった。あなたと一緒に生き、一緒に背負ってほしかった」


 好きと言われているのに、胸に穴が開いているような気分がした。

 結局私は、マリーを苦しめ、死地に向かわせただけじゃないだろうかと、思った。


「ごめんね、でも――ありがとう」


 涙を拭ったマリーは、私の腕の中に猫のように頬をすり寄せ、細くゆっくりと息を吐いた。


「……なんだか、初めて息をしたみたい」


 マリーはそっと心まで預けるように寄り添い、私はその細い肩を抱いた。


 縋るように抱きしめると、まだ火照っている体温が涙で冷えた互いをあたためた。

 そのぬくもりは、理屈や理性や、そんなものは全く無関係に、ただひたすら優しく穏やかな癒しに思えた。


「……リリィの前任が解雇された時ね、お父様が言ったの。お前が好きになった人間はみんな死ぬんだって。だから誰も何も好きになったらダメだって」


 まじまじと腕の中のマリーを見つめてしまった。

 出会ってから契りを結ぶ瞬間まで、マリーが好きという単語を一度も口にしていなかったことに、その時初めて気づいたのだ。


 私に対してだけではない。

 あれだけ幸せそうに頬張った苺のタルトにさえ、だ。

 あの異様な鉄格子に気を取られて気づかなかったが、格子を外した窓から降り注ぐ月光に照らされたマリーの部屋には、本当に最低限の調度品しかなかった。

 ぬいぐるみの一個、絵の一枚、花一輪すら、ない。

 ただひとつ、窓際で月光浴をさせているヒビの入った紫水晶のイヤリングだけが、不規則に光を弾いてきらりと光っていた。


 その事実に愕然としていると、マリーはそっと笑みを浮かべて静かに語り始めた。


「17年前の災厄はね、父が母を死なせなくなくて、子供を設けようとしなかったことで起こったのよ。

 怒った魔女は母の大事なものを奪い続けると宣言し、母の父を皮切りに親族や側付きのメイドや執事や親しくしていた友人達が次々と亡くなったわ。事故、病気、理由は様々だけれど。――そして最終的に、領民をも巻き込んでいった……」


 どこへともなく宙を見つめる紫の瞳が、静かに揺れた。


「母は良心の呵責に耐えられなって、魔女が敷いた運命に従うことを選んだ。そして私が生まれ、母が亡くなった時ね。魔女は満足そうに笑って、以後20歳の誕生日までに子を成さない場合も同様だと言い残したのよ」


――決して、好かれてはならない。


 脳裏に閃く言葉に呻きが漏れる。


「……でも、それならなぜ公爵は――」

「父が難を逃れたのは、伴侶だったから」


 最も強い想いを寄せていたのはきっと夫であったろうという疑問が泡のようにぷくりと湧いて、弾け消えた。


「魔女は契約の不履行を何よりも嫌い、子供を産んで死ぬ以外の道を選ぶことを決して許さなかった」


 重い沈黙が流れる。


「………こうする以外に、道はなかったのよ」


 脇の下に猫のように潜り込んで、私の胸に手をおいて、マリーは慰めるように優しく呟いた。


「…………ごめんなさい」


 しん、と静寂がおりそうになり、再びマリーは口を開こうとした。その口から出てくるのは謝罪だけに思えて、それを遮る。


「つまり結局、君は私のために死ぬことを選び、私は君を犠牲にして生きながらえるんだろう?」


 呻くと、マリーは身を起こしてふてくされる私をしっかりと見下ろして首を横に振った。


「私はようやく魔女を恐れずにあなたを、リリィやみんなを、好きになることができるようになったの」


 強く言い切ってから、そっと目を細め、自分のお腹を撫で、マリーは微笑んだ。


「……大好きよ、ロラン」


 本当に、心から、雪溶けを待っていた花が綻んでいくように、ふんわりと。


「…………愛してるの」


 胸が熱くて、喉が震えて、声が出なかった。

 かわりに強く抱きしめたら、涙が滲みそうになった。



「これからこの部屋にどんなものを置くか、一緒に選んで」

「……………っ」


 声が詰まったままの私の腕を再び抜け出したマリーは、頬をぷぅっと膨らませた。


「あなたが手伝ってくれないと、ずっとこのままよ?」


 それでもいいの?と聞いてくる強い視線に耐えきれず、私はもう一度喉元に押しつけるようにして強くマリーを抱きしめた。

 そして、ようやく一言だけ、喉から絞り出した。


「うん……――一緒に、探そう」


 マリーが好きなもの。

 マリーの幸せな時間。

 一緒に、探そう。

 ひとつでも多く、一秒でも長く。


 そして必ず。

 必ず、世界中で一番幸せにするよ。




 そう、言いたかったのだけれど。

 痙攣するような喉の痛みに遮られて、それ以上の言葉を口にすることができなかった。



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