悪夢の日・参
二人はやっと少年の家の前まで辿り着いた。
少年は色々と思うところがあったのだけど、ソフィアを家に上げることにした。
少女が語った未来が見えるという話、そして瀕死の自分を救ったその奇跡を解き明かすためだ。
「着いたよ、ここがボクの家」
「ふ~ん。いちおう知ってはいたけど、じっさい見てみるとずいぶん小っちゃいんだね」
「これでも日本の感覚で言うと結構大きい方なんだよ」
少年の家は一般的な二階建ての一軒家だ。
二階には少年の部屋と物置部屋があり、一階はリビングとして使っていて、さらに少年の両親の寝室がある。外国から来た(?)ソフィアにとっては小さいと感じてしまうのも無理ないかもしれない。
二人は他愛ない会話をしながら玄関を通っていく。
「おじゃましまーすっ」
「いらっしゃい……って言っても、ボクしかいないんだけどね」
「あれ、一人ぐらしなの?」
「実質そんなところ。親は海外勤務で滅多に帰ってこないし、誰もいないのが当たり前なんだ」
「ふーん、そっか」
ソフィアはあまり興味が無さそうに答える。
彼女の好奇心は家の中に何か面白いものがないか探すことに移っているようだ。
リビングには特に取り上げるべきものは無いように思えたが、ソフィアは目敏くそれを発見した。
「むむ~? これは……」
それは古ぼけた写真立てで飾られた、一枚の写真だった。
一目見ただけで家族で撮った写真であると分かるような、そんな幸せそうな写真だった。
まだ子供だが、今と顔がほぼ変わらない少年の姿と、その肩に手を乗せ温かく微笑んでいる両親の姿と、もう一人ソフィアの知らない女の子が写っていた。
「お兄ちゃん、この子はだれ?」
ソフィアは女の子を指差して少年に尋ねた。
「え? ああ、それは……妹だよ、ボクの」
「へェ、妹がいるんだ。今はどこに? その子も一人ぐらし?」
「ずっと前に死んじゃったよ、事故にあって」
少年はひどく感情の抜け落ちた声音で答えた。
その様子を見てソフィアは一瞬悩んだが、あえて気にせずに訊ねることにした。
「あら、そう。名前はなんていうの?」
「……紗織、だよ」
「ふぅん……こっちでは死んじゃってるんだ……」
名前が聞けて興味は満たされたのか、ソフィアは写真を元あった場所に戻した。
「ボク着替えてくるから、ここで待ってて」
そう言って少年はリビングを離れ、二階の自室へと向かった。
「はーいっ」
一人リビングに残されたソフィアは妙に元気に返事をして、すぐに真剣な面持ちに戻った。
銀糸の少女は先程の写真を鋭い眼で見つめている。
ありとあらゆる思考が頭に浮かんでは流れていく。
「……やっぱり、この世界は何かが欠けているみたい。それも、とても大切な何かが。きっとそれが……お兄ちゃんを苦しめてる……」
人々の心が猜疑で満たされ、より醜悪に、より残酷な形へと変貌している。
この世界に救いはない、ソフィアにはそう思えた。
ならば、どうやって少年に救いを与えるのか。それがソフィアにとって最も重要なことだった。
しばらくして、二階から私服に着替えた少年が降りてきた。
「さ、とりあえず買ってきたお弁当食べちゃおうか」
コンビニ袋の中をがさがさと漁り、弁当とサンドイッチを取り出す。
そのついでに、少年は一冊の本をソフィアに手渡した。
「これは?」
「欲しいのかなと思って。買っておいたんだ」
そういう少年は優しく微笑んでいる。
ソフィアはその笑顔を見て胸が締め付けられるような思いがした。
「ありがとう」
少年と少女はぎこちないながらも楽しい食卓を過ごした。
少年の姿には先程虐げられていたときのような弱々しさは感じられない。
むしろ水を得た魚のように活気に満ちている。
ソフィアはその様子を見てふと思った。
(……ずっと一人ぼっちで寂しかったのかな)
*
この世界には、なにかが足りない。
それはわたしのような、お兄ちゃんを助けてくれる存在。
お兄ちゃんがそれを願ってわたしの世界が生まれたのだとしたら。
お兄ちゃんを救うためには……
*
食事を終えた少年は、風呂場に行って入浴の準備をしていた。
適度な温度にお湯が張ってから、少年は少女を呼びに行った。
「えっと、ソフィアちゃん、お風呂入ったから先に入っていいよ」
「……お兄ちゃん、れでぃに向かってちゃん付けなんてごんごどうだんだよっ」
子ども扱いされるのが不服なのか、少女は頬を膨らませてすねた。
「え? でもまだ子供じゃ……」
「わたしはもう大人なのっ、お兄ちゃんのバカっ」
どやされた少年はやれやれといった感じでため息をついた。
「はいはい、小さなお姫様」
「あ、またバカにしたっ! もう、罰としてわたしの背中を流すこと、いじょう!」
「ええ~~……!?」
少年は少し困惑している。
そこにすかさずソフィアが重大なことをさらりと言い流した。
「どうせあと二、三日で女の子になっちゃうんだから、慣れといたほうがいいよ」
「…………へ?」
その話を詳しく聞こうとした少年の後ろをすり抜け、少女はすたたっと風呂場に駆けて行った。
「ほらほら、お兄ちゃんも早く~~っ!」
少年は呆然としてしまってすぐには動くことが出来なかった。
「んっ……ふぁん……お兄ちゃん、もっと優しく~」
「ご、ごめん。あと、変な声出さないで」
「えぇ? お兄ちゃんてロリコンさんだったの~?」
「ち、ちがうってば! もう……」
けらけらと笑うソフィアに、少年はからかわれていることに気付いた。
むっとした少年は泡立つスポンジで背中を擦る振りをしつつ、無防備な脇をちょんと小突いた。
「ひゃんっ! お、お兄ちゃんのえっち~」
「一丁前に子供じゃないか、全く」
「むぅ~~」
むくれているのか、口を突き出して唸っている。
その仕草は見た目どおり子供そのままだった。
「ねえ、ソフィア……一つ聞いてもいいかな」
「うん、なぁに?」
背中を流す手を休めずに話を続ける。
「……さっき言ってた、"二三日で女の子になる"って、どういう意味かな」
ソフィアは、うーん? と首をこちらに傾けながら答える。
「意味もなにも、そのままだよ? わたしの血を飲んだお兄ちゃんは、わたしと同じ"吸血姫"になっちゃうの」
「いや、あのね? 全然分からないんだけど……」
少年が困った感じで言うと、ソフィアはくるっと振り返って少年と顔を合わせた。
つぶらな瞳は少年を捉えてまっすぐに見つめてくる。
「……なれば分かるよ。すぐに」
「…………?」
少年はなにも答えられなかった。
そのままソフィアはバシャッとお湯をかけて泡を流し、湯船に浸かった。
「お兄ちゃんも一緒に入ろ~よっ」
「え、それは……」
躊躇う少年にソフィアはお湯を手ですくって浴びせかける。
「わ、ちょっとぉ! や、やめて~!」
「ほらほら、早くきてよ~! きゃははっ」
そうして、時間はどんどんと過ぎていった。
風呂から上がった少年は洗面台の前に立ってソフィアの髪をドライヤーで乾かしていた。
さらさらと美しい銀の髪が少年の手の中で踊っている。
本当に綺麗な色をしているなと、少年は感嘆していた。
「ふふ~、ごくらくごくらく~」
ソフィアは気持ちよさそうに目を細めている。
何だか子猫を洗っている気分を少年は味わっていた。
大体乾かし終えると、少年はブラシを手にソフィアの髪を掻き分ける。
「次は髪を梳かしとこうか」
「おねがい~」
子供の頃、まだ少年の妹が健在だった頃、よくこうして世話を焼いていたため、少年の手先は慣れていた。
零れ落ちる髪は艶やかに宙を舞っている。
「お兄ちゃんじょうず~、わたしもやってあげたい~」
「ボクは短いから必要ないよ」
「でも、もう伸びてるよ?」
「え?」
そう言われて鏡を見てみると、朝は短かったはずの髪が、肩にかかるくらいまで伸びていた。
明らかに異常な速度で、少年の髪は成長していた。
「ど、どうして……」
「変化が始まったんだね。ほっといたら朝には腰ぐらいまで伸びてるよ」
「そんな……!」
ソフィアは少年の手からブラシを引ったくり、少年を屈ませて髪を梳きだした。
「あうっ」
「よしよし、いい子ですね~。今度はわたしがしてあげる」
「うぅ……」
少年は為すすべなくソフィアにされるがままだ。
「でも、死んじゃうよりよっぽどましでしょ? "男の子"を捨てるだけで命が助かるんだもん。お兄ちゃんは幸せものなんだよ?」
「……それは……」
納得いかなそうに悩んでいる少年を、ソフィアはブラシでぽこんと叩いた。
「痛っ」
「もう、これいじょう暗いムードは禁止っ! 前向きにいこうよ」
「……どう前向きになればいいんだよ」
少年の受難はまだまだ始まったばかりだった。
そろそろ眠る時間になり、寝る場所をどうするか悩むときがきた。
普段はベッドで寝ている少年は、今日は仕方なく床に新たに布団を敷いて、そちらを少女に使ってもらおうと考えた、のだが。
「わたし、お兄ちゃんと一緒がいい!」
「困ったな……さすがにそれは」
「いーやーだっ」
「むぅ……」
こういって聞かないソフィアを前に、困っていた。
少年にはそんな気は一切ないが、まだ出会ったばかりの女の子と一緒の布団で寝るのは良くないと思っているのだ。
しかしソフィアの強情さにとうとう押し負け、少年は負けを認めざるを得なかった。
「分かった、分かったよ……一緒に寝よう」
「やったぁ! お兄ちゃんと一緒っ」
はしゃぐソフィアを見ながら、少年は苦笑いをして電気を消した。
暗闇に包まれると同時に、部屋に静寂が訪れる。
狭いベッドだから、必然的に身体の距離は近くなってしまい。
少年は背を向けようとするが、ソフィアが腕にがっちりとしがみついてきて回転することが出来ない。
「う、うぅん……」
「えへへ~」
ソフィアはこの状況が嬉しくてたまらないという声を出した。
一方少年は今日の出来事で心身ともに疲れ切っていたのか、横になるとすぐに寝息を立てだした。
反応がなくなってしまった少年に少女は不満そうな顔をするが、すぐに仕方ないか、と諦める。
それでも、抱きついているだけで少年の温かな体温を感じることが出来て、ソフィアは満足だった。
いつまでもこの平穏が続けばいいのに、と少女は思う。
それでも、未来が見える少女は知ってしまうのだ。
望んでもない、これからを。
「エリーゼお姉ちゃんのじゃない、わたしだけのお兄ちゃん……。わたしが絶対、幸せにしてあげる……」
夜は、静かに更けていく。




