悪夢の日・壱
少し嫌な表現を用いる場合があります。ご容赦を。
――――罪深き血を憎んで
――――何も出来ない自分を恨んで
――――救いのない世界に溺れて
孤独のままに、虚無へと還る
「おい、何とか言えよ、この***野郎!」
夕暮れの校舎裏。なんと言うことのない、当たり前の日常風景。
誰もが必ず過ぎ去っていく、学校生活においての一コマ。
ただしその少年が味わうそれは、普通の学生が通るような道ではなかった。
少年を取り囲む如何にもガラの悪そうな不良たち。ざっと見ても、5、6人は存在する。
彼ら曰く、それは"スキンシップ"の一言で片付けられる。
暴行、恐喝、たかり、あらゆる悪行を、少年はその細い身一つでただ受けることしかできない。
何発と蹴りや殴打を加えられ、辺りに鈍重な音が響く。
「これっぽっちの金で俺らが満足するわけねえだろ~? てめえは肉サンドバッグの刑な」
不良の一人が少年から奪い取った財布を放り捨て、蹲っている少年に蹴りを入れた。
「ぐっ……かはっ……!」
「おら、もっと泣き喚けよ。そうやって俺らを楽しませねーと、帰れないよ~?」
「ちっ、こいつ歯ぁ食いしばってやがる。弱ぇくせに強情だな」
「たこ殴りにしてやろうぜ、ひゃっほ~~~~いっ!!」
一斉に襲い掛かってきた不良たちが少年に容赦のない攻撃を与える。
腹部、顔面、背中、胸部、腕、足、頭、蹴り、殴り、手加減は一切なかった。
そのあまりの激痛に少年は思わず涙目で声を漏らした。
「ひっ……うぐっ…………!!」
「ひゃっはぁぁ! こいついい顔で泣きやがる!」
「なぁおい、こいつ裸に剥いて記念写真撮ろうぜ~!」
「ちょっと待て、俺ちょうどいいもん持ってんだ」
そう言って不良の一人は端に置いていた鞄から何かの袋を取り出した。
不良たちが集ってその袋の中を覗き見る。
すると全員が素っ頓狂な声を上げた。
「お、お前なんでそんなもん持ってんだよ! まさか女子からパクったのか?」
「んなわけねえだろ! 実はよ、この学校の保健医いるじゃん。あの女、有名な女子制服コレクターらしくて、レアもんの制服いっぱい持ってるらしいんだよ。売ったら金になるかな~と思ってちょいと借りてきただけだって」
「おま、結局パクってんじゃねーか! ばれたらやべーだろ」
「大丈夫だって、たくさんあったから多分分かんねーよ」
「――――そんで、そいつをどうすんだよ」
少年を取り囲んでいる輪から一歩後ろに立っていた男が訊く。
男は両耳にピアスを開け、十字架のアクセサリーをその耳につけている。
見つめたものを切りつけるナイフのような鋭い眼、他の不良たちとは明らかに、別格の存在感を放っている。
いわゆるグループのリーダー格という男だった。
「蛭賀さん、これを着せてまた遊ぼうかって」
「こいつ女顔だから、結構期待できるっすよ~!」
「……ちっ。悪趣味なこった、勝手にやってろ」
「あれ、帰っちゃうんすか? あれ~?」
蛭賀と呼ばれた不良はこの暴力に飽きたのか、その場を一人去っていった。
後に残った不良たちは再び倒れている少年の方を見る。
蛭賀の姿が完全に見えなくなってから、彼らは陰口を叩きだした。
「けっ……あいつ、ちょっと喧嘩強ぇからって調子乗ってんじゃねえの?」
「うぜぇよな、いっつも上から目線でよ」
不良たちの怒りや不満は、そのまま少年への暴力へと還元された。
既に満身創痍の少年はもはや避けることも出来ない。
その身に幾つもの痣や擦り傷を作り、少年は横たわる。
「さぁ~て。気を取り直して、お楽しみといこうぜ」
不良たちはにたにたと厭らしい笑みを浮かべ、少年を弄ぶ。
――――こんな世界、消えてしまえばいいと、少年は呪った。
*
既に日は沈み、藍色の空が全てを包み込んでいた。
月明かりだけが頼りだが、それも時々疾走する雲によって覆われ、闇に閉ざされてしまう。
今日はやけに雲が速いな、などと少年は考えていた。
仰向けに寝ていた身体を無理やりに起こす。
まだ身体の節々に痛みが残っていた。二三日は引きずることになるだろうと予想する。
これまでにも何度か激しい暴力に曝されることはあったが、今回はまだ軽いほうだ。
少年は痛みのショックでいつ自分が気絶したのか覚えていなかった。
おまけに着ている服に違和感を感じ確認してみると、いつの間にか自分の制服は消え失せ、代わりに不良たちが持ち出した女子用の制服を着ていたようだった。
これもいつ着せられたのか判然としない。ただ慣れないスカートの感触が気持ち悪かった。
服を触ってみると、所々妙にべたつくような気がして、少年は不思議に思った。
「……なにこれ……べたべた…………?」
少年はすぐにそのことを後悔する。
思い出したくない出来事が脳内に再生され、少年は先程まで自分が不良たちに何をさせられたかを思い出した。忘れたと思っていた記憶は、封印されていただけだったのかもしれない。
耐え難い吐き気が喉を上ってきて、少年は思わずその場に戻してしまった。
息を切らして、少年は再び世界を呪った。
――――みんな、死んでしまえ。
何とか心を落ち着けて、少年は早く家に帰ろうと思った。
シャワーでも浴びて気分を一新すれば、きっとすぐに忘れられる。
ふらふらとおぼつかない足取りで校門の前までやってくると、一筋の煙が天に昇っていくのが見えた。
よく目を凝らすと、それは人影のようだった。
校門に背を預け煙草でも吹かしているのだろうか。
帰るためには通らなければならないので、少年は怯えながらも近付いていった。
「おい」
「ひっ……!」
突然声を掛けられ、少年はビクついた。
声の主は、先程の不良グループのリーダー、蛭賀だった。
「……無様だな。それでも男かよ? いや、お前はもう男じゃねえ。**だ」
蛭賀は少年に容赦のない罵声を浴びせる。
少年はすっかり怯んでしまい、一息に逃げ去ることが出来ない。
「お前見てっとよ、腹立つんだよ。何とか答えて見せろよ、おい」
蛭賀は少年に近づいていって、吸っていた煙草の煙を少年の顔に吹きかけた。
そのせいでむせ返ってしまった少年に、蛭賀はきつく言い放つ。
「……いいか、いい機会だから教えといてやる。この世界にはな、お前を助けてくれるヒーローなんざいやしねぇんだよ。お前はそのまま一人で野垂れ死んでいくんだろうさ。誰にも看取られること無くな」
鈍重な音が響き、少年はその時初めて自分が腹を殴られたことに気付いた。
痛みは数歩遅れてやってきて、少年は立っていられないほどの衝撃を受けた。
その場に膝をついてしまった少年に蛭賀は何かを放り投げると、そのまま背を向いて歩き出した。
「……悔しかったらいつでも来いよ、差しで受けてやる。俺に勝てたらお前にはもう手は出さねえよ。まあ、へたれなお前には無理だろうがな」
少年は何も言い返すことが出来ないままに、蛭賀は立ち去って行った。
蛭賀に放り投げられたものを見てみると、それは不良たちに持ち去られたはずの自分の制服だった。
少年は複雑な心境でポツリと漏らした。
「…………ボクが……勝てるわけ無いじゃないか……勝手なこと言うなよ……」
泣きそうになるのを必死に堪えて、少年は帰路に着いた。
こんなに夜遅くになってしまったのは、本当に久しぶりだった。
部活も何もやっていない、遊び相手もいない少年にとって、放課後とは帰るためだけの時間だからだ。
初夏にも拘らず肌寒い風が少年を襲う。
思わず身震いし、一瞬目を閉じた。
「――――変えたいとねがう? いまの自分を」
「……え?」
何処からか声がして、少年は瞳を開く。
だが周りには誰も居はしない。少年は空耳を聞いたのだと思った。
気にせずに歩き続けると、不意に背後から足音のような地面を擦る音が響いた。
この辺りは暗くなると急激に人通りが少なくなるため、音のみが異様に響く。
そのあまりにも奇怪な摩擦音に、少年は思わず振り向いて、凍りついた。
「……へへ……お嬢ちゃん、こんな時間に夜歩きかい……?」
不気味なほどにこけた頬、不自然なほどの前傾姿勢で、虚ろな目は少年を捉えて逃さず、何よりもその手に握られているものが、少年の心を凍てつかせた。
外を出歩くときには必要のない、刃渡り六寸の出刃包丁。
見るからに不審な男が、見るからに物騒な代物を少年に向けていた。
少年は何が何だか分からない。自分が置かれている状況が理解出来ない。
唐突に訪れた危機に頭が追いついていない。
「……いけないねぇ……お仕置きしないとねぇ……これは罰なんだよ……へへ……」
男がじりじりと少年ににじり寄る。
少年は後退しようとしたが、足が絡まって尻餅をついてしまった。
「ぎゃっ…………ひ、ひぃ…………っ!?」
「可愛いねぇ……楽しんだら楽にしてあげるからねぇ……」
男は少年に覆いかぶさり、その肢体を弄ぼうとする。
着ている服のせいで女の子に間違われているのだと、少年は今になって気付いた。
男は少年の顔や耳、腕に舌を這わせてくる。
「や、やめて……っ! 気持ち悪い……っ!」
必死に抵抗し逃げようともがくが、男の力は尋常でないほど強く、少年に跳ね除けることは無理だった。
その抵抗に業を煮やしたのか、男は少年に包丁を突きつけた。
「……おい糞ガキ、大人しくしねぇとぶっ殺すぞ。俺にはこいつがあるんだ……」
「……う、うぅぅぅぅ……っ!」
少年は恐怖で頭の中が真っ白になっていた。まともな思考は出来そうになかった。
彼に出来るのはただ救いを祈るだけだった。
何故か、先程蛭賀に言われた言葉が脳裏を掠めていった。
「ボクは……どうして……」
やがて、死神の鎌のようにゆっくりと、
「……へ、へへ……ひゃぁっはァァーーーーツ!!」
刃は、振り下ろされた。
*
流れていくのは後悔だろうか。
それとも憎しみだろうか。
少年には分からない。もはやどうでもよかった。
紅色の罪が身体から流れていく。
これは一体何の罰なのだろうと、少年は思った。
――――ボクが何をしたというのか。
これは夢なのだろうと、少年は思った。
早く目覚めなければと、そう思っているはずなのに、身体が気だるい。
異様に重たい右手を上げて目の前に持ってくる。
視界に映るのは、鮮血に染まった華奢な手だった。
ついにその力も尽きて、地面に放り出す。
少年は地面に天を仰いだまま倒れていた。
身体がどんどん体温を失っていくのが分かる。
自分の血で出来た水溜りに溺れていくようだった。
天高く聳える月は何事もなかったかのようにそこに存在しているのに。
世界に一人取り残されているんだ、ボクは……
鋭利に尖った刃物の一突きで、人間一人の命が消滅してしまう世界。
少年は呪う。世界を、人を。生きとし生けるもの、その全てを。
――――みんな、死んじまえ。
目を開けていることすら困難になってきた少年は思っていた。
自分が消えても、世界は何も変わらずに続いていくのだろう。
その事実が憎くて、だけどもどうしようもなく正しくて、少年は嘆いた。
もう終わりだ、そう目を閉じた瞬間。
再び、どこからか声が聞こえてきた。
「――――変えたいとねがう? いまの自分を」
少年はとうとう死神の声が聞こえるようになったかと目を開く。
すると、
「あァ、よかった。まだ生きてるね、かろうじて」
目の前に本当に、見知らぬ少女が立っていた。
一体いつの間にそこに立っていたのか、手を伸ばせば届く距離に。
瞳は怪しげに光る紅。銀になびく髪を優雅に纏い、純白のドレスでその小さな身体を覆っている。
整った美しい顔かたちをしているが、見た目から想像できる年齢は7~8歳というところだ。
それでもその少女が身に纏う雰囲気は大人のそれと変わらないものだった。
「君は……誰……?」
少年は少女の醸し出す雰囲気に飲まれつつ尋ねた。
少女はドレスの裾を持ち上げながらお辞儀をする。
「わたしの名はソフィア。ソフィア=モルゲンレーテ。お兄ちゃんの女神さまだよ」