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屍ケ台  作者: 小春日和
現代
6/25

姉貴の失踪 1

 翌出勤日に会社に出向くと、いつものように先輩が先に出社していた。今度は俺のほうから挨拶して、にじり寄る。

「おはようございます。アレって解析できました?」

先輩はパソコンの画面を睨みながら、言葉だけ返した。

「おう。できたが、あんまり効果なかったな。暗いのはどうしようもないぜ」

「まあ、仕方ないですね」

俺は礼を言って、忙しそうな先輩から離れた。実は、姉貴の家に取り付けた監視カメラの映像ビデオを、彼に預けてあった。

 というのも、生憎、監視を始めたその夜から廊下の常夜灯が切れてしまい、映像には暗闇しか映ってなかったからだ。

「こんなタイミングで明かりが切れるのが厭らしいな」

姉貴と2人で、そう(こぼ)したが、マンションの共用廊下の備品では、ありがちなことなんだろう。安物の解像度しか持たない白黒画面は、時折、目障りなノイズが走る程度の変化しか捉えていなかった。

 その話をすると、先輩が、

「俺、映像解析ソフトを持ってるぞ。ビデオをハードに落とし込んで、解析してみてやろうか?」

と提案してくれた。喜んで預けたのが5日前だ。

 自分の席につき、仕事の段取りを準備し始めていると、一段落つけた様子の先輩が話しかけてきた。

「そっちの状況はどうなんだ?長老から面白い話は聞けたのか?」

「うん。かなり手応えのあるのを」

先輩には逐一の報告がしてある。芳賀の爺さんの話を掻い摘もうとしたとき、入口が開いて、彩ちゃんが顔を出した。

「おはようございます。今日は寒いですね」

まだ10月の内だというのにコートを着込んで、手袋までしていた。

「寒がりなんだ?」

と聞くと、

「はい。冬は苦手」

と、ピンクに染めた頬を緩ませて、微笑んだ。こんな女の子の前で食人の話はできないよなあ……。先輩に目配せし、話題をいったん打ち切ることにする。


 昼休憩時、彩ちゃんを連れて外に出た。先輩は奥さんの手弁当だし、事務所を空にするわけにはいかないんで、1人で居残ってもらっている。だいたいはこのパターンで、俺は彼女とのプライベートな時間を楽しんでいた。

 4つ年下の彩ちゃんが今年の4月に配属されたとき、人手不足の事務所で先輩と陰気な顔を付き合わせる毎日を送っていた俺は、彼女をどう扱っていいかわからず、最初は会話を避けてすらいた。女に免疫がなかったわけじゃない。特に、口うるさかったり、ウツ気味で気遣いが必要なタイプには、身内柄、精通していたと思う。彩ちゃんは、むしろそういう要素のまったくない娘で、明るくて賢いし、優しいし、可愛いしで、完璧すぎて馴染めなかった。そんな俺に、警戒心のない彼女から積極的に近づいてくれて、仕事を通し、良好関係を構築していった。

 ……恋人とかいるのかな。ものすごく気になってはいるが、聞いて肯定されるのもショックなので、未だにその課題には手をつけないでいる。

 昼食には事務所のそばの喫茶店を選んだ。ここは窓が大きくて、太陽の熱がよく入る。少し眩しいけど、窓際の席を取った。まだ暖房のかかる季節じゃない。寒がりの彼女にとって居心地の良い場所が、ここしか思いつかなかったんだ。

 「水嶋センパイって、神様とか宗教とかに興味あるんですか?」

着座してすぐ、彩ちゃんはそんな質問を投げてきた。

「え? なんで?」

彼女とその手の会話をした覚えのない俺は、記憶を辿りながら聞き返した。

「なんとなくです。ほら、お姉さんのマンションの話のとき、すぐに『幽霊』とかって発想してたでしょう? 神秘的なものに興味があるのかなと思って」

大きな瞳を輝かせながら、彩ちゃんは付け足す。

 俺は少し考え込んだ。『神秘』とか『空想』とかは、興味の範疇じゃない。むしろ現実的な理屈を大事にする方だ。

「幽霊だと思ったのは、人間と仮定するには無理があったからだよ。普段は、そういうご都合主義な発想はしないよ」

そう伝えると、明らかに彼女は不満そうな顔をした。

「そうなんだ……」

「?」

どういう答えが望みだったのかな?

 注文を済ませた後も、質問は続く。

「神社とかに行くのも……嫌い?」

ねだるように言われると、なんだか無下(むげ)にするのも可哀想な気がしてきた。

「そういうのは神秘とはまた別の話。寺なんかにはわりと立ち寄るよ。土地の由来を調べるのが好きなんだ」

寺社は初期の頃から人間の生活圏に置かれることが多い。だから、創建時の謂れなんかを調べると、思わぬ歴史を知ったりする。でも、彩ちゃんは、

「お寺じゃなくて、神社、です」

と依怙地にこだわった。……意図がよくわからない。

「何かの宗教に興味があるか、ってことを聞いてんの?」

強引にでも思い当たるのは、彼女がある種の信仰にハマっていて、その話をしたがっているのかということだった。

「う……その……。そういうの、嫌いだったり……します……?」

言いにくそうにテーブルに視線を落とす様は、図星だと見ていいんだろう。

 ……彩ちゃんが宗教かあ。そういえば、彼女の誠実な性格とか、他人との関わりの深さなんか、ちょっと特殊な気もするな。

「嫌いってほど、よくは知らない。ただ、少し警戒は持ってる」

俺は正直に答えた。新興宗教の脅威は見聞きしている。彩ちゃんがその類いの宗教に心頭していたとしても、同調する気にはなれなかった。ただ、彼女の成り立ちを見ると、全否定する気は起こらない。だから、

「彩ちゃんが好きなものを非難する気はないよ。今の君から変わってほしくはないからさ」

とフォローも入れておいた。

「そういうことじゃ……」

まだ彼女は納得しない。なんだろう。もっと積極的に勧誘されたほうが良かったかな?

 うだうだと煮え切らない呟きを繰り返す彩ちゃんの前に、ランチメニューが運ばれてきた。華奢な体のわりに大食いの彼女は、

「えっと……今はいいです。今度、また続きに付き合ってください」

と表情を一変させて、嬉しそうに箸を握った。

 まだ続くのか、この話題は。……ま、でも、見てて面白いから、いっか。


 事務所に戻り、午後の仕事を手早く済ませて定時を待った。先輩は解析済みの映像を持参してきていた。彩ちゃんの退社を待って、再生する約束になっている。

 簡単に説明してもらったところによると、ビデオには、はっきりとした『異変』は映っていなかったようだ。録画したのは、姉貴が就寝する23時から朝までの7時間ほど。問題の時間も稼働していたはずなんだけどな……。インターホンは鳴ったのかと姉貴に確認したら、

「鳴ったと思うけど、ここのところ神経質になってて、昼間でも幻聴が聞こえるのよ。だから、確信はできない」

と答えられた。精神的に参ってきてるんだろうか……。

「お疲れさまでしたあ」

と、にこやかに帰る彩ちゃんを見送って、先輩を急かした。事務所にある37インチのテレビにPCからケーブルを繋ぎ、

「7時間は付き合ってられないから、先に送るぞ」

と2時間ほど再生をすっ飛ばす。午前1時頃の映像が大写しになった。

「何も見えないですね」

思っていた以上に闇の濃い処理画像に、少し、がっかりする。

「室内灯を消すか。そのほうが目が慣れる」

先輩は立ち上がって、入口横にあるスイッチをフル消灯した。


 音のない黒い画面が延々と流れていく。監視カメラにはマイクがついていない。時折、白い帯が現れて画面が揺れた。その時だけ、わずかに背景の固形物が浮き上がる。

「アナログのノイズ除去は難しいな。ブロックノイズならある程度は行けたんだが」

言い訳する先輩が咥えた煙草の火が、暗い室内に火の玉のように浮いていた。

「ブロックノイズ?」

聞き返すと、

「モザイク」

と返ってくる。

「普段、何のビデオを解析してんだよ?」

つっこむと、

「そういう指摘を受けるから、彩っぴを先に帰したんだろうが」

と低い笑い声が響いた。

 30分ほどが何の変化もなく過ぎた。確かに、目の慣れのせいか、背景が認識できるようにはなった。玄関ドアの上部に取り付けたカメラは、向かい側の高さ1.5メートルほどのコンクリート塀に向いている。塀の上辺が、真っ直ぐな横線となって、画面の中央を切り裂いていた。

「何か動きましたね」

塀の向こう側の風景に当たる闇の中で、俺は、手招きのような仕草を見せる物体を見つけた。

「でも、人間の動きじゃないような……」

それは単調な動作を繰り返す。前に倒れ、後ろに倒れ、また前に戻る。

 先輩は黙ったままだ。

 俺はまた注視を再開した。白っぽい色をした、本当に、ちょうど人間の掌ぐらいの大きさだった。他のパーツは見えない。塀の向こうに、にょきっと腕だけ出している。そんな印象だった。何だろう……。

「……最初に、うちの妻が気づいた。それ、ススキじゃねえか?」

先輩が奇妙に抑えた声で指摘した。

「ああ、なるほど」

俺も納得した。マンションの周囲、特に共用廊下の面する裏手は一面のススキ野原だ。そうやって見ると、不思議な光景でもなんでもなかった。

「疑心暗鬼で見ると、それらしく見えるもんだな。正に『正体見たり枯れ尾花』だ」

自分の網膜がいかに信用に値しないかを知って、苦笑する。

「案外、インターホンが鳴ったのだって、風で何かが当たっていたのかもしれない」

ビデオに映る深夜の時間帯が、ススキの穂を揺らすほどの風を伴っているのだと知って、そうこじつけることにも成功した。

 先輩は黙ったままだ。

 俺の導いた答えに不満を持っているのが、ありありと感じられた。でも、他にどんな解釈があるだろう。何かを見落としているか、俺?

「お前のお姉さんの部屋、マンションの高層階じゃなかったか?」

意味ありげな声音で聞かれて、俺は、暗室の中、首を縦に振った。

「そうです。3階にある」

高層というほどではないが、あのマンションの最上階に位置する部屋だった。質問の真意を掴もうと先輩を見返ると、テレビ画面からの僅かな反射に映えた黒い顔が、無言で顎をしゃくる。

「もういっぺん、しっかり画像を確認してみろ。お前がおかしいと思わないんなら、それでいい」

「……」

 少し巻き戻し、言われたとおり、もう1度、テレビを凝視する。黒い画面の中央やや上部寄りに、コンクリート塀の上辺が映っている。コンクリート塀が真っ黒な障壁となっている向こう側、マンションの敷地の外に当たる場所で、白っぽい植物の穂先が、よく見ると大量に揺れている。

「……遠近感がちょっとおかしいですね」

本来なら、3階から地面に生えたススキを見ているのだから、もっと小さく感じてもいいはずだ。

「でも、ここまで暗い動画だと、おかしいとも言い切れないなあ。脳が勝手に錯覚してるのかもしれないし」

自分の感覚に、自分で反論してみる。と同時に、日のあるうちに見た姉貴の玄関先の光景を反芻した。3階から見下ろした場所にススキの原は見えていたか。……見えていた、と思う。

「もっとはっきりとした……例えば、いるはずのない子どもがいたとか、骸骨やミイラが立っていたとかいう証拠が出てほしかったんだけど」

理想を呟くと、先輩が、やっと自分の意見を口に出した。

「俺も奥さんも、その遠近感には引っかかりを覚えたよ。でも、俺たちは現場に行ったことがねえからな。お前がそれほど違和感を感じないんなら、大したことでもないんだろう」

「違和感を感じたとしても状況の説明ができませんよ。姉貴の部屋がススキの原っぱの真ん中にワープしたとでも思ったんですか?」

俺は笑って、先輩の疑問を杞憂とした。


 そのとき、いきなり事務所の入口あたりから、第三者の声が聞こえてきた。

「あの……何やってるんですか……?」

入口脇のスイッチに手をかけたまま、点灯をためらっていたのは、もう30分以上も前に帰ったはずの彩ちゃんだった。俺は、反射的にテレビを消した。

「なんだ、まだいたのか」

先輩も所在無げに腰を浮かしてから、彩ちゃんにスイッチを入れるように指示する。

 明かりがついた。蛍光灯のちらついた光線が目に染みる。彩ちゃんが近づいてきて、俺の隣に放ってあったビデオの空パッケージを持ち上げた。

「これ、なあに? 仕事のビデオ?」

どうやら、俺と先輩で勉強会を開いていたと勘違いようだ。向上心の強い彼女は、新人だからと、残業を免除したり、講習から外したりすると、逆にいじける。

「違うよ。いたってプライベートなもん」

俺がやんわりとパッケージを取り上げると、猜疑心の拭えない視線で見返された。

「男同士の鑑賞会っていやあ、わかるだろうに。お前も見たいのか?」

先輩が迷惑なほど絶妙なフォローをしてくれたお陰で、

「いえ、いい、いらない」

彩ちゃんは真っ赤になりながら、俺たちから距離を取った。……こうやって評価が堕落していくんだろうな、俺……。

「んで、なんで戻ってきたんだよ? 忘れ物か?」

先輩が聞く。俺がデッキからビデオを取り出している間も、それと平行して彼が2本目の煙草に火をつけている間も、彩ちゃんは、少し離れたところに佇んで、特に何をする気配もなかった。

「忘れ物じゃなくて……その……水嶋センパイを待ってたんです……」

縮こまったような仕草を見せながらそう答える彼女に。

 俺の思考は停止した。

 代わりに、先輩がニヤつきながら背中を叩く。

「良かったなあ、ミズシマくん。彩っぴが『君と2人で』帰りたいってさ」

「え、べ、別に約束してたわけじゃ……」

慌てて言い訳しかけたが、でも考えてみれば、約束もないのに待っててくれた彩ちゃんの心情は、充分に喜んでいいものだと思い直す。

「……ちょっと待ってて。すぐ支度するから」

自分のパソコンの電源を落としながらそう伝えると、ウィンドウの落ちていく画面の中に、弾けた笑顔で頷く彩ちゃんが映った。


 親父が他人を殺したと聞いたとき、俺は、俺にはもう誰かに好かれる資格なんかないんだと覚悟した。今まで、他人の好意に触れる機会が皆無だったわけじゃない。でも自分からそれを拒絶した。関わることで、周囲に親父の罪が知れるのが怖かった。非難され続けて、だんだんと狂っていったお袋のようになるのが怖かったんだ。

 それなのに……何故だろうな、彩ちゃんだけには、その冷え固まったガードを解くことができる。信頼、というのは、こういう感情のことだろうか。なかなか心地良い。


「お待ちどう。行こうか」

抑えてはみたが、どうしても浮かれる声で、俺は彩ちゃんの横に並んだ。先輩に挨拶したかったが、直前にかかってきた電話が深刻そうな様子なので、ジェスチャーだけ見せて帰ろうとする。

「待て! ……水嶋、お前に電話……」

突然、先輩が声を荒らげた。険しい表情で受話器を突き出す。

「え?」

戸惑うと、

「お袋さんから」

と補足が入る。それから、こう付け足した。

「お姉さんが隣人を刺したらしい」

意味が頭に入って来なかった。


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