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屍ケ台  作者: 小春日和
屍ケ台
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川根ケ台 11

 たえさんと、まず、この世界の話をした。

 先祖がこの土地に移ってきてからの苦労のこと。

 先住者に怯え、機嫌を取り、時には反抗しながら、関係を保ってきたこと。

 薬売りの存在が村を徐々に蝕んでいったこと。

 俺はほぼ聞き役に徹していた。言葉の少ない彼女が、時々、空を振り仰ぎながら語る凛とした声が、新鮮で、気持ちがいい。

 「人を薬にすることが禁止されたときは…嬉しかった…」

明治の法律改正で、食人が殺人と認められたときのことを、覚えているのだという。

「あたしの体がなくなってから30年ほどのことでした」

たえさんの説明に、

「それまで生きててほしかったな…」

と呟くと、辛うじて生存時の輪郭を保っていただけの薄幸な姿が、濃く実体化した。

 「もし、あたしが後の世まで生きて、また子を産んで、その子どもたちがお前さまの時代に残ったとしたら、お前さまと会えたでしょうか」

自分の子孫と俺が繋がるかもしれない、というだけで、幸福そうな笑顔を見せるたえさんに、俺も、心が満たされるのを感じた。

「…たえさんの子孫って、たえさんに似てるのかな」

長い睫毛を伏し目がちに下ろす美麗な風貌に、つい見とれる。

「似ていたほうがいいですか?」

と視線を上げる彼女に、

「うん」

と答えると、白い顔に朱が差した。


 夜はなかったが、本能のまま、睡魔に身を委ねる。

 寝込む前に、たえさんに頼んだ。

「もう夢は見たくない。…ごめん。疑似体験は強烈すぎて…」

その途端、朧ろな姿になった彼女は、

「はい」

と、萎縮した声を返した。

 子どもの首を絞めているときの空っぽの表情を思い出し、人間の臓器に噛みつく血まみれの口元を想像し、それから、男に組み敷かれて泣きながら抵抗しているたえさんを反芻した。

 もう見たくはない。でも、俺が拒絶したからといって、たえさんの経験が消えるわけじゃない。

「…やっぱりいいよ。伝えたいことがあったら、夢でもなんでも、入り込んできてくれて」

そう言うと、薄い輪郭が崩れて、俺にまとわりついてきた。


 屍ケ台の夢じゃなかった。闇に包まれたマンションの部屋にいる。ミナミの家のほうだ。

 たえさんは寝入っているミナミの隣に座り込んで、暗い表情をしていた。それから、黒い粒子になって、ミナミの身体を取り巻いた。

 少女が徐々に欠けていき、たえさんの中に取り込まれていく。そうやって、夜毎、少しずつ、たえさんはミナミを削っていた。屍ケ台の住人として迎えるために。自分のそばに置くために。

 部屋から外に出て、異世界に帰ろうとしたたえさんの前に、サチが立っていた。共用廊下の常夜灯の下の姉貴は、くっきりとした存在感で、たえさんを睨んでいた。

 たえさんが怯んだ隙に、ミナミの生命力が肉体へと戻っていく。落胆したたえさんは、姉貴の威圧に圧されるように、姿を消した。

 サチが自ら自分の家のインターホンを鳴らす。

「何やってんの?」

と問いかけると、

「体のほうが覚醒してくれないと、元に戻れない」

と答えた。


 場面が切り替わった。 

 次でも、たえさんはミナミに執着して、連れ帰ろうとしていた。

「それしか考えられなかったから」

と、今のたえさんが言い訳する。この寂寥な世界で、人恋しさを、彼女なりに解消しようと必死だったんだろう。

 サチが邪魔をし、たえさんが諦める。と思ったら、今度は、たえさんは、姉貴のマンションに入り込んできた。顔に狂気の笑みが張りついている。

 玄関先には俺がいた。青白い顔をして、強張った手でドアノブを握っている。

 ああ…。姉貴の家に泊まった時のことなんだ、これ。

 たえさんは足を止めて、俺の真横に座り込んだ。歪に曲がる表情を俺の顔に近づけ、ゆっくりと、明確に、唇を吊り上げる。

 今さらながら、背中がぞくぞくとした。たえさんは、姉貴と、それから居合わせた俺をとり殺そうとしていた。

 部屋の中に親父の声が響く。野太くて強烈な意志が、俺とサチの名前を呼んだ。

 たえさんは慌てて逃げ出した。


 「ごめんなさい…」

(うつつ)との境で、たえさんが謝る。

「いいよ…。気持ちはわかるから…」

動揺はしていたが、そう答えた。

「あたしの骨を捨ててしまってください」

と彼女は言い出した。

「あたしにはもう力がありません。お前さまから離れたら、すぐに消えてしまいます」

寝ている体を強引に動かしてポケットを探ると、確かに、たえさんの骨は掌に収まるほどに縮んでいた。

「…それって、成仏するってこと?」

前に感じた危惧を確認すると、たえさんは困ったように首を傾げる。

「じゃあ却下」

そんな結末が欲しくて、ここに残ったわけじゃない。


 目を覚まして、水筒を1本飲み干した。空腹感が麻痺した代わりに、やたらと喉が渇く。

 運んできた8本のうち、昨日の時点で4本が消えていた。後、3本。動けるうちに補充しておくべきだろうか。

 いや…。

 俺の中に投げやりな感情が沸き上がっていた。たえさんを満足させて、死者の楽園に送り出す方法が見つからない。俺は彼女からミナミを取り上げた。俺まで離れてしまえば、たえさんは孤独の中、完全に無になってしまうかもしれない。

「…水がなければ、もつのは3、4日…」

残った水筒の中身をぶちまけてやろうかと思って…やめた。俺は帰らなきゃならない。


 今日のたえさんはしっかりと生前の姿を保っていた。

「その格好を維持するのって、エネルギー使うんじゃないの?」

ちょっと心配になって聞くと、たえさんは、

「『えねるぎい』?」

と反復した。あ、いけね。

「つまり…力を使うと、また、たえさんがすり減っちゃうんじゃないのか、ってこと」

答え直してから。

 生きてきた時代の違いを実感して、なんとなく可笑しい気分になった。

 俺、今まで、彼女のことを、やっぱりどうしても人間とは見られなかった。屍ケ台に巣食っている亡者、と、極端に言えば、認識していた。だけど、こんなふうにコミュニケーションを取れるたえさんは、過去に実際にいた人だ。俺との違いは何もない。

 「死んだ姿でお前さまの前に出たくないので…」

たえさんがはにかんで答えた。胸が痛くなる。


 「たえさんって結婚してたんだよな?」

純粋に彼女のことが知りたくて、質問を繰り返した。

「はい。おっとうが守ってくれました」

ちぐはぐな答えに疑問符が浮かぶ。

 たえさんには5人の家族がいた。父親と母親と妹が2人。6歳違いの末子は、15になったばかりの時に、当時16だった土地主の息子の慰みにと連れていかれたそうだ。

「あたしたちは家畜のようなものでした」

と遠い目をするたえさんに、

「…他の家族は?」

と聞くと、

「残った妹は、おっかあと一緒に、生まれたばかりの子を連れて集落から逃げました。途中で捕まったと聞かされましたが、本当はよくわかりません。おっとうは、肩身の狭さから、外働きに出ずっぱりになって…。辻の見回り役人に殺されました」

野盗を重ねるという行動に走った父親には覚悟があったんだろう。集落に戻った一刻の間に、一族の男とたえさんの祝言を強引に挙げさせたのだという。

 「…たえさんの窮地の時に、旦那は何をしてたの?」

夢の中で、たえさんは夫が稼業に出ていることを説明していた。だから、彼女が追い詰められていることを知りようがなかったのかもしれない。…とは思うけど、心情的には納得できない。

「あの人の子どもを殺してしまったあたしに、会いに来るわけがありません」

たえさんは寂しそうに呟いた。

「それはたえさんのせいじゃないだろ」

むかついた気分のまま反論すると、彼女は微かに笑って、頭を下げた。


 また骨が小さくなった。

 ポケットの中で、知らない間に消えてしまうんじゃないかと不安になって、常に手の中に握っていることにした。

 たえさんの存在が無くなることが、もし成仏という形になってくれるのなら、俺は喜んで彼女を手放しただろう………か…。自分の感情がわからない。単純に、たえさんがいなくなることが怖い気もする。…いや、怖いだけだ。喜べる余裕なんかない。


 現代に帰ることと、ここでたえさんと一緒に滅びることとを、天秤にかけるようになった。俺のやりたいことはどっちなんだろうか…。

 サチとミナミの顔を思い浮かべる。姉貴はミナミのこれからをサポートしてやれるだろう。俺抜きでも。

 お袋の顔を、少しだけ思い出す。でもすぐに忘れた。

 会社は…もう代わりの社員が入っている。何も気にする必要はない。


 親父の声が聞こえた気がした。間違った方向に進む俺を咎めている。

 無視した。今度は俺自身で結論を選ぶ。


 いつの間にか水筒をすべて空にしていた。立ち上がって、充分に衰弱していることを確認する。気づかないうちに相当の時間が経っていたんだ。もう外界に下りて汲み直すことは無理だろう。


 たえさんが泣きそうな顔で横に立った。俺の腕を握ってどこかに連れていこうとする。でも、実体の感触は何もなかった。手の中の骨は親指の先ほどになっていた。

「もう帰ってください…」

水の中から話しかけているような声が耳に伝わる。本心だとは思えなかった。

「嫌だよ」

拒絶すると、ほっとした顔をした。

 正直な表情に嫌悪感は湧かない。むしろ、そんなにも俺を求めてくれることに感激した。

 そろそろ腹をくくってみよう。


 その日。

 たえさんの骨はなくなった。

 俺も目を閉じた。ちょっと前から熱っぽかった体が、今は冷たくなっているのを感じる。

 「帰れなくてごめん」

誰に対して言ったのか、自分でも判別できなかった。ただ、ずっと待たせているような気がして、申し訳なく思う。

「…生まれ変わったら、また顔を見に行くから」

そう呟いた時、猫っ毛に丸い輪郭の笑顔が浮かんだ。

 …誰だっけ、この娘…。

 ああ、そうだ。

「彩ちゃんだ…」


 涙が止まらなくなった。

 やっぱり帰りたい。

 目的なんか見当たらないけど、ただ生き返りたい。

 誰かの意見なんかどうでもいい。俺自身が生きていきたい。

 「…たえさん、戻してくれ」

祈った。でも、たえさんは現れなかった。


 瞼の裏に穏やかな白光が広がる。

 光の輪郭が周囲を取り巻いた。

 暖かい熱が降り注ぐ。

 死んだのかな、と思った。意外と気分がいいもんなんだ…。


 目を開けて。

 驚いた。


 屍ケ台の風景が金色に包まれている。(むくろ)が黄金の粒子に変わって、ゆっくりと空に溶けていく。大地が形を崩して、温熱の固まりの中に放り出された。強烈に眩しい空間が押し寄せてくる。

 屍ケ台がなくなる…。それをぼんやりと認識した。


 耳のそばで、子どもが跳ね踊っているような身軽な音を感じた。首を巡らすと、なんとか確保した視界の中に、金色の人形がまとわりついているのが見えた。

「…今度は幸せになってくれよ」

声をかけると、粒子を撒きながら、母親と子どもの姿は高みに昇っていった。


 上を仰ぐと、快晴の空が広がっている。中空の太陽は冬の穏やかな陽を注いでいた。

 花の開ききったすすきが、人間の手のように指を曲げて、俺の周りで揺れている。


 「セっ、センパイっ?!」

声のしたほうを見ると、マンションの3階のコンクリート塀から、彩ちゃんが顔を覗かせていた。

「お姉さんっ。センパイが帰ってきました!」

大声で後ろに向かって叫ぶ彼女の隣に、サチの驚いた顔が並ぶ。

「遅いわよ、馬鹿っ!」

…相変わらずだなあ。

 大きく手を振って、

「ただいま」

と返した。


 空の上のほうで、子守唄が聞こえたような気がした。

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