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屍ケ台  作者: 小春日和
屍ケ台
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川根ケ台 8

 目覚めると、屍ケ台に戻っていた。

「よかった。戻れた…」

勇んで姉貴たちのところに行こうとして、違和感に気づく。視界が歪んでいる。大地が広く見通せない。

「…悪い方に戻ってる…」

愕然となった。女の骨を持って戻ったときに払拭されていた圧迫感が、今、また周囲を覆っている。

 一気に不安がせり上がった。彼女には、わかってもらったつもりだったが、想いを拒んだことで逆鱗に触れただけだったんだろうか…。このまま、姉貴たちと一緒に屍ケ台に閉じ込められちまったり…するんだろうか…。

 すぐそばで気配を覗かせる女に、

「…もしかして、怒ってる?」

と恐る恐る聞くと、粒子が輪郭を作って、細い肢体を生み出した。右腕が真っ直ぐに伸びて、ふやけた景色の中の丘を指さす。

「…あれって、最初に姉貴とミナミを見つけたあたりじゃ…?」

確認すると、答えずにまた拡散していった。

 行けってことだよな?


 歩きにくい感覚に舌打ちをしながら近づく。移動させた箇所に2人はいなかった。まったく状況がわからない。すでに生き返っているなら嬉しいけど…。

 丘を間近にして、姉貴の身につけていたエプロンの薄水色が目に飛び込んできた。やっぱりここに戻ってたんだ。でも、なぜ?

 近づくと。

 話し声が聞こえ始めた。


 「ミナミちゃん、もう泣かないで。泣くと水分が体から抜けちゃうの。だから、もう泣かないで」

姉貴の諭すような声には、力が残っていなかった。

「もう少しがんばろう。がんばって、もう1度おうちに帰ろ。おばさん、ミナミちゃんの好きなご飯、たくさん作ってあげるから」

嗚咽混じりの言葉に、慌てて走り寄ると、姉貴がミナミを強く抱きしめていた。

「ね。元気になって。返事して」

繰り返す励ましに、でもミナミは反応しない。涙の筋をつけた顔は、緩く口を開けたまま、機能を停止していた。

 俺は姉貴の目の前にしゃがんで、どう言葉をかけようか迷った。

 そして、それが必要ないことに、すぐに気づいた。サチは俺をまったく見なかった。

 「…これもミナミの回想の一つなのか?」

女に聞くと、空間から腕だけ伸ばして俺の首に巻き付いてきた。

「今から…」

と、また抽象的な言葉を残す。苛立ったが、感情を抑えて、続きを待った。

 サチの目から溢れた涙は、最初、透明だったが、徐々に血混じりの赤いものになっていった。それに比例して姿勢が崩れていき、髪の毛が顔を覆う。

 我慢できずに、途中、何度も名前を呼んだり肩を揺さぶろうとしてみたが、生命力が抜けていくのをどうすることもできなかった。

 最後にゆっくりと口が開き、長い呼吸を吐いた後、サチは死んでしまった。

 …まだだ。この場から逃げたくなる気持ちを奮って、次の変化を待った。骨の女は、俺に必ず活路を与えてくれる。それを盲信することで耐えた。

 サチとミナミの肉体から、白い煙のようなものが抜けてきた。とっさに捕まえようとしたが、質量も何も感じずに、そのまま空へと逃げてしまう。それはふらふらと空中を漂い、そして方向を定めると、丘の側面に沿って離れ始めた。

 後を追っていくと、数十歩先に口を開けている洞へと辿り着く。2mほどの高さにある入口から、黒い粒子が誘っていた。姉貴たちの魂は、その中に飛び込んだ。

「ここに入れば、あいつらを取り返せるんだな?」

女に聞くと、背中を押された。

「くそったれ。もうちょっと親切なお膳立てができねえのかよ」

どこまでもこき使う屍ケ台の仕組みに、いい加減キレそうになった。


 真っ暗な洞の中は、あのマンションで起こった突然の闇と同質な空間だった。上下の区別さえつかない。自分が立っているのか浮いているのかも、よくわからない。

「…なんか日本神話みたいだな。先に死んだ(いざなみ)を迎えに行くために入った黄泉路のイメージだ」

あの世とこの世の境目に踏み込んでいる感覚を伝えると、闇と同化した女が、手を握ってきた。

「早く…」

「え?時間制限あるの、これ?」

この悪条件で急かされるとは思ってなかった。急がないと、姉貴たちは蘇生できなくなるんだろうか。


 彼女の先導の仕草はたおやかで優しかった。でも、ついていくのはかなり難しかった。集中していないと、手の感触を見失うからだ。

「抱きつかせてくれたほうが安心できそうだ」

うっかり零すと、胸の辺りにすり寄ってきた。

「ごめん。冗談」

慌てて引き離すと、名残惜しそうに、俺の手を自分の頬に擦りつけた。

 …こんなことに動揺してる場合じゃないんだけどなあ…。内心喜んでる自分を自覚して、気を引き締める。

 黒一色とはいえ、夜のような静寂は、ここにはない。粒子の流れるザラザラという音が耳障りだった。

「この粒…っていうか、霧…は、動いてないと駄目なもんなのか?」

答えを期待しないで尋ねると、

「魂だから」

と彼女は言った。

「へ…え…。…い、今、霊魂に囲まれてるって…こと?」

居心地の悪さに、思わず手で周囲を払うと、意外なことに、笑い声が応えた。

「…あんたって笑うんだ?」

なんだか楽しくなって、そう指摘すると、また、俺の腕に身を寄せる気配を感じた。今度は拒絶せずにおく。


 神経を使っているせいで、時間が長く感じた。足の疲れ具合からしたら、でもそうは歩かなかっただろう。

 突然、雑音に紛れて子どもの声が聞こえた。かなり大きい。しかも喚いているように甲高い。

「もう…ないで…帰らな…ミナミ…」

切れ切れの言葉に応答するサチの声も、激高していた。

「いい加減にしなさいよっ!戻れないってのが死ぬことだって、わかんないの?!」

 そうか…。こうやって引き止めてくれてたから、姉貴とミナミの肉体は完全に終わらずに済んだんだな…。

 感謝と同時に、こんな状況でも変わらないサチの性格に苦笑した。やっぱり、こういうしぶとい奴は長生きしないと。

 声は近くなったり遠くなったりした。不安定な存在の姉貴たちは、今、俺の手を握っている彼女と同じような距離を保っているのかも知れない。そばにいると思ったら、急に消える。慌てて探すと現れる。

「姉貴!おーい!」

呼びかけるこっちの声が聞こえないのも、同じ原理なんだろう。

 ミナミの声がすぐ傍らに現れた。

「ミナミ、もう帰らない!お母さんを殺しちゃったんだもん。帰れない!!」

サチの声が、俺と重なるぐらいの位置から怒鳴り返した。

「あんな母親が死んだぐらいで、ミナミちゃんまで死んじゃうのはおかしいでしょ!なんなら私が育ててあげるわよっ。夜9時以降は一切叱らない。この条件なら生き返る気になる?!」

不毛な言い争いに、伝わらないとは知りつつも、

「間部アリサは死んでないよ」

と思わず口を挟んだ。


 会話がピタリと止まった。ミナミの、叫びかけた声を飲み込む息遣いを感じる。

 …もしかして、俺の声が聞こえた?

 「…お母さん、死んでないの…?」

女児の震える声が尋ねた。

「うん」

コミュニケーションが取れたことに感動しながら、俺はミナミのほうに手を伸ばした。

 闇の中で、俺の指から黒い粒子が伸びるのがはっきりと見える。その先に、少女の驚いた顔と、呆然としたサチの姿が浮かんだ。

 サチがハッとしたような表情で、

「な、泣いてないからねっ」

と顔を逸したのが、らしかった。

「今さら遅いよ」

こっちも緩み始めた涙腺を必死にごまかした。


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