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屍ケ台  作者: 小春日和
屍ケ台
20/25

川根ケ台 7

 血で汚れた掌を、また粒子が侵食し始めた。

 …どこへ連れていかれても、もういいや。自分が人間を刺したという朧気なショックと、アリサのような母親がいる世界に住んでいたという嫌悪感に、力が抜けた。可哀想な子どもも、もう見たくない。

 現代も、屍ケ台の大地と似たようなもんだ。救いがない…。


 周囲から景色が消えた頃、近づいてきた女の手が、俺の頬に触れた。そのまま首をなぞって、服の中に入ってくる。

 このスキンシップは、甘えの一種なのかな…。明確な意図がわからず、俺は、戸惑ったまま、手を抜こうとして。

 …驚いた。

 体温の低い滑らかな皮膚を想像していたが、彼女の感触は、干からびてささくれだったミイラのものだった。

 ああ、そうか…。

 「…牡丹燈籠って怪談、知ってる?」

聞いてはみたが、答えが欲しかったわけじゃない。女の霊魂に魅入られた男が、とり殺される話をしたかっただけだ。

「俺…あんたに好かれたってことなのかな…?」

絶望感に涙が出てきた。こんなところで、負の感情にまみれたまま、俺はこの女と共存していくんだろうか。

 女が、俺の脇に身を寄せて、腰に腕を絡ませてくる。漆黒だと思っていた長い髪は、惨めに抜け落ちて頭蓋を晒していた。

 気持ち悪い、と本音では思った。

 …でも、その頭を撫でてやった。

 こんな姿で執着してくる彼女を、畏怖の感情だけでは見られなかった。

「…さっき、元の世界に帰るって言っただろ」

声をかけると、黒ずんだ薄皮を張りつかせた顔が、俺を見上げる。

「そこで、また、あの回想を繰り返す気?」

せめて、その行為だけでもやめさせたい。

「俺が一緒にいれば…思い出すことも…その、減るのかな?だったら」

このままとり殺してもらっていいよ、と続けようとして。

 やめた。

 「あのさ、俺、…恋人、いるんだ」

彩ちゃんのことを、そう断言していいものかは、正直、微妙だったけど、わかってもらいたくて引き合いに出した。女は、感情を現す表皮を失った顔を歪める。

「だから、やっぱり帰りたい。自分のことばっかりで悪いけど…」

彼女が寂しがった気がして、罪悪感が湧いた。でも、目を逸らして続ける。

「後な、姉貴も一緒に連れていきたい。サチはこんなところで死んでいい人間じゃないし」

アリサや、アリサの母親のような醜怪な人間が跋扈する現代に、姉貴の正義感は必要だろうと思えた。

「それから、ミナミ…。あの子も、もう1度やり直しをさせたい。あんたが見せてくれた実情を知ったら、このまま人生を終わらせるのは悔しいだろ」

完全に諦めていた少女の復活を、今さら望むのは後ろめたいような気もしたが、ミナミだけ遺体で連れ帰るのは、もう願い下げだった。

 女の表面がゆっくりと変化していき、白い肌に無垢な瞳をはめ込んだ造作ができあがる。

 唇に朱が乗ったところで、彼女は身を起こし、俺に口づけをしてきた。

 ぎょっとしたが、抵抗するよりも、思い通りにさせてやろうと、そのまま応えた。

 頭の中では、必死に本性を思い出す。彩ちゃん、ごめん。これは浮気じゃないから。


 制御も虚しく、理性が溶けかけたところで、衣擦れの音がした。目を開けると、半身をはだけた彼女の乳房が目に入った。慌てて引き剥がす。

「ちょ、ちょっと待って。それはまずいっ。俺、カノジョいるんだって!」

…潤んだ目で見返す視線が…痛い。

 そりゃ…。つい、逸した視線をこっそりと戻した。透けるような色白の肌に、丸みを帯びた肩。その下には、思いの外、ふくよかな膨らみがあって、肉厚で柔らかそうな腹部に繋がっている。

 急に空腹感を思い出した。

「…食欲と性欲って…似てるよな…」

何も考えずに『食っちまおう』かとも思ったが…。

 やめた。どっぷり後悔しそうだ。


 彼女の着物の襟を合わせ、もう1度、頭を撫でる。

「子ども…探してやるって言っといて、まだだったな」

母親としての自覚を取り返してもらいたくて、そう言った。そして、

「姉貴たちのそばに戻してくれ」

と頼んだ。

 彼女は黙って俺の顔を見ていたが、やがて、腕を差し出す。

 細い指が俺の手首を握った。その部分から真っ黒な粒子が沸き上がって、体内に侵入してきた。また意識が暗転する。


 


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