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屍ケ台  作者: 小春日和
現代
13/25

異界との接触 4

 「センパイ、こっち」

先を行く彩ちゃんの輪郭が、光の粒子みたいに揺れていた。

「もうすぐ玄関ですから。足元、気をつけて」

先導に礼を言って、記憶の中にある敷居を跨ぐ。

 結局、彩ちゃんの車で病院に連れていってもらうことになった。俺としては、そんなことより彼女を1晩独占したかったが、

「わたしの顔、早く見たくないですか?」

と説得されて、仕方なく腰を上げた。

 はっきりとした背景は、依然、掴めないものの、朧な雰囲気はイメージできる。たぶん今の俺は、目が見えないんじゃなくて、目に見えているものが認識できないだけだと思う。

 彩ちゃんの輪郭が沈み込んだ。コンクリートの土間で靴を揃える音がする。

「靴、履けますか? 履かせたほうがいい?」

俺の右腕を取って誘う彼女に、

「大丈夫だよ」

と笑ってから、そういえば、いつもこの言葉で感情を押し込めてきたな、と思い返した。

「……やっぱりよくわからないや。誘導してくれる?」

頼むと、彼女の手が俺の左手に触れた。

「あと1歩前へ出て……」

慎重に引っ張る心遣いが嬉しくて、つい。

 彼女を引き戻して抱きしめた。

「……外に出て、今のいい気分を壊したくない」

そう甘えると、彩ちゃんはじっとしたまま、恐らく俺を見上げていた。それから伸び上がって、軽く唇に触れてきた。

「……だめです。もう、センパイは……」

叱っている口調の中に、笑い声が混じってる。

「だって、ずっと好きだったからさ」

まったく抵抗なく、そう言えた。

 彩ちゃんの腕が首に巻きつく。今度は俺からキスをした。瞼の裏に穏やかな白光が広がる。


 風が強くなってきた。玄関の鉄扉に空気の塊がぶつかって、どんどんと音を立て始める。誰かが乱暴にノックをしているような響きだ……、と思った。

「……今、何時?」

危機感を抱いて、彩ちゃんに尋ねると、

「えっと……2時」

身を離しつつ、そう答える。

「そっか……」

偶然? 時刻も一致してる……。


 彩ちゃんを部屋の中に押し返し、靴を履いた。ドアノブを握って聞き耳を立てるが、異音は聞こえない。

「……どうしたの? センパイ、怖い顔……」

不安そうな声が背中にすがりつく。

「別にどうもし……」

ない、と安心させようとしたが、これがいけないんだな、と反省して、前言を翻した。

「ごめん。説明をすっ飛ばすのは悪い癖だな。インターホンの件、話しただろ? あれ、今と同じような状況なんだ」

できるだけ恐怖感を抱かせないようなイントネーションを心がけたが、それでも彩ちゃんの緊張が伝わる。


 ゆっくりとドアを開く。狭い隙間から激しい冷気が流れ込んできて、甲高い音を立てた。

 コンクリートの共用廊下には誰もいなかった。常夜灯は相変わらず切れたままだ。それでも完全な闇というわけではなかった。正面の塀の向こうに、花の終わりかけたススキの群生がなびいているのが見える。

 ほっとして、まだ室内にいる彩ちゃんのほうを振り向きかけた。

「何もいない。大丈夫だよ。病院に行こ……」

 ………。

 ………。

 ……視力が戻ってる……。


 改めて完全な外に身を置いて、もう1度、周囲の景色を見回した。羽虫の死骸のこびりつく機能を停止した電灯。剥き出しのモルタルで白く浮き上がった廊下。背の高い塀の向こうに迫る荒涼とした枯れ野原。

 大丈夫。おかしなところはない。たまたま回復しただけだ。外気が刺激を与えたのかもしれない。

「治ったよ、彩ちゃん」

あえて嬉々として言ってみた。そうだ。喜ぶべきことだ。重苦しい気分に見舞われることはない。

「え? ほんと?」

彩ちゃんの声も弾んでいた。外に飛び出して、笑顔を見せてくれる。

 はずだった。

 正常に戻った俺の世界の中で、今度は彼女が見えなくなっていた。黒い雑な粒子の塊が寄り添うのを、俺はぼんやりと、彩ちゃんだと認識していた。


 「センパイ……」

彩ちゃんの声が泣きそうに震えた。粒子の一部が俺のほうに伸びて、体に触れた途端に霧散する。

「消えちゃだめ……っ」

今度は『全身』が俺を突き抜けていった。

「彩ちゃ……!」

彼女が砕けたのかと思って、俺も思わず声を荒らげた。

 散らばった破片が背後でゆらゆらと再生する。

 わずかの時間を置いて、粒子が床に拡散した。嗚咽が聞こえる。泣き崩れる彩ちゃんの姿が容易に想像できた。


 なんとなく塀の向こうに目をやると、かさついた手を空に掲げたたくさんの亡骸が、無造作に転がっているのが見えた。3階から見下ろしているはずなのに、その異界がすぐそばに感じる。

 『姉貴の部屋がススキの原っぱの真ん中にワープしたとでも思ったんですか?』。以前、先輩に言った自分の言葉を思い出す。


 そうか……。

 溜息が出た。あの底のない暗闇は、この前兆だったんだな……。


 姉貴と間部ミナミは、この塀の外にいるんだろう。自然にそう理解した。屍ケ台の『住人』に引っ張られたんだ。

 そして俺も……。『姉貴と代わる』と宣言したことを、今さら思い出す。

 彩ちゃんの傍らに座って、触ることもできなくなった存在を、少しの間だけ悲しんだ。

 それから、声だけでも奪わないでくれたことを、『神様』に感謝した。

「見合いの相手、いい奴だった?」

聞くと、彩ちゃんは顔を上げたようだった。

「俺の時みたいに、ちゃんと大事にしてもらうんだぞ」

言い含めて、立ち上がる。


 塀の上に体を持ち上げ、対面の大地を見下ろした。固い岩盤は広大で、一目では見渡せない。

「でも、こん中にいるんだよなあ、きっと」

もう、探すしかないだろう。

 深呼吸をして。

 俺は屍の大地に飛び降りた。


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