異界との接触 2
どれぐらいの時間が過ぎたのか……。気がつくと、すべての怪現象が収まっていた。ゆっくりと振り返った俺は、足から力が抜けるのを自覚しながら、へたり込んだ。
室内に異変はない。電灯が、若干、光を薄くした気がしたけれど、恐怖を誘うほどの暗さは感じなかった。
手を、見た。砕いた骨の感触が、またありありと残ってる。ただ痕跡はない……。
幻覚? いや……。こんなに鮮明な白昼夢を見るほど、俺は参ってはいないはず……。
「……屍ケ台、か」
強い風に晒された屍の群れを想像した。この土地に住んだ野盗たち、それに芳賀さんの先祖たちに、殺されて、食べられた彼らは、成仏することができたんだろうか。人間の恨みは、たかだか150年ぐらいで風化されるものなんだろうか。
いや……、と考え直してみる。食われたのが俺だったら、この世にそんなに執着はしない。貧しい時代だったんだ。誰かの犠牲は仕方のないことだったんだ。
「……姉貴が『犠牲』になるのは……嫌だな……」
現実と史実の境目があやふやになってきた。床の絨毯に目を落とすと、乾いた台地の光景が広がった。
行商の薬売りを案内する村人が、戸板の上のミイラを指差す。
「女のは珍しいでしょう。腹ん中も全部残ってますよ」
長い髪を残したままのそれは、口を大きく開けて、生きて帰りたかった未練を全身で表していた
「胎児はないのかね?」
薬売りが尋ねると、村人は首を振った。
「もう生んじまった後です。子どもの方は、ほら、隣に」
体が震えだした。耳を塞ぎたい。なのに指が痺れて、うまく動かなかった。呼吸が気道の入り口でUターンして酸欠を起こす。
姉貴は妊娠していたんだろうか。それで、他人である間部ミナミに対して、あんなに親身だったんだろうか。
失くしたものの大きさに愕然とした。親父が減り、お袋が半病人になった後の、やっと祝福できる家族の存在が、誰かの胃袋に収まっているなんて……。
「……俺が代わる、代わるからっ……。だから姉貴を返してくれよっ……」
会話する2人に何度も訴えた。が、反応は、ない。
……夢か。起きているつもりだったが、目を開いた自分を自覚して、眠っていたことを認識した。
どこまでが現実だったんだろう。壁を見上げると、傷を確認することができる。
やっぱり夢だけじゃ……ないんだ。いや、むしろ現実に耐え切れずに意識を落とした、というほうがしっくり来た。この部屋は繋がってる。過去の屍ケ台の次元と。
「……んなこと……」
あるわけない、と言えなかった。もしかしたら姉貴は『あっち』にいるのかもしれないんだから。
未だに震える足を叱りつけ、立ち上がって台所に向かった。コップの水を一息で飲んで、なんとか落ち着く。
「冷静になろう」
自分に対して説得する。
「冷静になって、固定観念じゃなく、可能性だけ考えるんだ」
言い聞かせる。
屍ケ台はこの場所にあった。それは事実だ。死者を粗雑に扱ったこの土地が、現代、何の制裁も受けずにいるとは……考えてみれば都合のいい話だ。以前から、何らかの『こういう現象』があったのかもしれない。
問題は、なぜ姉貴の家に、突然、兆候が現れたかってことだ。もともと幽霊の出る部屋に住んでしまった、というならわかる。でも姉貴が引っ越したのは4月だ。すでに半年以上経っている。
そうなると、きっかけは、やはり、間部母娘に関わったこととしか思えない。ミナミはアリサから『お前なんか要らない』と言われていた。母親しか慕うものがない女児には辛い言葉だろう。その強い負の感情が、正常な世界を飲み込もうとする屍の台地とリンクしたとしたら……。
「姉貴についてきてほしかったのかな……」
ミナミの心情を思うと、その結論が出た。怒鳴り散らす母親を巻き込むことをしなかったミナミは、その代わりに、自分に心を砕く姉貴を連れていったのかもしれない。
上着を引っ掛けた。どうすればいいのかなんてわからない。ただ、部屋に籠っていても解決はしないと思う。
勢いで外に出ようと玄関に向かったとき。
インターホンが鳴った。