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屍ケ台  作者: 小春日和
現代
10/25

異界との接触 1

 ゴトン、という音がして目が覚めた。何かが落ちたのかと思ったら、床に転がっていたのは俺自身だった。たしか居間の簡易座卓にもたれかかって寝ていたはずだ。

 ビール、何本飲んだっけ……。プライベートな空間で酒を飲むのは初めてだった。アル中の親父の癖を嫌って自宅にはその類いが置かれない。

 姉貴が帰ってくるまでに空き缶を片付けないと大目玉を食いそうだ。そんなことを思ってから、

「馬鹿馬鹿しい」

と口に出した。姉貴が帰ってこないから、やりきれなくて、こんなことをしてるんじゃないか。


 天井の照明が眩しくて手をかざした。指の輪郭から溢れた光が、妙に躍動感を伴って見える。……だいぶ酔ってるな、俺。彩ちゃんが光の中から手を差し出しているように錯覚してる……。

 見合いはうまく行ったんだろうか……。相手の男が、長身のシルエットとなって頭に浮かんだ。

 俺よりもランクの高い『好き』が、彼女の意識に芽生えている気がして、悔しさに歯噛みした。


 猛烈に眠かった。通常の睡眠欲以上のだるさが襲ってくる。酒のせい……だけ、だろうか。なんだか、正常な空間の向こうから誰かに引っ張られてるみたいだ……。

 正気を放棄してしまいたい欲に駆られる。

「まだ駄目だっ!」

俺はあえて大声を出し、強引に起き上がった。まだ『あっち側』には行けない。俺がいなくなったら、やっと繋いでいるお袋と姉貴の関係が崩壊する。

 トイレに行って、胃の中の物を全部吐いた。胃液の苦い味が口に広がったところで、やっと、はっきり目が覚める。


 気分を変えるためにシャワーを浴びた。風呂から出ると、また強い欲求が駆け上がってくる。冷蔵庫を覗くと、6本パックで買った缶ビールが、あと2本を残すだけになっていた。

「ずいぶん飲んだんだな……」

俺はそれらを持って行って流しに捨てた。目に付くと、また口に入れそうだ。


 居間の絨毯に転がって天井を見る。室内でもすでに寒い季節に入っていた。眠気覚ましにはちょうどいい。

「姉貴が帰ってこなかったら、ここも解約か」

現実的な発想が、抵抗なく口を突いた。

「カイさん、再婚するのかな。すぐにでもしそうだな、あの人」

苦笑して、天井から目を背け、横を向く。感情が湧いてこない。カイさんや姉貴やお袋の存在が、紙みたいに薄く感じた。

 諦めかけてるんだな、俺も……。


 「涼二!」

突然、耳元でそう叫ばれた気がして、俺は跳ね起きた。

「……?!」

誰もいるわけはない。ベランダに続く窓のカーテンを開けて、眼下の駐車場を見回したが、聞き間違えるような騒ぎも起きていなかった。

 もう1度、部屋の真中まで戻って座り込む。……姉貴の声……ではなかった気がする。が……。

 ぞくっと寒気が背中を駆けた。虫の知らせ……という現象が、思考を占拠する。

 小さな痛みを感じて見ると、掌に血が滲んでいた。知らずに拳を握りしめていたせいで、爪が皮膚を抉ったらしい。


 最悪の想像に耐え切れずに、俺は栄生さんの連絡先にダイヤルした。すぐに本人が出た。

「あの……姉貴の行方なんですが……」

しどろもどろで尋ねると、栄生さんは同情的な声で、

「手がかりがなくて……」

と言葉を濁した。

「たぶん……もう死んでます」

なぜ、こんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。栄生さんは驚いた様子で、

「水嶋さんだけには、そういうことを言ってほしくないんです」

と諌めてきた。


 電話を切り、立ち上がって天井を見上げた。照明が眩しくて、闇を溜める隅に目を転じる。一瞬、姉貴の顔を見た気がした。土気色に強張り、白く変色した唇を固く結んでいた。

 俺は思わず手近にあったビールの空き缶を投げつけた。高い金属音を響かせて、ひしゃげた缶が転げ落ちる。

「うるさい!!」

壁の向こうからヒステリックな女の声が聞こえた。いけね、騒音……と慌てて壁に駆け寄ってから。

 ……再度ゾッとした。壁の向こうは間部アリサの家だ。無人のはずだ。


 声はまだ続いていた。どうやら俺に対して言ったのではなく、家内でやりとりをしているらしい。

「なんでいつもいつもいつもいつも! 言われなきゃできないのよ、あんたはっ!!」

若い女の声がヒステリックに叫ぶと、子どもの泣き声が重なる。

「ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい」

「謝るなっ! 謝るぐらいなら出て行って! あんたなんかうちには要らないんだから!」

子どもの声が号泣に変わる。

 ……何だ、これは。なぜ虐待が再現されているんだ……。

「あんたがいるおかげで、あたしがどれだけ不幸だと思ってんの?! あんた、人を不幸にして楽しいの?! なんで生まれてきたのよっ!!」

鈍い殴打の音が聞こえた。子どもの声が小さく、くぐもった。厚い布越しのような悲鳴が上がる。

 俺はまたカーテンを開けて、今度は窓も開け放した。ベランダ越しのほうが、よりはっきりと状況がわかると思ったからだ。

 けれど、その途端、音は止んだ。壁越しにも静寂しか伝わってこなくなった。


 玄関を出て隣家を確認する。キープアウトのテープは剥がされている。ためらった末、インターホンを押してみた。もしかしたらアリサが帰っているのかもしれない。

 でも出てくる気配はなく、外から窺える限り室内は無灯だった。


 自室に戻り、呆然と壁を見つめた。夢だったのかと思ったが、小さくついた新しい傷は、俺が投げた缶のせいだ。

 そのとき、床が傾いた気がした。横揺れの地震に見舞われているような不安定な感覚が、足元を()り上がる。思わず壁に手を着くと、冷たい平らな壁紙ではなく、ささくれた細い固形物に当たった。驚いて、つい力を入れると、それは掌の中で簡単に砕けた。白い、脆い質感の棒。骨だ……。


 背後に強い風が吹いた。冷や汗が吹き出る。振り返ることができなかった。漂ってくる身を冷やすような臭いには覚えがあった。親父の死臭……。


 ……そうだ。思い出した。

 首にくっきりと残った痣を不思議がって、当時、小学生だった俺は、姉貴にこう言ったんだ。

「お父さん、首吊ったみたい」

姉貴は泣きながら、

「うん。お姉ちゃんが絞め殺したの」

……姉貴にしてみれば、そんな気持ちだったんだろう。


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