第9話 集落は、もう一つではない
朝の空気が、少しだけ騒がしくなっていた。
辺境ヴァルデンの集落。
これまで聞こえていたのは、風の音と、畑を耕す鍬の音だけだったはずだ。
――だが、今は違う。
「……人、増えてますよね」
集会所の前で、カイルが周囲を見回しながら呟いた。
「ええ」
私は、頷く。
集落の外れ。
これまで空き家だったはずの建物に、煙が上がっている。
見慣れない顔。
荷を背負った家族連れ。
ここ数日で、確実に人が増えていた。
「近隣の集落からですわね」
「噂が、動き始めています」
――税を肩代わりする女。
――働いた分だけ、報われる土地。
――命令されない集落。
辺境では、十分すぎるほど魅力的な話だ。
だが。
(増える、ということは……)
私は、集会所の中へと足を運ぶ。
そこでは、グラントが帳簿を広げ、ミレーヌが簡易魔導具の調整をしていた。
最近では、彼女も人前に出ることを厭わなくなっている。
「現状を、整理しましょう」
私の声に、二人が顔を上げる。
「人口は、三割増」
「食糧は、今のところ持ちこたえていますが……」
グラントが、渋い顔で続ける。
「このままでは、冬を越す前に限界が来ます」
「住居も、足りません」
ミレーヌが淡々と補足する。
「仮設なら、何とかなる」
「でも……効率、悪い」
私は、しばし考える。
人が増えるのは、成功の証だ。
だが、成功は次の問題を連れてくる。
(拡大は、制御しなければ破綻しますわ)
私は、ゆっくりと口を開いた。
「力が足りないのではありません」
「問題は――仕組みです」
グラントが、眉を上げる。
「仕組み、ですか?」
「ええ」
「誰が、何をして」
「どこまでが責任か」
これが曖昧なままでは、人は不安になる。
「ここは、まだ“集落”です」
「ですが――」
一拍、置く。
「これ以上は、ただの集まりでは保ちません」
カイルが、腕を組む。
「……領主、という形を取るおつもりですか」
「いいえ」
私は、首を横に振る。
「それは、王国の土俵です」
「同じ形を取る必要はありませんわ」
私は、手帳を開く。
そこには、簡単な線と文字が並んでいた。
「最低限、必要なのは三つ」
指を一本立てる。
「一つ」
「“契約”を管理する場所」
二本目。
「二つ」
「争いが起きたとき、話し合う場」
三本目。
「三つ」
「成果を分配する、明確な基準」
ミレーヌが、小さく頷く。
「……理屈、通ってる」
「軍は?」
カイルが問いかける。
「今は、不要です」
私は、はっきりと言った。
「外から奪いに来るほどの価値は、まだない」
「ですが――」
視線を、窓の外へ向ける。
「内側が崩れる方が、よほど早い」
その時、集会所の外がざわついた。
「……何か、ありました?」
グラントが立ち上がる。
外に出ると、数人の住民が集まっていた。
その中心にいるのは――見慣れない女。
年の頃は二十前後。
旅装だが、布地は上質。
隠そうとしても、滲み出る“社交界の匂い”。
(……来ましたわね)
女は、私を見るなり、深く頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします」
「私、クラリッサ・ベルモンドと申します」
その名に、グラントが僅かに反応する。
没落したとはいえ、貴族の名だ。
「噂を、聞きました」
「ここには……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「逃げ場があると」
私は、彼女を真っ直ぐ見つめる。
「逃げ場ではありませんわ」
「“居場所”です」
クラリッサは、驚いたように目を見開いた。
その表情を見て、確信する。
(この人は……使える)
感情が顔に出る。
だが、嘘は下手ではない。
そして何より――
ここに来る勇気がある。
「詳しい話は、中で」
私は、踵を返した。
「あなたが“何を失って、何を求めているのか”」
「それを聞いてから、判断します」
背後で、クラリッサが小さく息を呑む気配がした。
集落は、もう一つではない。
人が増え、問題が生まれ、そして――
新しい歯車が、また一つ、盤上に置かれた。
(第二章……始まりましたわね)
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