第2話 悪役令嬢は、すでに知っている
王都の城門を抜けた瞬間、空気が変わった。
高くそびえる城壁が背後に遠ざかり、代わりに視界を占めるのは、舗装の荒れた街道と、冬の名残を残す冷たい風。
馬車の揺れが、これまでの生活との断絶を静かに告げていた。
――国外追放。
その言葉の重みを、私は噛みしめることもなく、淡々と受け止めている。
(改めて考えても……ずいぶん分かりやすい筋書きですこと)
前世の記憶。
それは、私がこの世界に生まれ変わった理由のすべてだった。
ここは、乙女ゲーム『ルミナス・グレイス』の世界。
私は本来、ヒロインをいじめ、断罪され、破滅する悪役令嬢――レティシア・フォン・ヴァルクレイン。
婚約破棄。
公開断罪。
国外追放。
すべて、シナリオ通り。
ただ一つ違うのは。
(私は、結末を“回避”する気などありませんでしたわ)
馬車の中で、私は膝の上に置いた小さな手帳を開く。
そこには、細かな文字でびっしりと書き込まれた記録があった。
――破滅ルート一覧。
――没落貴族家名簿。
――将来有望人物リスト。
――失敗する国家政策。
誰にも見せたことのない、私だけの設計図。
多くの転生者は、運命を避けようと足掻く。
ヒロインに媚び、王太子に取り入り、善人を装う。
けれど、それは愚策だ。
悪役令嬢は、悪役令嬢の立場だからこそできることがある。
――“失うものがない”という、最大の強み。
婚約者という地位を失う?
公爵令嬢としての立場を失う?
結構ですわ。
どうせ、最後には失う運命だったのですもの。
(ならば、それを“最大効率”で使い切るだけ)
追放宣告の瞬間、私はすでに確認していた。
王家と結んでいた契約。
商会との独占取引。
使用人たちの雇用契約。
そのほとんどが、私個人を名義としたものだった。
――公爵家ではなく。
――王太子でもなく。
レティシア・フォン・ヴァルクレイン個人。
それが意味することを、王都の誰一人として理解していない。
馬車が揺れ、御者が声をかけてくる。
「お嬢様……いえ、レティシア様。まもなく、街道の分岐に入ります」
「ええ。分かっていますわ」
これから向かうのは、追放先として指定された辺境。
名目上は「国外」だが、実態は王国の最外縁。
資源はある。
だが、管理されていない。
人も、制度も、すべてが放置されている土地。
(理想的ですわね)
私は、ふと視線を上げる。
馬車の前方。
御者席のすぐ後ろに、もう一人の影があった。
護衛騎士。
無言で、しかし一切の隙を見せず周囲を警戒している。
カイル・フェンリス。
辺境出身の若い騎士で、実力はあるが、家柄がなく昇進できない男。
本来なら、数年後に戦死する運命だった人物。
「……まだ、降りなくていいのですか?」
私の視線に気づいたのか、カイルが低く問いかける。
「ええ」
「あなたには、これからも護衛をお願いしたいのです」
彼の目が、一瞬だけ揺れた。
「ですが……私は、王都付きの騎士では――」
「分かっていますわ」
私は微笑む。
「だからこそ、です」
忠誠ではなく、恐怖でもなく。
私は“選択肢”を与える。
「あなたは、ここで王都に戻ってもいい」
「あるいは――私と来るか」
辺境。
追放令嬢。
不確かな未来。
普通なら、選ばない。
けれど、彼は知っている。
王都に戻っても、自分の居場所はないことを。
数秒の沈黙の後、カイルは片膝をついた。
「……お供いたします」
「レティシア様が行かれる先が、どこであろうと」
(ええ。最初の一人、確保)
私は心の中で静かに頷いた。
人は、支配すれば離れる。
だが、選ばせれば、残る。
馬車は、ゆっくりと進路を変える。
王都とは反対方向へ。
その頃――。
王宮では、祝杯が上がっていた。
問題は解決した。
邪魔者は消えた。
誰一人として気づいていない。
今この瞬間、王国は――
最も重要な歯車を、自ら手放したということに。
私は窓の外を見つめながら、静かに呟く。
「大丈夫ですわ」
「王国は、まだ何も知らないのですから」




