第12話 逃げてきた令嬢
クラリッサ・ベルモンドは、その日、珍しく早起きをしていた。
集会所の一角。
即席とはいえ、書類と帳簿が並ぶ机に向かい、黙々と筆を走らせている。
(……本当に、変な場所)
心の中で、そう思わずにはいられなかった。
貴族でも、平民でも、元奴隷でも。
ここでは、同じ机を囲み、同じ言葉で話し合う。
王都では、あり得ない光景だ。
「……慣れましたか?」
不意に声をかけられ、クラリッサは肩を跳ねさせた。
振り向くと、そこにはレティシアが立っている。
「え、ええ……まあ」
曖昧に笑ってごまかす。
「まだ、夢みたいですけれど」
「夢なら、覚めますわ」
「現実なら、残ります」
レティシアは、淡々とそう言った。
クラリッサは、一瞬だけ言葉に詰まる。
その言葉が、妙に胸に刺さった。
「……王都の話を、しましょうか」
クラリッサは、意を決したように切り出した。
「あなたが去ってから」
「王都は……静かに、おかしくなっています」
レティシアの手が、止まる。
「具体的には?」
「物流です」
「医療用の魔導具が、遅れ始めています」
クラリッサは、机の上に小さな紙片を置いた。
そこには、社交界で囁かれている噂が書き留められている。
「表向きは、商会の都合」
「でも……裏では」
一瞬、言葉を選ぶ。
「“あなたがいなくなってから”という声が、増えています」
沈黙。
だが、レティシアは驚かない。
「そう」
それだけだ。
「それと……」
クラリッサは、少し声を落とす。
「聖女セラフィナ様についても」
「奇跡の頻度が、落ちているそうです」
ミレーヌが、近くで魔導式をいじりながら顔を上げた。
「……理屈、合う」
ぽつりと呟く。
「魔導供給、外部依存」
「切れたら、出力不安定」
クラリッサは、ぎょっとして彼女を見る。
「え、えっと……」
「今のは……?」
「気にしなくていいですわ」
レティシアが、さらりと流した。
「で、あなた自身は?」
「なぜ、ここに来たのですか」
クラリッサは、唇を噛む。
「……私は、王都で生き残れませんでした」
率直な告白だった。
「笑顔で噂を流し」
「裏で切り捨てる」
「そんな場所で、味方を作れなかった」
自嘲気味に笑う。
「だから……逃げました」
「あなたのようには、なれなかったから」
レティシアは、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、静かに言う。
「それは、違いますわ」
「……え?」
「あなたは、逃げたのではありません」
「“選び直した”のです」
クラリッサの目が、揺れる。
「王都で生きるか」
「ここで、生きるか」
「どちらも、選択肢でした」
「あなたは、後者を選んだ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「……そんなふうに、考えたこと、ありませんでした」
「だから、ここにいます」
レティシアは、淡々と続ける。
「ここでは、失敗も含めて、経験です」
「あなたの“社交界での失敗”も、価値があります」
クラリッサは、思わず笑った。
「……ずいぶん、優しい評価ですね」
「事実ですわ」
その後、二人は具体的な話に入った。
王都の商会の動き。
貴族たちの温度感。
王太子アルベルトの焦り。
「王国は……あなたを、まだ“脅威”とは見ていません」
「せいぜい、“厄介な存在”程度」
「十分ですわ」
レティシアは、迷いなく答える。
「脅威と認識された瞬間から」
「彼らは、全力で潰しに来ます」
「今は……」
「今は、成長する時間です」
その言葉に、クラリッサは深く頷いた。
その日の夕方。
集会所に、外からの来訪者が現れた。
粗末な外套を纏った男。
だが、姿勢と目つきは、兵士のそれだ。
「……王国の人間です」
カイルが、小声で告げる。
男は、名乗らなかった。
ただ、こう言った。
「上からの指示だ」
「税の確認に来た」
レティシアは、一歩前に出る。
「確認なら、書面で」
男は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……後日、正式な者が来る」
それだけ言い残し、去っていく。
空気が、張り詰める。
クラリッサが、息を呑んだ。
「……来ましたね」
「ええ」
レティシアは、静かに頷く。
「“外”が、こちらを見始めました」
逃げてきた令嬢は、もう逃げない。
ここは、ただの避難場所ではない。
やがて――
王国と向き合うための、舞台になる。
クラリッサは、背筋を伸ばした。
(……ここでなら)
(もう一度、やり直せる)
そう、確信しながら。
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