第1話 断罪の舞踏会
※これは断罪から始まる物語です。
ですが、主人公は泣きません。
剣も振るいません。
魔法で国を吹き飛ばしもしません。
彼女が使うのは――契約です。
支配ではなく、取引で。
これは、
悪役令嬢と呼ばれた一人の令嬢が、
市場で王国を揺らすまでの物語。
王宮の舞踏会は、今宵も華やかだった。
無数の燭台に灯る光が磨き上げられた床を照らし、宝石と絹が織りなす色彩が、音楽に合わせて揺れている。
――だが。
その中心に立つはずの私、レティシア・フォン・ヴァルクレインの周囲だけが、奇妙なほど静かだった。
公爵令嬢。
王太子アルベルト殿下の婚約者。
次代の王妃と目されていた存在。
その肩書きを持つ私の周囲には、本来なら笑顔と追従が溢れているはずだ。
しかし今夜、貴族たちは一様に距離を取り、視線を逸らし、あるいは囁き合っている。
……ええ、分かっていますわ。
この空気。
この視線。
そして、この沈黙。
(来ましたわね)
私はグラスに口をつけながら、静かに息を吐いた。
予定より、ほんの少し早いだけ。
やがて、音楽が止まる。
不自然なほど唐突に。
会場の中央へと進み出たのは、王太子アルベルト殿下だった。
その腕に縋るように寄り添っているのは、白いドレスを纏った少女――セラフィナ・リュミエール。
聖女。
この国が「奇跡」と呼ぶ存在。
そして、乙女ゲームにおける本来のヒロイン。
「皆、聞いてほしい」
アルベルト殿下の声が響く。
緊張に満ちた、しかしどこか高揚した声。
「本日をもって、私は――レティシア・フォン・ヴァルクレインとの婚約を破棄する」
ざわり、と空気が揺れた。
視線が一斉に私へと集まる。
同情、好奇、期待、そして安堵。
誰もが「そうなるだろう」と思っていた顔だ。
セラフィナが一歩前に出る。
潤んだ瞳で、か細い声を震わせながら。
「……レティシア様は、何度も私を貶めました」
「聖女である私が、殿下に近づくのが気に入らなかったのでしょう」
「ですが……私は、ただ皆さまを救いたかっただけなのです」
涙が一粒、床に落ちる。
完璧な演出。
反論する隙など、最初から用意されていない。
証拠はない。
だが、空気はすでに出来上がっている。
私は何も言わない。
言う必要がないからだ。
王が、ゆっくりと立ち上がった。
「レティシア・フォン・ヴァルクレイン」
「その方の罪状を鑑み、ここに裁定を下す」
玉座の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。
「――国外追放とする」
一瞬。
本当に一瞬だけ、息を呑む音が聞こえた。
そしてすぐに、安堵と解放の空気が広がる。
まるで、厄介な存在が消えることを祝福するかのように。
けれど。
私は、泣かなかった。
声も震えなかった。
静かにスカートの裾を整え、一礼する。
「……承知いたしました」
その一言に、アルベルト殿下が僅かに目を見開く。
想像していた反応ではなかったのだろう。
(ええ。想定通りですわ)
この断罪。
この追放。
この舞台。
すべて、知っている。
すべて、計算のうち。
顔を上げ、私は最後に一言だけ告げた。
「王家のご判断、確かに承りました」
「――ただし」
視線を、殿下と聖女に向ける。
「本日をもって、すべての“契約”は終了ですわ」
意味を理解できた者は、誰一人としていなかった。
勝ち誇った笑みを浮かべる王太子。
安堵の涙を流す聖女。
そして、何も知らない貴族たち。
私は背を向け、静かに会場を後にする。
馬車の中。
一人きりになった瞬間、ようやく小さく息を吐いた。
「さて――」
窓の外に流れる夜景を見つめながら、私は微笑む。
「始めましょうか」
――追放された悪役令嬢の、成り上がりを。
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