EP75 雨の約束(2)
その会議は長引いた。
議題は、主にリージョンMで『子供に発症する謎の奇病』――新薬開発について。
新薬はラットなど小動物での投薬実験を終えた段階だが、副作用の抑制が難しく、人体への投与は危険だという結論が繰り返された。
それでもリージョンMの医師団は、一刻も早い治療薬を求めている。
この病――“球骨腫”は、皮膚の下に骨のように硬い球体の腫瘍を作り、進行すればやがて死に至る。 手術でその都度取り除けば延命はできるが、転移の確率が高かった。
また、世間に公開されてはいないが、この病はどうやら「プラス因子」を持つ子どもに限られている。
(因子が原因なら、私の因子を使えば――)
その言葉はユイの喉の奥で止まった。
次期当主の因子は、当主の許可なく公にできない。
まして補佐の立場で、当主の席にあるはずの切り札を抜くわけにはいかなかった。
ユイは決定的な発言を控え、カイドウ家当主夫妻の返答を待った。
しかしタクマとアヤカはこの場での決定を避け、新薬の代わりに、症状の進行を遅らせる既存薬の手配を促すだけだった。まるで――答えがあるのに、時間だけを買うように。
ユイは先日ミカゲが放った台詞を思い出す。
――動きたいのに動けないって辛いだろ?
「動きたいのに動けないのって、確かに辛い。いまも苦しんでいる子供がいるのに……」
大きなお腹を撫でる。
もしもユーリがこの病気になってしまったのなら、この会議の有様をみて激怒するだろう。
ユイは小型端末の電源を落とし、ベッドサイドにあるテーブルの上に置く。
「ユイ、疲れてはいないか?」
マシューが声を掛ける。いまのその目は黒い。
「大丈夫……」
「二時間くらい休んだ方がいい、それくらいなら待てる」
「ごめんね」
ユイは枕元に携帯端末を置いた。
小型の四葉のクローバーのチャームが揺れる。
2時間後の目覚ましをかけて、ユイはベッドに横になる。
ユイが目を閉じ、静かな寝息が聞こえ始める。
そこでマシューはようやく安堵したように椅子の上で丸くなった。
―*―
2時間後、目覚ましの音で目が覚めたユイは、マシューを探す。
マシューは椅子から降りて、窓から空を眺めていた。
空には月が浮かんでいる。
そう言えばいつだったかユイはマシューに『月が綺麗だね』と言ったことがあった。
この言葉を、昔の人々は奥ゆかしい告白の言葉として使っていた時代があった。
「マシュー……」
「その名前はもう使わないほうがいい。だが俺の本質は名前が変わっても、何も変わらない」
ユイはその言葉をそのまま受け止めた。
窓の外はまた雨が降り始めた。その雨音だけが、静かな部屋に響いた。
―*―
明かりをつけた部屋。
周りはマリンブルーのように深い青に染まっている。
雨が窓を叩く音だけが聞こえる、深海の様な部屋。
ユイはベッドから体を起こし、携帯端末を手にする。
「あのね、さっき話していた“告げなければならないこと”って――」
マシューは窓辺からベッドサイドの椅子まで移動し、椅子の上に上がって待機姿勢で座る。
ユイと目線が揃ってから、マシューは慎重に言葉を選んで告げる。
「それは、俺の中に記録されたあるデータのことだ。これは、トミオ・ケイ・イサキが俺に記録させたものではない。俺自身が残す必要性を感じて記録したものだが、本当にこのデータを確認するか?」
その言葉をユイは静かに聞いていた。
「それは、私が知るべきだと判断したからだよね? それを今のタイミングで示すってことは……」
「ああ、消える可能性がある」
「……おじいちゃんに関わること、なの?」
「そうだ」
ユイは目を伏せ、またマシューのカメラアイを見つめる。
「教えて。全部受け止める、から」
「わかった」
マシューの目が青く光ると同時に、ユイの携帯端末にあるログが映し出された。
画面はアゼロン・カンパニーヘルプデスク、とある。
どうやらチャット画面のようだ、とユイがそのログを見返したとき。
文章の中に、ユイが映し出された映像があった。
「これ……あの時の……。暴走車に轢かれかけた時の……私の映像?」
ユイの声、携帯端末を持つ手が震えた。
ログを追いかけるうちに眼が涙で滲む。
ユイの中で。全てが繋がった。
「……おじいちゃんは管理者SZという存在に、何を渡したの……? でも、おじいちゃんの遺体にメスを入れた痕跡なんてなかった。 じゃあ複製……? もしかして……。ううん、そんなわけない」
マシューがユイから僅かに視線を逸らして告げる。
「トミオ・ケイ・イサキの遺体は火葬されていない」
「そんなわけない。だって焼き場でおじいちゃんを見送った……あの時の遺体は、まさか……」
(でも確かにおじいちゃんに触れたとき、おじいちゃんの身体は物凄く冷たかった)
「トミオはこの取引の後、アゼロン・カンパニーに足を運んでいる」
「……そんな。そんなのって……。私のために? 私がおじいちゃんにあなたを修理してって頼んだから……? それならどうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
ユイは涙を流しながら、マシューを見た。
その視線からマシューは逃げず、感情を排除した声で答えた。
「ユイは受け止められないと判断した」
「……そうだね、あの時の私にこんなこと受け止める力なんてなかった」
守られることが当たり前だった。
今はもう違う。
だからこそマシューはその封印を解くことを急いだ。
「……最後にもう一度だけあなたの名前を呼ぶね。今日までこれを守り続けてくれて、ありがとう、マシュー」
涙でぐちゃぐちゃな顔だろうと思う。
女王らしく在りたいのに私はやっぱり私で居たい。
少なくともマシューの前では。
「ああ」
しかしそれは許されないのだと、ユイは悟った。
手で涙を拭ってユイは管理者SZの名前を睨みつける。
「おじいちゃんの想いも……そして罪も、全部ひっくるめて私が、継ぐ。ユーリには渡さない」
その宣言を敢えて口にすることで、誓いがユイの魂に刻まれる。
ユイの中の女王像が明確になった瞬間だった。




