EP74 雨の約束(1)
カイドウ家本邸、3階。ユイの青い私室。
ユイはベッドで横になっていた。マシューから微熱があることを告げられる。
それなのにお腹の中のユーリは『お腹が空いた!』と元気に暴れている。
朝からずっと雨が降り続いていた。
このところ水源が枯れかけていると不安なニュースが流れていたから、どんどん降ってほしいとカイドウ家のメイドたちは喜びの声を上げていた。
マシューは窓辺でそんな雨降りの空を眺めていた。
その目が青いから何かのアップデート中なのかもしれない。
この時にマシューに呼びかけても、マシューは答えられないことが多かった。
無理をさせたくないから、名前は呼ばない。
でも、その姿が視界に入らないと切ない。
雨降りはそういう気分にさせる。なぜなら――。
ヒロトと一夜を過ごした翌朝を思い出すからだ。
―*―
「もう一泊しちゃう?」
と本気で考えたくなるほどの激しい雨だった。
ユイがそう問いかけたとき、驚きと共に彼は少し困った様子を見せた。
「癖になるから駄目!」
そう言いながら、本気で部屋を取ろうかどうか悩み出すのも彼らしかった。
「スイートでもいいので、空いてる部屋はないですか?」
とフロントに連絡を取り、全室満室だと分かった時のがっかりした顔……。
ヒロトはそんな可愛い人だった。
ユイがヒロトのことを思い出していると、果物の籠をもったアヤカが部屋にやってくる。
先日。
ユイは子供の名前をユーリと決めたこと、ユーリの父親のことをすべてタクマとアヤカに話した。
家族には知っておいて欲しかったからだ。
ふたりはただ黙ってユイの話を受け止めてくれた。
タクマはカイドウ家の総力をあげてヒロトを探し出すと言ってくれたが、ユイはそれを断った。
失踪には深い事情があるだろうし、エレナのことを思えば大事にもしたくない。
そう告げるユイに、アヤカはただ寄り添ってくれた。ユイはそれでいいと思った。
「あら、思い出し笑い?」
「はい、大事な人のことを思い出して」
アヤカはユイのベッドサイドに椅子を寄せ、座る。
ユイはアヤカが持つ果物の籠の中から、赤い果実を選ぶ。
アヤカは、ユイが選んだ果物の皮をペティナイフで器用にむき始める。
「ヒロトさんのことね」
「はい」
ユイは頷く。
「そう言えば、最近若者の間で、ファミリー・リングっていうのが流行っているんですってね。ユイとヒロトさんもそんなリングを検討したことがあるのではなくて?」
「ふふ、さすが情報通ですね。実は……」
ユイは過去を振り返る――。
ホテルで朝食を取っている時、RARUTOのラウルが流行のファミリー・リングを、一流ブランドメーカーで作り、妻に贈ったという話題が流れていた。
ファミリー・リングは結婚後に、一家の主たる存在が、家族に渡すアクセサリーだ。
このリングにはなにがしかの付与が1つだけ可能で、ラウルは自分の歌声をリングに込めて贈ったという。
「いいなぁ……」
そう思わず呟いてしまった。
推し活はもうやめたのに、推しの存在はやはり推しで――、相変わらずカッコいい。
「食事中に、よそ見は良くない」
そんなユイを見て、少しムスッとしだすヒロト。
普段ならそんなこと言わないのに。
意外と独占欲が強かったりするのかな?と思っていると。
「ファミリー・リングに興味あるの?」
と急に真面目な顔で聞いて来る。
その時は何も考えず、ユイは
「憧れてはいるかな」
と答えた。
「そうなんだ」
ヒロトのほうから話を振ったくせに、ヒロトは興味なさそうに流す。
だからユイもそれ以上その話はしなかった。
その話をユイはアヤカに話してみた。
「そんな感じでヒロトとは作れなかったの」
「……後悔してる?」
「うん」
アヤカは木製の小皿にむいた果物を乗せ、フォークと共にユイに手渡す。
その果実をユイはフォークを使って口に含む。
シャリシャリとした果肉の食感、甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。
「あの時、素直に一緒に作ろうって言えばよかったって。そしたらユーリに想い出を残せたのに」
「……そうね。でも……。いいえ、何でもないわ」
アヤカが何かを言おうとして言いよどむ。
その時、部屋をノックする音が聞こえる。
「ユイ様、ご歓談の中失礼致します」
「大丈夫。……フジナミ。入っていいよ」
ユイの返事を待ってフジナミが入室する。
手には先ほどユイがフジナミに用意をお願いした、小型端末を持っている。
「もう……。こんな時まで仕事をしなくてもいいのよ?」
呆れた声を出すアヤカに、ユイは静かに微笑んで告げる。
「ユーリを産んだら正式に当主になるのに、サボるわけにはいかないし。無理はしないですから」
「くれぐれも無理はしないでね?」
こんな時。何を言ってもムダであることをアヤカは知っている。
その様子をフジナミが笑顔で見守りながら、部屋を出るアヤカの代わりにアヤカが使っていたペティナイフなどを片付ける。
マシューはアップデートが終わったのか、アヤカが座っていた椅子の上に乗る。
最近マシューはこの椅子の上に待機姿勢で座ることが多い。
この椅子の高さが気に入ってるんだそうだ。
「マシュー、ユイをお願いね?」
「心得た」
マシューのいるカイドウ家の生活がすっかり当たり前になったなとしみじみ感じたとき。
その黒いカメラアイが、また青く光る。
美しいスカイブルー。
最後に見たルシー・フェルドの目はマリンブルーだった。
あの暗い青を、ユイはかつての美しい水色に戻せるだろうかと、考えた。
「……不安か?」
「うん」
ルシー・フェルドの新しい名前。
つまり、マシューの新しい名前は、まだ決められないでいる。
今日中に返事をしなければならないのに、だ。
「俺もユイに告げなければいけないことがある。だが、聞かないという選択肢もある」
「それはどうして? どうして私に選ばせてくれるの?」
「マスターのトミオ・ケイ・イサキから俺が受け取った指示は、『ユイを支える』と『ユイを守る』のふたつだけだ。俺が選択肢を出すのは、ユイがどちらの選択肢を選んでも支えることが出来ると確信があるからだ」
マシューはユイの目を見つめ、ゆっくりとした口調で告げる。
慎重に言葉を選んでいることがわかる。
「だが……この話題を今のユイに告げるのが正しいという確信は持てない」
ユイは少し驚く。
マシューが迷い、そしてそれを正直に打ち明けるなんて今までなかったから。
それほどまでにマシューが信頼を預けてくれていることに、ユイは小さな感動を感じた。
「……まずは目の前の仕事を片付けるね。そのあとでも良かったら、聞かせて」
「わかった」
ユイは小型端末の電源を入れる。
慣れた手つきで画面を映し出し、会議に挑む。
マシューは女王として画面に向き合い、堂々と意見を述べるユイの横顔を静かに見つめていた。




