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EP72 契約(2)

 そのあとは、淡々と契約書を確認してサインする事務作業に追われた。

 ユイの体調を最優先として契約は進められ、見かけ上は和やかな雰囲気が空間を支配した。


 一時間の休憩の間――。

 ミカゲは忘れ物を取りに行くと、カイドウ家を後にした。


「彼、そそっかしい所もあるのね。怖い若者だと思ったけど、可愛いところもあるじゃない」

「……あれは相当な切れ者だぞ。油断したら全部持っていかれる」


 夫妻の言葉に、マシューとミオンは顔を見合わせる。

 そのアンバランスさに、ユイは少し笑顔を見せた。 


「なんだろう、彼は時々本音がチラつくのが怖い。信じたものが覆りそう」

「そうなるように相手は誘導している。しかしユイは覆る手前でまた線を引く。良い傾向だ」


 そう告げるマシューはとても楽しそうだ。

 フィリア・オレンジティーを注ぎながら、ミオンがテンション高めに反応する。


「わかりますよ! ユイ様の絶妙なかわし、ワクワクしますもん!」


「んもう、私は必死なんだから!」

「必死な割にバイタルは安定しているぞ? 環境に慣れるのも早くなったな」


 マシューの言葉にミオンは腕組みをしてうんうんと頷いている。

 ユイは少し恥ずかしくなって、顔を赤らめた。

 口に含んだフィリア・オレンジティーのほのかな甘さを感じる。

 場の明るい状況にお腹のユーリも少し動く。

 僕も混ぜて! と言うかのように。


「ふふ、若い子が楽しそうにしているのを見るのは良いわね。わたくしもFOSを勉強しようかしら?」「FOSは難しいぞ? しかし奥深くてな……それを完全に理解しているとはな」

 

 タクマはお茶を嗜みながら、さり気なくユイを褒める。


「いいえ、本当の意味で私はFOSは理解できません」


 しかしユイはそれを俯いた状態で答える。

 

「そう今でも――」


 ユイは目を瞑って顔を天井にあげた。

 そして、迷いを吹き飛ばすように。

 主の居なくなった空席をまっすぐ見つめる。


「そんな私がちゃんと境界線を引けるのは、ルシー・フェルドしかいない。そんな彼にマシューが宿ってくれたら、もう私は何も怖くない。本当の意味で女王になれると思うんです」


 ユイは右手の印を見つめる。

 あの会議の後、ユイはアレンに“ミシルシ”について聞いた。

 カザム教では“世界の守護者”を導く存在にはこの“ミシルシ”があると言われている。

 “ミシルシ”が出るのは女性に限られ、他人に可視化できるものほど力が強いと言われているそうだ。

 それなら自分が“守られ続ける”のも、“失い続ける”のも納得がいく。

 納得できるのなら、後は受け入れるだけだ。


過激派組織(グライゼル)はユイを許さないぞ? まあ今更だがな……」

「いいえ、グライゼルは最初からわたくしたちにとっては敵ですわ」


(……どういうこと?)

 

 ユイの疑問がそのまま表情に現れたのだろう。

 言葉に詰まるタクマの代わりに、アヤカが答えた。

 ユイが襲われ、リエを失ったカイドウ家は、世界の悪グライゼルを相手に法廷で戦ったという。

 その結果、グライゼルの首謀者は司法によって裁かれ、極刑となった。


「かたき討ち……ってことですか?」

「そうね。リエさんはカイドウ家の正当なる当主の血筋だった。もっとも、当人はそれを望みはしなかったけど、それでもカイドウ家の重要な人物を殺めたことは、絶対に許すわけにはいかない」

「……ワシらにはこれくらいしか出来なかったがな」

「いいえ、十分です……。戦っていたのはわたしだけじゃなかったって分かって……」


 ユイの目から涙がこぼれる。

 

「……嬉しいです」


 アヤカが更に言葉を続ける。

 

「さっきね、ユイさんの口から家族と言ってもらえて、どれほど嬉しかったか」

「ああ……。本当にありがとう」


 タクマの目が少し濡れている。

 笑っているのに目には哀しみが渦巻いていた。


(……ああ、私は何もわかっていなかった)


 ミオンが鼻を啜って泣いている。


「奥様、旦那様。ほんとうに良かったですね……」


 明るい。本当に。

 胸の奥の、凍っていた場所が、ゆっくりと溶けていくほどに。

 カイドウ家はそんな家だったって、やっとわかった。


「ありがとう。みんなが支えてくれるのがわかります。だから、私も負けない」


 フジナミがミカゲの到着を知らせる。

 ――戦闘再開だ。


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