EP49 母親
ユイがリージョンRに向かった日から、三日後。
かつて入院した病院の産婦人科医の診察を受けた。
薄いアイボリーの壁とカーテンで区切られた、落ち着ける診療室。
妊娠5か月目に入ったユイは医師から説明を受ける。
その横には動物型AIドールのマシュー、カイドウ家現当主夫人のアヤカが寄り添う。
「ユイさんの産前検診の結果をお伝えします」
医師の落ち着いた声に、ユイはただ姿勢を正すだけだった。
そんなユイを見て、医師は少しだけ視線を和らげた。
「お子さんは、男の子です。出産予定日は……3月15日前後でしょう」
「……3月15日、ですか?」
3月15日と聞けば、大抵の親は眉を顰める。
歴史的大厄災の日であり、かつて過激派組織によって無差別攻撃事件があった日であるから。
「はい。あくまで健康的に出産することを条件に捻出した日付です」
「あの……。出産日をずらすことは出来ませんか?」
ユイは視線を自分の左手の甲に落とす。
視線を向けた先には何も見えないが、あの日祖母リエはこの左手首を掴んでユイを守った。
(今度は私の番、なの?)
「現在の医療では調整は可能です、しかしユイさんの場合は難しいかもしれません。」
「……どういうことかしら? わたくしは何度もやって来たわよ?」
それまで沈黙を続けていたアヤカが不意に疑問を投げかける。
「産前検診では、出産時の不測の事態に備えて色んな検査をするのですが、その中に因子検査、というものがあります」
「じゃあ……私と子供の因子が、出産予定日に関与しているんですか?」
「はい」
産婦人科医はここで声のトーンを敢えて低く出し、淡々と語り始める。
表情はAIドールのように変わらない。
それがユイにとってはとても残酷に思えた。
―*―
アゼリアでは、人は生まれながらに因子を持つ。それはその者の因果を決定づけるものだ。
プラスかマイナス、稀に中性。それ自体は日常に影響しないはずのものだった。
ただユイの場合だけは違っていた。
医師の説明によると――。
ユイの因子は、その稀有とされる「中性」の状態で保たれているという。
しかし更に特殊なのは、彼女が体内に「マイナス因子」も内包していることだった。
このような現象は前例がない。
本来、相反する因子が同時に存在すれば、細胞はその結合を失い、形を維持することができない。
だがユイの場合、中性因子の膜がマイナス因子を包み込み、その性質を抑えているのだという。
ちょうど、脆い卵黄が、薄い膜で守られることで形を保てているように。
医師はそれを「調節膜」と呼んでいたが、それは文字通り、命を繋ぐ薄皮一枚だ。
(私の因子は特殊なもの。だからそもそも構造が短命に出来ているってことなのかも……)
お腹の子もまた、稀少な「中性」の状態にあった。明らかに遺伝だ。
だが驚くべきことに、その中性因子の内側には「プラス」と「マイナス」、相反する二つの因子が同時に存在していた。それらが、調節膜によって隔てられ、一つの器の中で共存しているというのだ。
この説明にはアヤカさえも言葉を失った。
中性因子の人間でさえも、因子は一つしか持たないというのに異なる因子を同時に抱える。
「もはや奇跡としか言いようがありません」
ユイはそっとお腹に手を当てる。
(やっぱりあなたは、世界に祝福されて私に宿ったのね)
「だから、人為的に予定日を変更するより、自然に任せた方が赤子のためになる、そういうことね?」
「はい」
「わかりました、それなら変えません。他に何か気をつけることはありますか?」
「この因子の在り方は、細胞の維持に大きな負荷がかかると考えられます。おそらく、体を成長させるだけで精一杯なはず。そうなると、生命維持に必須ではない「生殖機能」は未成熟になってしまう。そういった可能性が多分にあります。」
ユイもアヤカもマシューも一斉にユイのお腹に視線を向ける。
医師の一言が重くユイにのしかかる。
その時、医師のデスクにあった急患信号が光る。
「すみません、少し席を外します」
医師はバタバタと診察室を出ていく。代わりに看護師が今後の診察の流れを説明する。
ユイは長い沈黙の後、ユイの背後に立ったアヤカを見上げた。
「帰りませんか?」
「そうね」
頭を下げる看護師に、アヤカが退出の意を告げる。
ユイはただ、一言……。
「無事に生まれると良いな」
と、白い廊下を歩きながら呟いた。
―*―
ユイはカイドウ家本邸に戻り、軽い食事をとったあと、アヤカの執務室を訪れた。
しかし彼女は不在で、メイドによれば墓地へ出かけたそうだ。
赤い絨毯の廊下をゆっくりと歩き、次は執事長の部屋を訪れた。
「フジナミ、スズランの花を用意して欲しいな」
白い髪を整髪剤で撫でつけ、黒い執事服を身に纏った老紳士に声を掛ける。
「はい、お召し換えが終わる頃にはご用意致します」
「フジナミはいつも仕事が早いね」
ユイはフジナミに微笑む。
その微笑みを視線で受け止めた老紳士――、フジナミは、通信機を手にユイに問う。
「運転手のほかに護衛もお付けしますか?」
「ありがとう。運転手だけで良いかな、護衛はマシューがいるから」
ユイはマシューを見つめ、マシューは沈黙したままそれに頷く。
その言葉のないやり取りをみたフジナミは、ユイに小さなイヤリングを手渡す。
それは小型の通信機だが、見た目は雫型の真珠のイヤリングにしか見えない。
「当主夫人からです。ユイさまが屋敷を出られるときにお渡しするようにと」
ユイはイヤリングを受け取り、左耳に付ける。
フジナミが手を叩くと、メイド達が直ぐに集まった。
「ありがとう」
ユイの声は少しだけ震えていた。




