EP32 境界線(1)
久しぶりにユイのマンションをレイラが訪れた。
ふたりで揃いのエプロンをして、共通の趣味であるお菓子作りをする。
トオルがアゼレウス社に入社する頃、レイラは美容関係の仕事を辞めてしまった。
そしてかつての職種に戻っていた。
何があったかはわからない。
けれど「理想は理想でしかなかった」と言う言葉から、ユイは理解できてしまった。
夢に向かって真っ直ぐ進んだとしても、後悔することもあるのだと。
完璧に見えたレイラが少しだけ回り道をする、その事実にどこか安心してしまう自分が嫌だった。
「ユイってさ……私がどんなに努力しても出来ないことが出来るのに、それに気が付いてないね」
「私が出来ることなんてたかが知れてるよ」
ボウルにいれた卵白をかき混ぜながらそんな話をする。
「ユイはもうちゃんと歩いてる。それが危なっかしいものだったとしても、前に進めてるんだよ」
「……ありがとう。レイラに言われるとちょっと嬉しい」
レイラはチョコレートを刻んでいる。
「どう? 合唱団ではいい感じ? 進展は?」
「うん、だいぶ慣れた。今、新しい曲は最近のポップスでさ、レイラも知ってるよ。RARUTOの――」
「あーー。私の聞き方が悪かった。分かりやすく言うわ。ヒロトとはどうなのよ?」
「どうって……どうもならないけど?」
ユイは部屋の隅に置かれた充電盤の上にいるマシューを見つめる。
マシューはどうしていつもそこに居るのだろう。
そんなに燃費が悪いようには見えない。
この充電盤にはAIの調子を整えるという機能でもあるのだろうか。
隣には、レイラのAIドールが正座した状態で座っている。
そのドールは愛らしい少年の姿。こんな珍しいデザインは、おそらくカスタムタイプだろう。
猫耳、黒い執事服。レイラの趣味が全開、ってところ。
それにしてもレイラが人型のAIドールを持つなんて。
しかも、護衛サポート型。なにかあったのだろうか。
「ラナン。ユイはあなたに興味津々みたい。よかったわね」
「それは光栄だけど。というかレイラ、包丁の扱い雑過ぎ……」
「ラナン君ていうの?」
「そそ」
「なんか私と似てない? 口調とか……」
「気のせいでしょ」
ユイがオーブンの温度を見る。
甘い香りが漂う中、ユイとレイラの共同作業が続く。
ユイはマシューとラナンに背を向けながら洗い物を始めた。
その横にレイラが並び、洗った器具の水分を取る。
「それでね、水族館に……行こうって」
「おおぅ。デートじゃん。確定じゃん。二人むつまじく……って、まさかマシューも一緒?」
「あ、うん。そのつもりだけど……」
ユイの言葉にレイラが深いため息を漏らす。
「ったく、あなたねぇ。逆の立場になって考えてみて? 好きな人の横にAIドールがいつもいて、相手がそのドールしか見ていなかったらユイはどう思う?」
「わからない。というか、どう答えていいかわからない」
「優先するのは“機械”ではなく“人間”であるべきなのよ?」
「分かってる」
「じゃあ、マシューを定期メンテナンスに出しなさい。回収じゃないわ、調整をするためのものよ」
「どうして今? そのうちで良くない?」
「定期的にするのが定期メンテナンスよ。早いほうが良いでしょ。マシューのためよ」
そう言われるとユイは何も言えなくなる。
黒い車の影を気にしてか、毎日厳戒態勢をとっているマシュー。
もしユイに何かあれば、自分のボディーを犠牲にするなんて事は平気でやるだろう。
次もマシューは修理が可能かどうかなんて分からない。
オーブンが余熱の完了を知らせる。
「わかった。メンテナンス、考えてみる。あと、デートも……」
「不安ならトオルと私も一緒に行こうか?」
(それは困る……)
「ううん、いい。公衆の面前であんなに熱々なのはちょっと」
「キスは愛の挨拶なの! ユイが奥手で古風なだけじゃない」
オーブンに生地を入れて素早く扉を閉める。
この手加減がクラシカルでユイは気に入っていた。
「おじいちゃんに似たのかなぁ」
「トミオさんは……、ダンディよ」
変な沈黙が流れ、ユイはそれ以上の言葉を失った。




