EP25 声
この世界には4つの大きなリージョンがある。
リージョンRは、北に位置する古くから栄えた大きなリージョンだ。
ユイが住むリージョンCからは、陸・海・空どの交通手段も利用可能だ。
マシューは、ユイにリージョンCの大きな運河からリージョンRを目指すことを提案する。
意外なことにルートが最速なのだそうだ。
マシューに頼んで水上タクシーの手配をして貰っている間、ユイは音楽フェスの問い合わせ窓口にアクセスし、チケット(座席)のグレードをアップさせた。
音楽バンド的なものを想像していたら、「合唱・管弦楽など」のフェスだったようだ。
(なるほどね。彼女が行きたがらない理由が何となくわかるかも)
行動のきっかけは押し付けられたチケット。
だけど流されたまま用意された席に収まるのは何かが違う。
自分が座る席は自分で選んだ物にしたい。
そんなささやかな決断にマシューも賛同する。
黒い総レースのロングワンピースに着替え、マシューと共に水上タクシー乗り場へと向かった。
小さな星が輝く夜。大きな運河を北上するのは気持ちが良い。
周りを見る。
動物型AIドールを連れている人も何人かいた。
彼らは水がかからないようドール専用のコートをAIドールに着せていた。
ユイはマシューにもそうしたコートを用意すべきだったと後悔するも、当の本人は。
「IPX8相当の防水性能だ」
と、なぜか誇らしい。
何でも、水深3メートルで30分は耐えられるのだとか。それなら今度プールにでも誘おうか。
(お爺ちゃんたら、どうしてそんなオプションつけたんだろう……)
護衛AIドールだから、必要と思ったんだろうか。
(もしかして耐性オプション全部付けたとか……。いや、流石にそれはないか)
そうして優美な曲線を描いた街灯が両岸に見え始めた頃。
幻想的な光に包まれたリージョンRの中心地の街並みが姿を現した。
リージョンRは”音楽の都”と呼ばれている。
音楽フェスは、美術的価値が高いと有名なコンサートホールで行われるのだ。
伝統的な石畳の道が何処までも長く続いている。
水上タクシーが目的地に着くと、マシューは開催場所までの最短ルートを案内する。
「本当にこの道で大丈夫なの?」
「当然だ。開演には間に合う道を選んでいる」
マシューに連れられ、地元の人間にしかわからないような迷宮路を歩く。
いつもの歩調で歩いたにもかかわらず、会場にはマシューの言う通り開演前に到着した。
「こんな謎のルートを着き進んでこの時間に着くなんて、流石マシュー……」
「うむ。護衛とは危険から主を護るだけではない。危険から遠ざけるのも護衛――」
「はぁ……ステキ! ちょっとドキドキしてきたかも」
目の前には、風の流れを彷彿とさせる優美な曲線を描く壁。
繊細な光を湛える巨大なガラス面。建築物それ自体が、静かに鼓動する芸術品のようだった。
そんな空間に引き寄せられるように、ユイはフラフラと入口へ進む。
「……そこは関係者用だ。ついてこい」
「はぁい」
各式の高さを醸し出す、上品な雰囲気のコンサートホール。
ドレスコードがあるのではないかと思ったら、カジュアルファッションの観客も居るようだ。
黒のワンピースにしてよかったと思いながら、ユイは席を探す。
黒の執事服を着た老紳士がコンシェルジュのようだ。
チケットを見せると、すぐに新しい座席のチケットと交換してくれた。
奮発した最高グレードだ。
「ええと……「C」の「04」って、あ。ここか」
目の前に広がる扇状のステージ。
左側には白いグランドピアノが置かれている。
(……あの時と、全然違う)
周囲を見回すユイ。
祖母のリエとRARUTOのライブに行ったときのことが脳裏に浮かぶ。
手を伸ばせば届きそうな距離感に心が高鳴る。
きっかけは押し付けられた物だったのに、こんなに世界が変わるなんて。
音楽団や合唱団が目の前で音楽を奏で、観客に礼を尽くして去っていく。
あっという間にラストプログラムに移行し、トリを飾る団体がステージに上がる。
オーケストラと合唱団の共演らしい。
曲はこの世界で過去に発表された文学作品の、主題歌を演奏するようだ。
ユイの足元に丸くなって待機していたマシューが、ステージのほうを見上げるように座り込んだ。
その時、圧倒的なステージの光を浴びて歌う男性が現れた。
(こんなことって……)
彼はもう眼鏡をかけていなかった。
銀色の髪を整え、漆黒のスーツを身に纏って、舞台の上でただ輝いていた。
テナーのソリストとして。
他の演奏者とまるで違う、強い熱情がそのまま服装に現れているようだ。
豪華な金糸の刺繍が入った深紅のベストは、まるで王族の正装にもみえた。
同時にどこか型破りで情熱的な、彼だけのアレンジが施されているような気がした。
(ヒロト・セナ・リーシェン……)
彼の名前がユイの心の中に響く。
情熱的で張りのある高めの声と、圧倒的な存在感。
そんな人が手を伸ばせば届く距離にいる。
ただ”彼”を知ってみたいと想う。
美しいソプラノもオーケストラの音楽も耳をただ素通りするのに、
ヒロトの歌声だけがユイの中で甘く響いた。




