EP11 中庭(3)
突如、視界の端で白い何かが揺れた。
トミオが驚いて視線を横に向けると、誰かが立っている。
(いつの間に……?)
その姿は、映像のようなノイズを僅かに発生させている。
例えば映写機で像を移しているかのような――。
(これは非常に高度な《《技術》》によるものかもしれない)
白い着物姿の女性だ。
顔は見えない。降ろした長い髪が、肩から滑り落ちて胸の上に流れる。
女性は言葉を発することなくトミオの横に屈む。
トミオの手を下から支えるように自らの手を添えた。
確かに触れられたはずなのに、手のぬくもりだけは感じられなかった。
「君は……」
トミオの言葉に女性はまっすぐに四葉のクローバーを指さす。
病院で再会してから、リエとトミオは交際を始めるようになった。
一年ほど交際を続けたある日、有名なファームガーデンを訪れたことがあった。
『四葉のクローバーは、幸運の使者なの』
そう言いながらリエは四葉のクローバーを探していた。
トミオはリエに、プロポーズのつもりで言葉を掛けた。
「俺が君の四葉のクローバーになれば、探す必要なんてないだろ」
「それって……」
「俺は君と一緒に歩いて行きたい。だから俺の幸せになってほしい」
目標は手を伸ばしても届くかどうかわからないほど離れた場所にある。
それでも深い皺が刻まれた手を、四葉のクローバーに向かって伸ばし続けた。
何度目かでその指が茎に触れ、掴み取る。
女性の姿は、役目を終えて余韻を残しながら徐々に消えて行った。
気が付けば、トミオは。
四葉のクローバーを手に、芝生の上に足を投げ出して座っていた。
目から滑り落ちた涙が頬を伝い、トミオの右手で跳ねた。
(リエ……それが君の願いなんだな)
また中庭は明るい光に包まれる。
ただ穏やかな水の流れが光りを受けて輝きを放つだけだった。
ー※ー
病院の送迎バスの窓から海辺の風景を見つめ、トミオはそっと目を閉じる。
開いた窓から波の音が聞こえる。
両手には四葉のクローバーを忍ばせた藍染めのハンカチ。
このハンカチは、サツキが着けているエプロンと同じ時に染めたものだった。
「お爺ちゃんは幸せになれそうかな」
「ああ。……僕は今までもずっと幸せだったんだ」
トミオの言葉に少女は不思議そうに首を傾げる。
「それならどうして、四葉のクローバーを探すの?」
「幸せになってほしい人がいるんだけど、その人はここに来れないからね」
少女はその瞳を大きく見開く。
「だから、届けたいんだ」
―*―
少女はトミオの隣に座り、友達のことを話し始めた。
この中庭で、少女とその友達は何度も出会ったそうだ。
ある時からその子は芝生の上で何かを探していた。そう、四葉のクローバーを。
“見つけたらきっと幸せになれるから”と。
「それじゃあ、四葉のクローバーの幸せは誰が叶えてくれるの?」
その問いかけに、トミオは不意にサツキを思い浮かべた。
サクラが咲く満月の夜に出会ったAIドール。
(ああ、そうか。サツキは――)
「誰が、ではないよ。一緒に叶える幸せがあってもいいじゃないか」
「それがお爺ちゃんの言う幸せ?」
トミオは頷き、言葉を続けた。
「”幸せ”になって欲しいと思う相手がいる。これはとても”幸せなこと”。……僕は、そう思う」
少女は何かを吹っ切ったように、トミオに笑顔を見せた。
「……ありがとう。お爺ちゃんのおかげでやっと……納得できたよ」
「僕の方こそ、ありがとう」
(……おかげで見失っていたことに気が付けた)
トミオの言葉に少女は微笑んで答える。
中庭へ戻ってきた女性看護師に声を掛け、少女は中庭を去って行った。
見上げた空は、何処までも高く遠く、感じられた。
―*―
送迎バスは最後の乗客を送り届けると、また走り出す。
トミオも藍染めのエプロンを着た、サツキが待つ自宅へと進む。
「トミオさん、おかえりなさい。 遅かった!」
「ただいま。遅くなってごめんよ」
「大丈夫。もう心配、終わった!」
サツキには表情は無い。ただ黒いカメラがピンク色の光りを灯すだけだ。
それでもトミオにはサツキが嬉しそうに微笑んでいるように見えた。




